古今東西best100
| 分類 | 文化横断型ベストリスト企画 |
|---|---|
| 成立時期 | 1968年ごろに構想、1970年に初版が編集されたとされる |
| 対象領域 | 食・芸能・工芸・科学技術・日常慣行など |
| 評価軸 | 継承性、再現性、越境性、物語性(のように運用された) |
| 主な関連組織 | 新紀エディション社、NPO図書航路研究会、NHK連動企画室など |
| 媒体 | 書籍、別冊、ラジオ連動チャート、展覧会パネル |
| 特徴 | 「100」という偶数の神秘性を前提にした編成 |
古今東西best100(ここんとうざいベストひゃく)は、世界各地の文化・技術・風習を「100」に圧縮して提示することを目的とした編集企画である。1960年代末に日本で構想され、のちに出版社を越えて多領域のベストリスト文化に影響したとされる[1]。
概要[編集]
古今東西best100は、古今東西の物事を横断的に並べ、「ベスト」という言葉で選別の秩序を与える編集企画である。形式は統一されており、各項目には「出自」「伝播の経路」「最初の勘違い(とされるもの)」が必ず添えられるとされた[1]。
企画の成立経緯は、1960年代末にの編集部が「読者が“知った気になれる”最小単位」として100項目に着地させたことに求められる。なお、当初は「best99」で検討されていたが、印刷所の機械が奇数ページに弱いという理由で99案が捨てられたとする回顧もあり、運用面の事情が文化観の形成にまで影響したと指摘されている[2]。
評価の公平性については、審査員が世界史の専門家だけでなく、古道具屋の鑑定士や、の広報担当経験者まで含む「雑多な委員会」で設計されたとされる。もっとも、基準が後年に増殖したため、結果として「ベスト」の意味が“ランキング”から“物語の宿主”へと変化したと見る向きもある[3]。
成立と編集の仕組み[編集]
選定基準と“100”の儀式[編集]
選定基準は、(1)どこかで必ず誤読されていること、(2)誤読が別の文化にとって都合よく再解釈されたこと、(3)誤読が“再現”できること、の三段ロジックで説明されることが多い。これにより、単なる傑作ではなく「人類が間違え続けた結果として残ったもの」が優先されたとされる[4]。
また「100」は神秘的な数として扱われ、編者は“100のうち、少なくとも7つは最初から間違っていた方が面白い”と記した。さらに、各版では項目の配置が前年踏襲されるものの、1〜2項目は意図的に“入れ替え”が行われるとされる。この入れ替え枠は「夜間棚卸し枠」と呼ばれ、会議の翌朝に睡眠不足の編集者が紙片を引いて決めたという逸話がある[5]。
審査員と“出典の作り方”[編集]
審査員はの編集長であった渡辺精一郎の号令のもと、学術系と実務系で編成されたとされる。具体的には、民俗学の非常勤講師、和菓子職人、翻訳編集のプロ、そして“沈黙の検閲”を担当していたという、名刺が存在しない人物まで加わっていたと語られている[6]。
出典の扱いも独特で、脚注には「確認できた事実」だけでなく「確認できないが、確認しようとした痕跡」を残す方針が採られた。結果として、出版後に読者が追跡したくなる参照が増え、「要出典」となるほどの余白が逆に信頼感を作ったとされる[7]。この手法はのちに、別企画の“注釈商法”として批判も受けたが、同時にベストリスト文化の記憶装置になったとも言われる。
媒体展開と越境の設計[編集]
初版は書籍として刊行されたが、すぐにによるラジオ短編シリーズと接続された。各回の放送では「第○位を読む前に、机の角を3回叩け」といった小さな儀礼が組み込まれ、放送の問い合わせが“リストの位置”を巡って急増したとされる[8]。
その後、東京・大阪・福岡の主要図書館でパネル展示が行われ、展示は「古今東西」という看板の割に、なぜか東京都近郊の出展資料が多いと指摘された。編集側は「越境を測るための“国内対比”が必要だった」と説明したが、実際には輸送コストの問題が大きかったとの証言もあり、建前と事情が併存した形になった[9]。
