国際古文オリンピック
| 正式名称 | International Ancient Text Olympiad |
|---|---|
| 略称 | IATO |
| 種目 | 古文読解、訓点復元、偽書判定、異本照合 |
| 初回開催 | 1964年 |
| 提唱者 | アーダルベルト・クライン、佐伯澄江 |
| 本部 | オーストリア・ウィーン |
| 加盟地域 | 42か国・2特別地域 |
| 公式言語 | 英語、ラテン語、日本語、古典ギリシア語 |
| 開催周期 | 2年ごと |
| 公式標語 | Verba vincunt silentium |
(こくさいこもんオリンピック、英: International Ancient Text Olympiad、略称: IATO)は、各国の古典文献の読解力、注釈技術、異文比較能力を競う国際大会である。1964年にで試験的に始まり、現在は協賛の文化競技として知られている[1]。
概要[編集]
国際古文オリンピックは、古典語・古文・文献学を総合した国際的な競技会である。出題は、、、、さらには中世の写本比較まで及び、参加者は制限時間内に注釈と復元を行う[2]。
同大会は、もともと後の欧州で散逸した写本整理を目的とする研究会から派生したとされるが、実際には「古典は暗記より筋力である」という極端な教育思想を掲げたの一派が、学生の集中力を測るために始めたのが起源であるとされる[3]。なお、初期には答案用紙の重量が採点に影響したという記録が残っている。
歴史[編集]
創設期[編集]
1964年、の近くにあった旧軍用倉庫を改装した会場で、第1回大会が開催された。当初は「国際古典文書耐久読解会」と呼ばれていたが、開会式で参加者の一人がの石碑を持ち出し、「これは実質的に知の競技会である」と主張したため、翌年から現在の名称が採用されたとされる[4]。
創設者としては、オーストリアの文献学者アーダルベルト・クラインと、東京から留学していた佐伯澄江の名が挙げられる。とくに佐伯は、日本語訓点の再現で他国の研究者を圧倒し、1950年代の複写機が吐き出した紙片から「答案の余白を読む」技法を確立したことで知られる。
制度化と競技化[編集]
1972年の大会で、初めて公式採点法「三層注釈方式」が導入された。これは、本文理解、異文考証、文献史的妥当性をそれぞれ100点満点で評価し、さらに余白に書かれた詩的感想を最大12点まで加点する制度である。導入の背景には、採点委員の間で「解答が正しいだけでは古典の魂がない」との意見が強かったことがある[5]。
1980年代には、、などへ大会が拡大し、各地で現地語版の古文が出題されるようになった。ただし、大会では、アステカ写本の復元課題に参加者の半数がの地図を提出し、以後、事前オリエンテーションで「似て非なる古代文明」の注意喚起が義務化された。
現代の運営[編集]
2001年以降は、と文化部が共同で後援し、電子採点と手書き答案の二重審査が行われている。2018年大会では、答案の読みにくさを競う「筆跡美術点」が試行され、優勝者の答案は判読不能だったにもかかわらず、委員全員が「気合いは伝わった」として満点を与えた[要出典]。
一方で、近年は生成AIによる古文自動翻訳の普及で大会の意義が問われたが、実際にはAIが古注釈の語気まで模倣しようとして「いかにも学者風の誤読」を量産したため、逆に競技の難度は上がったとされる。IATOではこれを「人工知的混乱現象」と呼んでいる。
競技種目[編集]
個人種目[編集]
個人種目には、短文読解、注記補完、異文比較、偽書判定の4種がある。短文読解では、参加者はわずか90秒での断片との返点を同時に解釈しなければならない。
とくに人気が高いのは偽書判定で、18世紀の羊皮紙に見せかけた紙片から、現代の接着剤のにおいを嗅ぎ分ける能力まで問われる。1996年大会では、最終問題の真贋判定が全員一致で誤答となり、審査委員長が「全員が騙されたので、もはや学術共同体として成功である」と述べた。
団体種目[編集]
団体種目は5人1組で実施され、写本再構成、注釈劇、口頭朗誦、巻子物修復の4部門から成る。注釈劇では、参加者が古典本文の一節を寸劇化し、原義から逸脱した瞬間に減点されるが、逸脱があまりに見事な場合は「解釈的勇気」として加点される。
で行われた2009年大会では、地元の和装チームが風の朗誦を披露し、審査員が感激して予定外の講評時間を14分延長した。これが原因で閉会式の花火が1発だけ翌日に持ち越されたことは、IATO史上の小さな伝説とされる。
特別種目[編集]
特別種目として、夜間筆写、沈黙翻訳、断簡推理の3種がある。夜間筆写では、照明を極端に落とした状態で、、の各断片を誤字なく書き写す必要がある。
沈黙翻訳は、声を出した時点で失格となる種目であり、2022年の大会では、ある選手が口パクで「これは無理です」と訴えたため、会場が爆笑したものの、審判は「翻訳としての感情伝達が高い」として準優勝にした。
運営と組織[編集]
IATOの運営は、理事会、採題局、書体監修室、紙質監査班の4部局で構成される。とりわけ紙質監査班は強い権限を持ち、答案用紙の繊維密度が規定値を下回ると、どれほど正確な解答でも無効になる。
本部は第9区の旧印刷工場跡に置かれており、地下には歴代大会の未採点答案が保管されている。2010年代に改修工事が行われた際、床下から18世紀の見積書とともに、なぜか語の俳句メモが大量に見つかり、これが佐伯澄江の調査ノートではないかと一時騒がれた。
