埼玉県浦野宮市
| 名称 | 埼玉県浦野宮市 |
|---|---|
| 種類 | 複合歴史施設・観光施設 |
| 所在地 | 埼玉県浦野宮市中央台一丁目 |
| 設立 | 1897年(起点) |
| 高さ | 34.8m(観望塔最頂部) |
| 構造 | 煉瓦造・鉄骨補強・木造回廊 |
| 設計者 | 渡辺精一郎、A. H. マーシュ |
埼玉県浦野宮市(さいたまけんうらのみやし、英: Uranomiya City)は、にあるである[1]。現在ではの観光拠点として知られ、期のと期のが重層したものとされる[1]。
概要[編集]
埼玉県浦野宮市は、中北部に所在する複合歴史施設であり、元は支流の旧水門跡に築かれた防災実験棟を母体とする。現在では、観望塔、回廊式資料館、地下貯蔵室からなる一帯がひとつの施設として扱われ、年間約38万4,000人が訪れると推定されている[2]。
この施設は、末期に県が進めた「内陸港湾化計画」の副産物として成立したとされるが、実際には関係文書の多くが大震災後に再筆されたため、起源には不明な点が多い。なお、施設名の「浦野宮」は、もともと周辺にあった村落名ではなく、測量図上の誤記をそのまま採用したものに由来するという説が有力である。
名称[編集]
名称の「浦野宮市」は、という旧地名と、工事監督の家に伝わる私印「宮市」を組み合わせたものとされる。しかし、に残る初期の図面では「浦宮試験場」と記されており、現在の名称は11年の観光整備で定着した可能性が高い。
また、地元では長らく「うらのみやし」と読まれてきたが、一部の古い案内板には「うらのきゅうし」と振り仮名が付されていたため、の調査でも読みの統一に数年を要した。これにより、駅前の観光協会が独自に配布した手引き書では、同じ施設名に三種類の読みが併記される珍事が生じた。
沿革[編集]
創設期[編集]
1897年、の地方改良事業の一環として、浦野川流域の洪水対策施設が着工された。当初は単なる排水塔であったが、設計者のが「治水と観光の両立」を唱え、塔頂に展望台を設けたことから、行政文書上も半ば公共遊覧施設として扱われるようになった[3]。
1904年には、米国人技師A. H. マーシュが招かれ、鉄骨補強と地下空調の仕組みを導入したとされる。もっとも、彼の名は後年の回想録にしか現れず、同一人物が実在したかは要出典とされている。
戦前から戦後[編集]
期には、施設内の回廊が「県民修養会」の会場として転用され、月1回の講話と即席演奏会が行われた。1932年には、当時としては異例の9.6万球の電球が設置され、夜間点灯式には周辺から2万3,000人が集まったと記録されている。
中は観望塔が防空監視所に転用され、地下貯蔵室には陶器製の雨水タンクが保管された。終戦直後、の立入調査で「極めて奇妙だが保存価値は高い」と評されたという逸話があり、これが保存運動の起点になったとされる。
保存と観光化[編集]
1968年、浦野宮市保存会が設立され、施設全体がの「近代土木建築保存候補」に挙げられた。1974年には回廊の床板3,412枚が一斉交換され、その際、旧床板の一部が記念品として町内会に配られたため、現在でも各家庭の神棚横に保管されている例がある。
1989年の大改修では、地下貯蔵室から未開封の茶箱17箱が発見され、内部からは39年の観光パンフレットと、用途不明の木製計算尺が見つかった。これにより、施設が当初から教育・流通・避難の三用途を兼ねていたという説が一気に強まった。
施設[編集]
現在では、浦野宮市は三層構造の施設群として運営されている。地上部の「観望塔」、中層の「回廊資料館」、地下の「水門記録庫」が連結しており、来訪者は順路に従って約47分で一周する設計である[4]。
観望塔は高さ34.8mで、を一望できるとされるが、晴天時でも視界の先に見えるのはほぼ方面の煙突と送電線であり、展示解説ではこれを「近代産業景観」と称している。回廊資料館には、洪水記録、商業帳簿、そして「夜間点灯に使ったとされる銀色の缶詰」が並ぶ。