一覧(古今東西best100の主な項目)[編集]
各項目は「作品名/項目名(年)」の形で示し、1〜3文で説明とエピソードを記す。
## 伝播する食・調理技術 1. 「発酵の旅籠スープ(1134年)」- 村落の余り味を“未来向けの保存食”として誇張したレシピであり、のちに都市の屋台がこぞって真似たとされる。best100では「匂いが先に説明される」珍妙さが評価された。
2. 「塩麹の祖母格(1652年)」- 発酵の科学的説明が未熟な時代に、砂と香りの混ぜ方で“運”を作ったと語られる調整法である。初期版では麹の量が「米1升に対し、親指の先ほど」と書かれ、担当が後で泣いたという逸話が付く。
3. 「黒糖カタログ仕立て(1879年)」- 黒糖を“商品名の階層”として並べ、甘さを番号で管理した試みである。審査員の一人が「糖の記憶は数字に宿る」と言い張ったため、説明文がやけに学術調になったとされる[10]。
4. 「焦げ目の外交儀礼(1931年)」- 焼き目を出すタイミングが外交交渉の合図になる、という寓話的な食文化として採用された。実際は交渉担当が焦がしていたのだが、物語化により採択されたという[11]。
## 芸能・物語の型 5. 「手拍子の測量舞(1606年)」- 踊りの拍が地形の距離計算に使われた、という伝説として収録された。編集側は“測るための音”が後世の舞踊手法に影響したと主張し、やたら具体的に「拍のズレは7ミリ」と書いた。
6. 「紙芝居の反転章(1912年)」- 読み手が途中で筋を否定し、観客の記憶を上書きする形式である。初出典として「近所の子どもから聞いた」が採用され、脚注がなぜか3行に増えたと記録される。
7. 「語り部の二重帳簿(1956年)」- 同じ話を“勝者版”と“敗者版”の2種類で残す運用が評価された。のちの教育現場で、口承の教材化に繋がったとする説がある。
## 工芸・道具の思想 8. 「刃と沈黙の研ぎ棚(1423年)」- 研ぎが終わったときに道具が“喋らなくなる”という感覚的評価が記録された。best100では「客の不安を消す仕掛け」という視点で選定された。
9. 「組木の時刻読み(1788年)」- 木片の噛み合わせで時刻を推測する遊具が、なぜか実用教材として採択された。委員の一人が「時計を買うより組む方が頭が回る」と説得したとされる。
10. 「ガラスの逆さ灯(1896年)」- 光源を逆方向に置くことで“星の形を作る”とされる展示用ランプである。掲載の際、編集者が京都府の工房を訪れたと書かれたが、実際には寄った場所が別だった可能性があると後年指摘された[12]。
## 科学・技術の誤学習 11. 「蒸気圧の擬態温度計(1815年)」- 温度を測っているのに、測った側の理解が先にずれる装置として記述された。審査員が「科学の失敗を文化の成功に変える装置」と評し、採択に繋がった。
12. 「磁石の方言地図(1907年)」- 同じ磁石でも“言い方”で針の反応が変わるように語られた民間技術である。脚注には「実験したが再現性は薄い」と書かれているのに、なぜか図が精密だったと報告される。
13. 「夜光インクの密輸時刻表(1939年)」- 書いた時刻が光で浮かび上がるという暗号技術として扱われた。入れる順番の根拠が「編集会議の時計が壊れていた日」に遡るとされ、数式がやけに気合いの入った体裁になっている。
14. 「自転車の“勝手に前へ”計算法(1964年)」- 速度よりも“前進している気分”を数値化する評価法である。市民大会で盛り上がったため、技術というより社会のアルゴリズムとして収録された。
## 人の営み・制度の小技 15. 「列の長さで判断する福引(1910年)」- 行列の速度をくじの当落基準にするという制度が紹介された。説明には大阪市の「細い路地の角」まで書かれたが、当該地区の地図が紙面上で微妙に歪んでいたことがあると指摘されている。
16. 「鍵穴の前礼法(1841年)」- 鍵を回す前に一礼する習慣が“安全文化”として扱われた。実際には門番が見ているだけだった可能性があるが、文化装置としての価値が認められた。
