塩根 たいら
| 生年月日 | 1947年11月3日 |
|---|---|
| 出身地 | 新潟県佐渡郡赤泊村 |
| 没年月日 | 2008年6月17日 |
| 職業 | 民俗工学者、技術史家、海洋農法顧問 |
| 活動分野 | 塩湿地再生、港湾近郊農法、塩根法 |
| 代表的概念 | 塩根法、潮袋式灌漑、逆浸透畝 |
| 所属 | 日本海沿岸民俗技術研究会、後年は国土調整庁外部協力員 |
| 著名な拠点 | 佐渡塩根研究地、能登潮田試験場 |
塩根 たいら(しおね たいら、英: Taira Shione)は、の者、塩湿地再生論の提唱者である。沿岸部における「塩根法」を体系化した人物として知られ、後期から初期にかけての制度化に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
塩根 たいらは、の海沿いで発達した塩湿地利用技術を、として再定義した人物である。彼の唱えた塩根法は、海水の浸入を完全に排除するのではなく、植物の根圏に微量の塩分を残すことで収量を安定させるという理論で、当初は漁村の経験則にすぎないとみなされていた。
一方で、塩根の研究はの沿岸農地荒廃と後の埋立地問題を背景に急速に注目された。とりわけの「沿岸低湿地対策調査」において、塩根のノートに記された“湿り気を消すと土地は痩せる”という一文が引用され、後年になって半ば標語のように広まったとされる。
生涯[編集]
幼少期と家系[編集]
塩根は、の北端に近い赤泊の網元系の家に生まれた。父・塩根庄兵衛は漁労具の修繕を副業としており、母・ミツは冬場に塩を含む海藻を畑へ撒く独自の習慣を持っていたという。たいらという名は、祖父が「海の近くでは平らに見える地面ほど危うい」と語ったことに由来する、と本人は晩年に述べている[2]。
小学校時代には、教室裏の排水溝に流れ込む海水の量を毎日記録し、という数字を独自に算出したとされる。なお、この記録は後年、本人がノートの端に描いた潮位表と混同されていたことが判明し、正確性には疑義がある。
青年期と発想の転換[編集]
にに進学後、塩根は機械科での構造を学び、同時に郷里の塩害田を観察していた。彼は、ポンプで水を抜くほどに田が固くなる現象に着目し、これを「抜きすぎた水は土を怒らせる」と表現した。教師のはこれを方言的比喩として扱ったが、塩根は後年までこの言い回しを論文の冒頭に用いた。
の夏、の親戚宅を訪れた際に、波打ち際の砂地に沿って青いハマエンドウが帯状に生えているのを見て、「根は塩を嫌うのではなく、分量を待っている」と考えたとされる。この着想が後の塩根法の原型であり、本人はのちに「発見は実験室ではなく、干潮のあとに来る」と書き残した。
研究者としての活動[編集]
塩根は、の公開講座に出入りするようになり、独学で測定と簡易地図化を行った。講座の履修生ではなかったが、配布資料の裏面に畝の断面図を大量に描き、担当教員のに「妙な熱量のある聴講者」と記録されている[3]。
には日本海沿岸民俗技術研究会の機関誌『潮と土』に「塩根論の予報」を投稿し、これが初の査読付き掲載となった。論文中で彼は、塩害地を三つに分類したうえで、に属する畑では“完全淡水化”より“半日遅れの灌漑”が有効であると主張した。この半日という数値は、潮汐表ではなく近所の銭湯の開店時刻から着想したとも言われる。
塩根法[編集]
理論[編集]
塩根法とは、海水由来の微量塩分を土中に残しつつ、作物の根が塩分濃度の変化を段階的に受け取るよう設計された農法である。塩根は、根を“感覚器官”ではなく“記憶装置”として捉え、季節ごとの塩の上下動を植生が覚えることで、収量が極端に落ちにくくなると説明した[4]。
理論上は非常に繊細であり、塩分が高すぎると葉脈が銀色に光り、低すぎると「根が迷う」とされた。これを防ぐため、彼はと呼ばれる麻袋に灰・海藻粉・砕いた貝殻を等量配合し、畝間に埋設する方式を考案した。袋の交換は満潮の翌朝に行うのが原則で、雨天時には作業を中止するという、やや宗教的な規律が付随していた。
装置と実験[編集]
塩根法の実験装置は、に能登潮田試験場で完成した「逆浸透畝・第3号」である。畝の内部に竹製の導水管を三層にわたって配置し、上層は雨水、中層は汽水、下層は塩分保持層として機能させた。測定値は毎週金曜日の午前9時17分に記録され、ぴったり17分で記録を打ち切る慣行があったことから、後続研究者は「たいら時刻」と呼んだ。
試験では、コメ、ハクサイ、ショウガの三品目が主に用いられたが、塩根本人は「最もよく反応するのはジャガイモでも米でもなく、畝の脇に生えるオオバコである」と述べている。実際、オオバコの葉幅が平均で伸びると畑全体の調子が良いとされ、農家の間で半ば占いのように扱われた。
社会的影響[編集]
塩根法は、後半にやの沿岸部で試験導入され、塩害田の“完全復旧”ではなく“限定復旧”を目指す発想へと政策を変えた。これにより、従来は耕作放棄とされた土地の一部が、薬草栽培や稲わら飼料の供給地として再評価されたとされる。
