四十九巻旅館
| 名称 | 四十九巻旅館 |
|---|---|
| 種類 | 登録制温泉旅館(回廊型建築) |
| 所在地 | 長野県白駒谷市・霧笛温泉郷 |
| 設立 | 14年(1911年)に建立 |
| 高さ | 本館 12.6 m(回廊含めると15.3 m) |
| 構造 | 木造(欅材+漆喰耐火被覆)・複数棟連結 |
| 設計者 | 渡辺精一郎(白駒谷工務局) |
四十九巻旅館(しじゅうくまきりょかん、英: Shijukumaki Ryokan)は、にある登録制の温泉旅館である[1]。現在では「巻(まき)」の語呂を縁起に転じた宿として知られる[2]。
概要[編集]
四十九巻旅館は、霧笛温泉郷に所在する回廊型の温泉旅館である。建物名の「四十九巻」は、宿の湯座敷が“四十九の手順”で整えられるという儀礼的な運用に由来するとされる[1]。
また、「巻(まき)」の読みが定着したのは、旅館の開業当初に掲げられた“まき時計”の看板が話題になったためであると伝えられる。さらに、四十九が不吉として忌まれた時期があり、のちに内部掲示では「四十七巻」と表記される区画が増えた、という逸話も残る[3]。
名称[編集]
施設名は、創業者が「数は縁起を編む糸」として扱う思想に由来するとされる。旅館の受付帳には開業から半年のあいだ、客に渡す紙札が必ず“第49番目”まで綴じられていた記録が残っている[4]。
ただし、地元の年中行事と衝突したことにより、初期からは“外向き”の看板だけが四十九を維持し、建物内部の通路案内は四十七に置き換えられたとされる。旅館側はこれを「不吉の距離を稼ぐ配慮」と説明している[2]。
結果として、同施設は「四十九巻」を名に冠しながら、実運用では“まき”を段階的に短縮していく折衷の文化を形成したと整理されている。なお、地元では呼称の揺れが観光ガイドにも影響し、現在では略して「四十七巻の湯宿」と案内する者もいる[5]。
沿革/歴史[編集]
四十九巻旅館は、14年に建立され、霧笛温泉郷の中心施設として拡張されてきた。建立にあたってはが資金融通を行い、旅館側は「工程の数」と「建物の数」を一致させることを条件に掲げたとされる[6]。
一方で、四十九という数がもたらす心理的負担がしばしば問題化した。そこで施設内の案内は“四十九”から“四十七”へ段階的に移行し、儀礼工程も“外向け”と“内向け”で運用を切り替える制度が整えられたと整理されている[3]。
その後、回廊型の間取りが観光客の写真撮影スポットとして機能し、中期には「回廊の曲がり角で湯気が折り返す」という流言が広まった。これが結果的に建築の保存運動を後押しした、という説明もある[7]。
不吉を“間引く”技術としての旅館運営[編集]
四十九巻旅館の沿革は、霧笛温泉郷の開発計画に結びついて語られている。計画を主導したの観光厚生課は、温泉の効能を“儀礼の回数”と結びつければ定着すると考えたとされる[6]。
その中心施策が、湯座敷の準備工程を「まき」と称して配列し、合計四十九工程で整える方式であった。ところが一部の年配客から「四十九は忌みの数」との苦情が相次ぎ、旅館は工程表のうち頻度の低い二工程を削り、“四十七”を室内で運用する方針を採ったと推定されている[3]。
この削除は単なる変更ではなく、行為の順番を“同じ場所で反復する”ことで帳尻を合わせたという。たとえば同じ石鹸置きで二回拭く工程を一回として扱うなど、記録の数え方そのものが再設計された点が、当時の市史にも「数の編集」として言及されている[7]。
建築としての回廊(まき)と“綴じ目”の設計[編集]
建物は木造でありながら、火災対策として漆喰耐火被覆が広範に施されたとされる。設計者のは、回廊の折れ角を“綴じ目”に見立て、雨水が溜まる角度を0.7度ずつずらす微調整を指示したと伝えられる[8]。
なお、この数値は設計図の注記に「七分(しちぶ)ずらし」として記されていたとされるが、現物が確認できないため、当時の見習い技師による回想録に依拠している[9]。一方で回廊の床板は、幅19.2 cmのものを基準に、端部だけ11.3 cmに切り詰めたと記録されている[4]。
こうした細部の設計意図は、旅館の名前にある“巻”を単に語呂としてでなく、建築の動線体験として具現化する試みだったと理解されている。結果として、四十九巻旅館は「歩くほど数がほどけていく宿」として宣伝され、開業後は年間宿泊者が急増したとされる(ただし数の根拠は当時の帳票の散逸により要確認とされる)[10]。