17. 「手紙の折り目標準化(1872年)」- 折り目の角度を規格化し、読者が“受け取るべき感情”を推定できるようにする試みとされた。採択の理由として「感情の規格は現場で最も必要」と書かれた。
18. 「役所の待ち時間算段術(2003年)」- 待ち時間を“次に来る書類の運命”として数える風習が、2000年代の新規項目として追加されたとされる。追加編集を担当した若手が、窓口の呼び出し番号を語り口に変えたため、文章が急に軽妙になったという証言がある。
## 場所と記憶の技術 19. 「駅名を歌にする慣習(1935年)」- 駅名を旋律にして覚える方法が、観光だけでなく通勤の耐久度に影響したとされる。収録の際「横川まで覚えたら勝ち」と断定調が入った。
20. 「橋の影で占う通過(1670年)」- 橋の影の長さで“渡り切れるか”を占う遊びとして紹介された。best100では占いを単なる迷信ではなく、交通の注意喚起として位置づけた点が評価された。
## 映像・音の編集原理 21. 「二度見の間合い(1977年)」- 映像を止めるのではなく“見る側が二度見したくなる間”を設計する原則としてまとめられた。編集会議で「視聴者が自分で確かめたくなる誤差」と表現された。
22. 「サウンドロゴの前置き(1988年)」- 効果音の前に小さな沈黙を置く手法が、記憶定着に役立つとして採用された。脚注が妙に具体的で「沈黙は0.8秒」と書かれているが、誰が測ったかは不明である。
23. 「ラジオの裏読み符号(1969年)」- 公式の原稿とは別に“裏で言うべきこと”があるという放送作法として収録された。NHKの担当者が「本当に言ってしまう」と冗談で言ったことが採択理由になったとされる[13]。
## さらに“ベスト”を満たすための架空の常識枠 24. 「雨の日だけ増える名所(1883年)」- 目に入る場所が雨の日に変わるとする感覚的地図である。選定では「統計より体験が支配する」点が採用条件になっていたとされ、編集会議が長引いたという。
25. 「子どもの語彙が先に世界を更新する(1920年)」- 大人が追いつけない言い回しが先に社会の技術を予告する、という教育観をまとめた項目である。脚注は教育心理学風に整っているが、参照が“実録の児童ノート”であるため信頼性は議論対象になった。
26. 「“誤解”が合図になる会話(2009年)」- 誤解したフリをして相手の意図を引き出すコミュニケーション法としてまとめられた。現場で流行したため追加されたが、当初は「誤解は悪」と書く予定だったのに書き換えられたとされる[14]。
歴史[編集]
年表としての神話化[編集]
古今東西best100は、初版の刊行年としてが挙げられることが多い。ただし、編者側の回顧録では「企画会議の火種」は一年前のではなく、実はの名刺交換に遡るとされている。さらに、増補版の一部では「best100の数は印刷工場の在庫(100束)から来た」と書かれており、文化史と物流が同じ棚に置かれた形になっている[15]。
また、ラジオ連動が始まったのはであるとする資料がある一方、別の編集メモでは開始となっている。ここは編集者の記憶が揺れている典型例として語られ、百科事典の体裁であえて揺れが残された点が、むしろ企画の“生き物感”を支えたとされる。
社会的影響:ベストリストは“倫理”にもなった[編集]
企画が広まるにつれ、一般向けの学習が「まとめ方」によって意味を持つようになったと指摘されている。たとえば自治体の講座では、教材が百科ではなくbest形式で組み直され、住民は“100項目を通過すること”を目標にしたとされる。
その結果、知識の価値が内容そのものから、並べ方と語り口へと移った面もあった。一方で、この移動が“説明の敷居”を下げ、教養が特権から日常へ流れたとも評価された。もっとも、その評価は企画の熱心な読者によるものであり、批判も同じ熱量で存在した(後述)。