また、港湾整備の副産物として生じた微妙に塩っぽい遊休地を、観光資源ではなく生産資源として扱う考え方は、後のの「緩衝農地」施策に接続した。もっとも、塩根の支持者の一部は彼を技術者というより“干潮の哲学者”とみなし、講演会では必ず海水を一杯だけ飲んでから話し始めるという奇妙な流儀を真似したため、現場の公務員からはしばしば眉をひそめられた。
批判と論争[編集]
塩根法には当初から批判も多かった。特に農学部の一部研究者は、微量塩分の保持が作物の品質を安定させるという主張について再現性が低いと指摘し、塩根の実験区画が“海風の当たりやすい斜面だけを選んでいる”との疑義を呈した[5]。
また、塩根本人が収集した「漁村の口伝」を統計資料のように扱ったため、のちにの内部文書で「文化人類学的には興味深いが、施策化には慎重を要する」と評された。なお、彼の講演録には、聴衆が笑うと「笑った分だけ塩は下がる」と記された箇所があり、ここは編集者の間で真偽不明の名言として長く残った。
晩年[編集]
制度化と退場[編集]
、塩根はの委嘱で『沿岸低湿地の民間知に関する報告書』をまとめたが、本文の3分の1が図版、残りの大半が潮位の手書きメモで占められていたため、正式採用は見送られた。ただし、その附録にあった「土地は乾かすより、待たせる方が長持ちする」という一節だけは広く引用された[6]。
以降はに戻り、週2回の講話と、月1回の海岸清掃を続けた。晩年は自身の理論を「完成した技術」ではなく「土地と人の間の挨拶作法」と呼び、最後のノートには“畝の礼儀が荒れると浜が荒れる”と書かれていたと伝えられる。
死後の評価[編集]
の死後、塩根の名前は一時忘れられたが、の環境再生ブームのなかで再評価された。とりわけ、塩分過多地域の緑化に関わる現場技術者の間で、「塩根なら一度は畑を見てから会議を始めたはずだ」という言い回しが流行し、彼の実務主義が再発見された。
一方で、塩根法に付随する“潮袋を満月に吊るす”という儀礼的要素は、後年の模倣者によって過度に神秘化され、各地で似非民間療法との境界が曖昧になった。これにより、研究者のあいだでは現在でも、塩根を技術史に置くか、地方信仰史に置くかで見解が分かれている。
脚注[編集]
[1] 塩根が「民俗工学者」と呼ばれたのは、本人の自称と後年の編集上の整理が混在した結果である。
[2] 家系由来については、遺族が保管していたとされる聞き書き帳にのみ見える記述であり、一次資料としては慎重な扱いを要する。
[3] 黒田一彦のメモは大学史資料室に残るが、塩根の名前は鉛筆書きで追記されている。
[4] 塩分記憶説は、当時の植物生理学の主流とは一致しないが、現場では一定の支持を得た。
[5] この批判はのちに反論文が出されたが、掲載誌の休刊により広くは流通しなかった。
[6] 報告書の原本は国立公文書館の公開リストに見えるが、附録の所在は確認が難しい。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒田一彦『沿岸低湿地と民間知の接点』日本農政研究出版社, 1981, pp. 44-67.
- ^ 塩根たいら『塩根論の予報』潮と土編集部, 1978, pp. 3-19.
- ^ M. A. Thornton, "Salt Memory in Root Zones," Journal of Rural Ecology, Vol. 12, No. 4, 1984, pp. 201-219.
- ^ 渡辺精一郎『海風と畝の民俗学』北陸技術資料刊行会, 1992, pp. 88-112.
- ^ 国土庁沿岸対策室 編『低湿地再生に関する中間報告』官報資料刊行会, 1991, pp. 9-41.
- ^ Aiko Hoshina, "Delayed Irrigation and the Shione Method," Pacific Agricultural Review, Vol. 7, No. 2, 1990, pp. 55-73.
- ^ 斎藤宗一『新潟工業高校機械科記録簿 第十四集』私家版, 1969, pp. 121-123.
- ^ 塩根たいら『潮袋と逆浸透畝』能登潮田試験場紀要, 第3巻第1号, 1983, pp. 1-28.
- ^ Kenji Lowell, "The Ethics of Saline Agriculture," Coastal Systems Quarterly, Vol. 5, No. 1, 1993, pp. 17-29.
- ^ 『畝の礼儀が荒れると浜が荒れる――塩根たいら講話集』佐渡塩根研究会, 2002, pp. 5-76.
外部リンク
- 日本海沿岸民俗技術研究会アーカイブ
- 佐渡塩根研究地デジタル資料館
- 能登潮田試験場年報庫
- 国土調整庁 緩衝農地文書室
- 潮と土 電子版