地下の水門記録庫は最も人気が高く、毎年秋にだけ一般公開される。壁面の煉瓦には、施工中に職人が刻んだとされる記号が約280か所残っており、その一部は実は昭和期の補修班による落書きであることが後年判明した。だが、解説員は「同時代的な対話の痕跡」として丁寧に案内している。
交通アクセス[編集]
最寄り駅はの浦野宮中央駅で、北口から徒歩11分と案内されている。もっとも、実際には駅前の地下通路を経由した場合の所要時間であり、地上から向かうと最短でも18分はかかるため、初訪問者がほぼ必ず迷うことで知られている。
また、の臨時観光バス「うらのみや号」が土日祝のみ運行され、施設西門前に停車する。2016年のダイヤ改正後は1日7往復となったが、繁忙期には補助車両が2台連結されることがある。駐車場は普通車58台分、うち3台分が「大型木箱搬入優先」として確保されている。
文化財[編集]
浦野宮市の建造物群は、2003年にとして登録されている。特に観望塔の螺旋階段と、地下記録庫の換気口は、近代関東における複合防災建築の初期例として評価されている[5]。
一方で、保存審議では「展示用に後付けされた装飾が原形を曖昧にしている」との批判もあり、では毎回、保存か復元かをめぐって意見が割れる。なお、施設側はこれに対し「曖昧さそのものが資料価値である」と説明しているため、保存指定の範囲は年ごとに微妙に変動している。
2021年には、外壁の補修に使用された漆喰から、期の砂糖袋の繊維が検出されたと発表され、学術誌『近代土木と糖業』で小さく話題になった。ただし、この報告は測定条件の記載が不十分であるとして、後に要検証項目として扱われた。
脚注[編集]
[1] 浦野宮市保存会 編『浦野宮市の成立と変遷』浦和郷土出版、2009年、pp. 14-19. [2] 埼玉観光統計協議会『県央観光動態年報 2023』第12巻第3号、pp. 88-91. [3] 渡辺精一郎「内陸部防災塔の遊覧化に関する覚書」『土木雑誌』Vol. 8, No. 2, pp. 33-41. [4] 東日本観望施設研究会『複合回廊施設の歩行動線設計』中央技報社、2018年、pp. 102-117. [5] 埼玉県教育委員会『県指定文化財台帳 令和5年度版』、pp. 211-214.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 浦野宮市保存会 編『浦野宮市の成立と変遷』浦和郷土出版、2009年、pp. 14-19.
- ^ 埼玉観光統計協議会『県央観光動態年報 2023』第12巻第3号、pp. 88-91.
- ^ 渡辺精一郎「内陸部防災塔の遊覧化に関する覚書」『土木雑誌』Vol. 8, No. 2, pp. 33-41.
- ^ A. H. Marsh, 'A Note on Mixed-Use Water Gates in Rural Japan', Journal of Eastern Engineering, Vol. 4, No. 1, pp. 5-17.
- ^ 宮本家文書整理委員会『宮市印と地方施設名の変遷』中央史料研究所、1976年、pp. 62-79.
- ^ 埼玉県教育委員会『県指定文化財台帳 令和5年度版』、pp. 211-214.
- ^ 田島瑞穂「浦野宮市地下記録庫の温湿度管理」『保存科学』第27巻第4号、pp. 201-209.
- ^ H. K. Bell, 'Rail and Sightseeing in Inland Prefectures', Asian Urban Studies, Vol. 11, No. 3, pp. 144-158.
- ^ 関東近代建築研究会『煉瓦と回廊の政治学』真実社、1998年、pp. 9-24.
- ^ 高橋いくえ『観光資源としての防空監視所』県央書房、2012年、pp. 55-68.
外部リンク
- 浦野宮市保存会公式記録室
- 県央近代建築アーカイブ
- 埼玉観光文化財データベース
- 東日本観望施設研究ネットワーク
- 浦野宮市夜間点灯協議会