吉永 憲史朗
| 氏名 | 吉永 憲史朗 |
|---|---|
| ふりがな | よしなが けんしろう |
| 生年月日 | 1974年4月18日 |
| 出生地 | 日本・福岡県北九州市 |
| 没年月日 | 2012年11月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民間民俗学者、都市儀礼研究家、著述家 |
| 活動期間 | 1995年 - 2012年 |
| 主な業績 | 夜間献灯譜の体系化、路地祭文の採集、月齢別挨拶法の提唱 |
| 受賞歴 | 日本記録民俗協会特別功労賞(2011年) |
吉永 憲史朗(よしなが けんしろう、 - )は、の民間民俗学者、都市儀礼研究家。夜間祭祀の採集と路上言語の記録を通じて知られる[1]。
概要[編集]
吉永 憲史朗は、に生まれたの民間民俗学者である。主としての下町圏に伝わる夜間の作法、符牒、献灯儀礼を採集し、独自に「」と呼ばれる研究分野を築いたことで知られる[1]。
一見すると民俗学の一分野であるが、吉永の調査対象はの閉店後にのみ現れる掲示、深夜ので交わされる挨拶、さらには土曜の午前2時にだけ機能する紙帳簿など、通常の学術調査では見落とされやすい事象に集中していた。なお、彼の業績はの非常勤講義録を起点に広まったとされるが、この経緯には諸説ある[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
、北九州市のに生まれる。父は港湾関係の事務員、母は製本補助をしていたとされ、幼少期から帳簿の綴じ目や活字のずれに異常な関心を示したという。本人は後年、幼稚園時代にの夜景を見て「光は数えるものではなく、並べるものだ」と語ったと伝えられるが、出典は不明である。
小学校時代には、近所の豆腐店の閉店作業を毎晩観察し、店主が最後に店先へ塩を撒く角度を記録していた。これが後の「」の原型になったという。中学進学後は理科部に所属したが、実際には部室の窓に貼られた注意書きの文言変化を追跡する活動が中心であった[3]。
青年期[編集]
に上京し、第二文学部に進学したとされる。専攻は当初であったが、2年次に「都市における沈黙の継承」というレポートを提出し、指導教員のの勧めで民俗学へ傾いたという。
在学中はの古書店街やの裏通りを歩き回り、夜間にしか開かれない掲示板や、雨天時にだけ現れる手書きの道案内を撮影した。1996年には、同級生4人とともに「深夜口承研究会」を結成し、会員が毎週木曜の23時17分に集合する規則を定めたが、3か月で2人が脱退したため、後年の会則第8条だけが妙に厳密になったといわれる。
活動期[編集]
ごろから、吉永は内の、、などを中心に本格的な採集活動を開始した。特にの調査では、線香花火の燃え尽きる順序を「記憶の階層」として読み解く方法を提唱し、記録票は全87項目に細分化された。
2004年には『』を自費出版し、初版312部のうち281部が研究会関係者に、残りが神社の賽銭箱横の棚に置かれたとされる。この書物がの目に留まり、2006年には調査対象をやにまで拡張する共同研究が始まった。なお、同時期に吉永が提唱した「月齢別会釈率」は、一部の商店会で実際に導入され、閉店時の会釈の深さが月齢に応じて3段階に分かれていたという[4]。
晩年と死去[編集]
以降は、体調悪化のため現地調査を減らし、主に録音済みの挨拶音声を分類する室内研究に移行した。晩年の吉永は、の借家で、毎晩0時03分に湯のみの向きを変える習慣を続けていたとされる。
11月3日、で死去した。死因は心不全とされるが、一部では「深夜礼法の採集に没頭した結果、生活リズムが都市の発光周期と同化したため」ともいわれる。葬儀では参列者が遺影に向かって通常より2秒長く会釈する作法が採られ、のちに吉永式会葬礼の定型となった[5]。
人物[編集]
吉永は温厚で寡黙な人物であったとされるが、調査ノートの記述はきわめて執拗で、1冊のノートに「商店街の蛍光灯が点灯してから人が振り返るまでの平均時間」を147回測った記録が残っている。これは同僚の間で「」と半ば揶揄的に呼ばれた。
一方で、非常に律儀でもあり、取材先で出された茶菓子は必ず皿の配置まで記録してから食べたという。本人は「礼法は内容ではなく、置かれ方に宿る」と述べたとされ、この言葉は後に周辺で引用された。
逸話として、の老舗乾物店で閉店間際に調査を断られた際、翌日から3週間、同じ時刻に無言で店先を通り続け、4日目に「見学なら可」と言わせた話が有名である。ただし、これが実話かどうかは要出典とされる。
業績・作品[編集]
夜間礼法の体系化[編集]
吉永の最大の業績は、都市の深夜帯にのみ現れる礼儀作法を「夜間礼法」として整理したことである。彼はこれを、通常のが昼間の祭礼や年中行事を中心にしていたのに対し、都市の余白時間に生じる非公式規範を扱う学問として再定義した。
彼の分類では、挨拶は、物品返却は、沈黙の共有はに最も成立しやすいとされ、データは延べ1,204件に及ぶ。なお、調査期間中に集められた音声資料は、なぜかすべて冷蔵庫の上に保管されていた。
主な著作[編集]
代表作に『』『』『』がある。とくに『献灯と停電のあいだ』は、の夏、都内の停電復旧直後に起こる近隣住民の「お互い何も言わないまま線香を追加する行為」を記述した章が話題となった。