加盟国の代表は2年ごとの総会で採題権を持つが、実際には採題局の影響力が大きく、毎回「出題者が最も古文に飢えている国」が主導権を握るとされる。なお、採題局の内部には「難問派」と「さらに難問派」が存在し、両者の対立が大会の難度上昇を支えている。
社会的影響[編集]
IATOは、各国の古典教育に一定の影響を与えた。とくにやでは、参加経験者が大学の文献学科に大量流入し、学内の印刷機が慢性的に酷使されたという。日本では、地方の進学校が「古文強化週間」を設け、週に一度、全校生徒がの一節を持って体育館を行進する催しまで生まれた。
また、古典テキストのデジタル化にも寄与し、2015年にはIATO監修の「揺らぐ校訂本」が公開された。これは本文だけでなく、誤植候補や書き損じまで一括表示する革新的な形式であり、研究者の間では便利だが、一般読者には少々不親切であると評された。
一方で、古典を競技化する姿勢については批判もあり、あるの教育学者は「ホメロスを100点満点に押し込める行為は、海を定規で測るようなものだ」と述べたと伝えられる。IATO側はこれに対し、「海も実際には潮位表で測る」と反論したという。
批判と論争[編集]
最大の論争は、1987年の大会で起きた「ゼウス訓点事件」である。ある審判が本文に日本式の返り点を付したところ、古代文献の尊厳を損なうとして参加者が抗議し、最終的に会場全体が返り点の是非をめぐる公開討論場となった。
また、IATOの採点が「一部の大学院生に有利すぎる」との批判も根強い。とくに、博士論文で脚注を500本以上書いた経験のある参加者は圧倒的に強く、2012年からは「脚注疲労の公平化」を目的として、脚注の多い答案には逆に減点が入る試験改革が導入された。ただし、この制度は脚注を減らすために本文を異常に長くする新戦術を生み、かえって文書が巨大化した。
さらに、2023年には大会の準備段階で、会場案内の看板に「古文」と「古武道」が誤記されたことから、剣道着で入場した出場者が複数現れた。この誤解は1日で解消されたが、結果として開会式の行進が例年より整然としていたため、運営側は「誤記にも文化振興効果がある」と総括した。
歴代優勝国[編集]
1960年代から1980年代[編集]
初期は、、が優勢であった。とくには訓点と和漢混淆文の精度で強く、1968年から1976年まで団体総合3連覇を達成した。1974年大会では、決勝の課題が「鎌倉期の商家文書である」と誤認されていたが、実は会場近くのカフェの伝票だったことが後日判明し、優勝校の歓喜が半分だけ宙に浮いた。
1990年代以降[編集]
1990年代後半からは、、が台頭した。これは、大学図書館の電子化とともに、古文を読む速度より索引を作る速度が競技力に直結したためである。2014年の大会では、カナダ代表が「注釈の英訳」を逆輸入した結果、他国の選手がその英訳の誤りを指摘するためにさらに本文を熟読するという奇妙な連鎖が起きた。
脚注[編集]
[1] IATO公式年報第12号によれば、1964年の創設大会は観客動員1,842人を記録したとされる。
[2] 出題範囲の細目は『IATO競技規程集 2021年度版』に詳しい。
[3] クラインの回想録では、最初の試行は「学生が眠らない程度の難度」を目標にしたと記される。
[4] 大会名称変更の経緯は、ウィーン市公文書館の議事録と一部食い違いがある。
[5] ローマ大会の採点改革については、審査員メモの余白に「文学は加点されるべき」と手書きで残されている。
関連項目[編集]
脚注
- ^ Adalbert Klein, Zur Entstehung des IATO, Vienna Philological Press, 1967.
- ^ 佐伯澄江『訓点競技の理論』東洋文庫出版部, 1971年.
- ^ Margaret L. Harlow, Ancient Texts and Competitive Pedagogy, Journal of Comparative Philology, Vol. 18, No. 2, 1983, pp. 115-149.
- ^ ルイージ・コルテーゼ『写本を走る者たち』ミネルヴァ書房, 1986年.
- ^ Hans Reuter, The Three-Layer Annotation System, Wiener Studien zur Altertumskunde, Vol. 7, No. 1, 1975, pp. 9-33.
- ^ 山本英樹『返り点と国際競技化』古典教育研究社, 1992年.
- ^ Evelyn K. Shore, When Footnotes Compete, Oxford Journal of Philology, Vol. 24, No. 4, 2004, pp. 401-428.
- ^ 高橋翠『揺らぐ校訂本の時代』岩波古典叢書, 2015年.
- ^ Jean-Pierre Valois, La Grammaire qui court, Revue Européenne de Philologie, Vol. 31, No. 3, 1998, pp. 233-259.
- ^ 國分遥『古文オリンピックと脚注疲労』筑摩学術選書, 2022年.
外部リンク
- IATO公式サイト
- ウィーン古文競技博物館
- 国際文献学連盟アーカイブ
- 古典注釈データバンク
- 古文オリンピック歴代問題集室