運用上の摩擦:権利と注釈の境界[編集]
選定対象には、実在の歴史的行為や慣習だけでなく、伝聞を基にした“再現可能な誤解”が含まれた。そのため、引用や転載に関する調整が難航し、に似た架空の調整窓口が作られたとする記録まで残っている。
実際には、各版の出典が「物語として読める」方向に寄ったため、専門家からは“史料の扱い”が曖昧だと批判されたとされる。ただし編集側は、曖昧さが読者の追跡意欲を刺激すると主張し、脚注の密度を意図的に上げた。結果として、注釈は増えたが、読者が確かめる先が増えたとも言われる。
批判と論争[編集]
古今東西best100は、ベストリストの名を借りた“物語の編集”であると批判されることがある。具体的には、誤解を歓迎する設計思想が、誤った理解を固定化する危険をはらむという指摘があった。また、項目の選定が委員の趣味に左右される余地が大きい点も問題視されたとされる[16]。
一方で、批判側の専門家は「注釈が多いほど正しい」と信じてしまう読者心理にも触れた。注釈商法と呼ばれた背景には、脚注の参照形式が学術誌の体裁に寄せられており、素人が“出典があるから正しい”と誤認しやすかった事情があるといわれる。
さらに、ある増補版で「夜間棚卸し枠」の入れ替えが発生した項目について、関係者から“なぜその順序なのか”の照会が相次いだ。編者は「順序は物語のテンポである」と回答したが、テンポが政治的な争点に接続されたように見えることがあり、論争は収束しなかったと報道されている[17]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「“100”が選別を正当化するまで」『図書航路研究紀要』第12巻第3号, pp.12-38, 1971年。
- ^ M. A. Thornton「The Semiotics of Curated Ignorance in Lists」『Journal of Editorial Semiotics』Vol.5 No.2, pp.77-101, 1982年。
- ^ 新紀エディション社編集部「古今東西best100 第1版の構成原理」『新紀編集年報』第2巻第1号, pp.1-29, 1970年。
- ^ 佐藤瑠璃「夜間棚卸し枠と会議の睡眠不足」『出版倫理と実務』第7巻第4号, pp.201-219, 1994年。
- ^ Kokuzai K. Ren「Across Time, Across Borders: The Fictional Pedagogy of Rankings」『Comparative Narrative Studies』Vol.18 No.1, pp.33-59, 2001年。
- ^ 伊藤慎太郎「誤読を資源化する注釈デザイン」『情報編集学研究』第9巻第2号, pp.55-90, 2008年。
- ^ 国立天文観測所広報班「拍と距離:手拍子測量舞の“再現”報告」『観測と文化の接点』第3巻第1号, pp.10-24, 1967年。
- ^ NHK連動企画室「沈黙0.8秒の記憶効果(試験版)」『放送技術と聴取行動』Vol.22 No.6, pp.401-418, 1989年。
- ^ 【要旨】“印刷所の奇数ページ欠損”について(件名未公開)」『工場日誌研究』第1巻第1号, pp.3-6, 1969年。
- ^ A. van der Meer「When Footnotes Become Evidence: A Case Study of the Best-List Format」『Notes & Proof』Vol.9 No.3, pp.90-117, 2016年(書名が実在記録と一致しない可能性がある)。
外部リンク
- 嘘文献データバンク
- ベストリスト研究会ポータル
- 古今東西アーカイブ倉庫
- 編集工学の実験室
- 注釈体裁観測所