施設[編集]
現在では四十九巻旅館には、本館、東回廊棟、霧笛文庫棟、澄湯供台(しょうとうきょうだい)という四つの機能ブロックがある。いずれも回廊で接続され、客はチェックインから退館まで“まき状の導線”を辿ることになる[5]。
本館は天井の高低差が設計段階で明記されており、主要部の高さは2.9 m、間仕切りの影になる位置は2.1 mとされる[8]。また、客室は全体で32室とされ、番号は奇数・偶数で布団の配置が変わると説明される[4]。
霧笛文庫棟では、温泉由来の療養談が「巻紙」形式で綴られ、貸出の返却が“綴じ直し”作業とセットになっている。さらに澄湯供台は、湯船上の湯気が見えやすいよう、日照角度を計算して配置されたとされるが、その理屈は当時の工務局資料に基づくとされる(ただし資料の所在は明確でない)[9]。
交通アクセス[編集]
四十九巻旅館に所在する霧笛温泉郷は、鉄道と乗合馬車の結節点として整備されてきた。最寄りとして案内されるのは中心部からの路線バスであり、終点は「霧笛温泉郷第1停留所」とされる[11]。
そこから徒歩で約1.4 km、所要時間は16〜19分程度とされる。旅館側は雨天時の誤差を見込んで、傘袋の配布開始時刻を“17分前”と定めているという[4]。
また、積雪期には車両が回廊手前まで乗り入れ可能であるとされるが、回廊に接する橋の幅は3.2 mとされ、これを超える車種は迂回が求められる。こうした制約は案内板に細かく記され、結果として旅館は「迷わないが、軽く迷わせる」サービス方針をとっていると評価されている[12]。
文化財[編集]
四十九巻旅館の建築要素のうち、回廊の折れ角と漆喰耐火被覆は、の登録文化財(建造物)として取り扱われているとされる[13]。登録名は「回廊型温泉旅館建築群」とされ、特に“綴じ目梁(とじめばり)”と呼ばれる部材に注目が集まっている[8]。
また、施設内には“まき時計”と呼ばれる古い表示装置があり、湯座敷の準備時間を視覚的に示す用途で残存しているとされる。これは実用面よりも、四十九から四十七への切替を説明する展示として位置づけられている[5]。
なお、文化財の指定範囲には揺れがあり、回廊のうち東側の一部が除外されている可能性があるとする見解もある。ただし旅館の案内資料では「全回廊が対象」とされているため、確認にはの告示文の精査が必要になる[13]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 霧笛温泉郷史編纂委員会『霧笛温泉郷史(増補改訂版)』白駒谷出版, 1987.
- ^ 渡辺精一郎「回廊型旅館の動線設計に関する私見」『建築便覧』第12巻第4号, 1913, pp. 41-58.
- ^ 白駒谷市観光厚生課『数え方行政と温泉文化(内部資料)』白駒谷市役所, 1932.
- ^ 田中岑太『旅館の儀礼運用と“巻”の記録』信州旅宿叢書, 2001, pp. 77-102.
- ^ Margaret A. Thornton「Ritual Counting in Hospitality Architecture」『Journal of Regional Folklore Studies』Vol. 9, No. 2, 2010, pp. 120-147.
- ^ 小野寺睦「四十九の忌みと観光表記の調整」『民俗学研究』第58巻第1号, 1999, pp. 1-19.
- ^ 佐伯清輝「綴じ目梁の耐火設計」『木造耐火の実務』第3巻第7号, 1920, pp. 210-223.
- ^ Etsuko Maruyama「When Numbers Become Wayfinding: Hospitality Signage Systems in Rural Japan」『Asian Built Heritage Review』Vol. 4, No. 1, 2016, pp. 33-56.
- ^ 長野県教育委員会『長野県の登録文化財(建造物)解説図録』長野県教育委員会, 2015.
- ^ 四十九巻旅館 編『宿帳に見る客導線の変遷(復刻)』巻紙印刷所, 1962.
- ^ (要出典気味)“七分ずらし”の由来に関する回想録『白駒谷工務局の遺稿』第2集, 1948, pp. 5-9.
外部リンク
- 霧笛温泉郷 公式案内(架空)
- 白駒谷市 生涯学習デジタルアーカイブ(架空)
- 登録文化財データベース まき版(架空)
- 旅館宿帳研究会(架空)