また、未完に終わった『』は全16巻構想であったが、実際に刊行されたのは第4巻までで、しかも第3巻と第4巻の間に「臨時増補・雨天編」が挟まったため、書誌学上しばしば問題視される[6]。
社会的影響[編集]
吉永の研究は学界よりも、むしろやの実務に影響を与えた。都内の一部商店街では、閉店時の会釈角度を統一するための講習が導入され、2010年時点で17組合が参考資料として彼の冊子を配布していたという。
また、内の若手書店員の間では、吉永の採集記録をもとにした「夜回りメモ」の書式が流行し、見回り時刻、通行人数、風の向き、そして犬の吠え声の回数まで記入する様式が半ば標準化した。後年、これが都市観察ブームの先駆けと見なされることもある。
後世の評価[編集]
死後、吉永は「失われつつある都市礼法の最後の体系化者」と評価されるようになった。2014年にはで小規模な資料展が開かれ、来場者数は10日間で4,280人であったとされる。
ただし、研究者の間では、彼の分類法が過度に細分化されていたとの批判もある。たとえば「雨上がりの3分間に限る会釈」などの項目は、実地で再現しにくいとして一部から笑いものにされた一方、逆にその過剰さこそが都市生活の実感を捉えていると擁護する声もあった。
には英語論文『Kenshiro Yoshinaga and the Temporality of Street Courtesy』が系の紀要に掲載され、海外では「ジャパニーズ・ナイトフォークロア」の代表的人物として紹介された。なお、論文末尾の参考文献に彼自身の未刊行メモが含まれていたため、自己引用の輪として一部で話題になった[7]。
系譜・家族[編集]
父は吉永正次、母は吉永澄子とされ、兄弟は姉が1人いたという。姉は後に内の図書館司書となり、吉永の初期ノートを保存した第一の協力者であった。
妻については、に結婚したという記録があるが、相手の氏名は「資料整理上の不備」により複数の文献で異なっている。息子が1人いたとされ、幼少期に父の調査道具である小型ライトを「お月さまの定規」と呼んでいたという逸話が残る。
吉永家は江戸期から続く由緒ある家系とする説もあるが、本人は「うちはせいぜい三代前から帳面が好きなだけ」と否定していた。もっとも、家紋の代わりに丸印を三つ並べた私印を用いていたことから、親族のあいだでは半ば公認の家学として受け止められていた[8]。
脚注[編集]
[1] 吉永憲史朗の人物像と夜間礼法の初期形成については、の会報第18号に概要がある。 [2] 早稲田大学在学時代の所属については、複数の名簿に差異がある。 [3] 中学時代の記録活動は、後年の本人談話による。 [4] 商店会への導入事例は、の内部資料に基づくとされる。 [5] 葬儀で採られた会葬礼の詳細は、参列者の回想録に拠る。 [6] 『月齢別会釈辞典』の刊行事情は、書誌情報が錯綜している。 [7] 自己引用の問題は、系紀要の編集後記でも触れられた。 [8] 家紋と私印の関係は、吉永家の口伝として伝えられる。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 平松宗一郎『都市の沈黙と礼法』國學院大學出版部, 2001, pp. 41-68.
- ^ 長谷川澄子『路地の礼法:吉永憲史朗をめぐる断章』青弓社, 2008, pp. 13-49.
- ^ A. Thornton, “Street Courtesy and Nocturnal Rituals in Postwar Japan,” Journal of Urban Folklore, Vol. 12, No. 3, 2011, pp. 201-227.
- ^ 吉永憲史朗『献灯と停電のあいだ』私家版, 2007, pp. 5-119.
- ^ 森田一樹『月齢別会釈辞典・臨時増補 雨天編』民俗書房, 2009, pp. 1-84.
- ^ K. H. Watanabe, “The Taxonomy of Night Greetings,” Transactions of the East Asian Ethnographic Society, Vol. 9, No. 1, 2013, pp. 77-103.
- ^ 佐伯久美子『都市儀礼の方法』平凡社, 2015, pp. 92-141.
- ^ Noboru Saito, “On Yoshinaga’s Cold Storage Audio Archive,” Review of Japanese Cultural Studies, Vol. 4, No. 2, 2018, pp. 55-79.
- ^ 田島修一『夜間口承の成立』岩波書店, 2010, pp. 23-66.
- ^ Margaret L. Fenwick, “Courtesy Angles and Lunar Phases,” Bulletin of Comparative Folklore, Vol. 21, No. 4, 2019, pp. 310-336.
- ^ 吉永憲史朗『東京夜間作法史』未刊草稿, 2011, pp. 1-203.
- ^ 黒田晴彦『帳面と都市の民俗』筑摩書房, 2006, pp. 144-176.
外部リンク
- 日本記録民俗協会デジタルアーカイブ
- 都市礼法研究フォーラム
- 路地観察資料室
- 夜間口承年表館
- 深夜作法文庫