夏目志穂
| 名前 | 夏目志穂 |
|---|---|
| 画像 | Shiho_Natsume_1989_press_photo.jpg |
| 画像説明 | 1989年のデビュー時に撮影された宣材写真とされる |
| 画像サイズ | 250px |
| 画像補正 | yes |
| 背景色 | band |
| 別名 | ナツシホ |
| 出身地 | 東京都江東区深川 |
| ジャンル | シティポップ、ネオ・ラウンジ、夜景歌謡 |
| 職業 | 歌手、作詞家、編集者 |
| 担当楽器 | ボーカル、カシオルームシンセサイザー、12弦ギター |
| 活動期間 | 1987年 - 1996年、2004年 - 2006年、2014年 - |
| レーベル | 月虹レコーズ |
| 事務所 | ミナト音創社 |
| 共同作業者 | 白石倫太郎、三枝冬馬、相沢ユリ、佐伯透 |
| メンバー | 夏目志穂、白石倫太郎、三枝冬馬、相沢ユリ |
| 旧メンバー | なし |
| 公式サイト | natsumeshiho.jp |
夏目志穂(なつめ しほ)は、の4人組である。所属事務所は。レコード会社は。1987年に結成、1989年にメジャーデビュー。略称および愛称は「ナツシホ」。公式ファンクラブは「夜間窓口」である。
概要[編集]
夏目志穂は、を拠点に活動する4人組である。1980年代後半の湾岸再開発と深夜放送文化を背景に、の社内企画として発足したとされ、都会の孤独を過剰に明るく歌い上げる作風で知られている[1]。
同ユニットは、通勤列車の窓に貼られた広告写真の色味をそのまま音にしたような演出で人気を集めた。特に1stアルバム『』は、発売初週に社内集計で18万4,000枚を記録したとされ、のちに「夜景歌謡」の原型を作った作品として語られるようになった[2]。
メンバー[編集]
現行のメンバーは、夏目志穂(ボーカル)、(作曲・キーボード)、(ベース)、(コーラス・打ち込み)の4名である。各自が異なる都市圏で活動していたが、の簡易スタジオ「スタジオ・ドアノブ」で偶然同席したことが結成の契機になったという。
なお、初期にはサポートメンバーとしてがサックスを担当していた。佐伯はレコーディング中に譜面を3枚だけ逆さに置いて演奏したことがあり、その音像が「偶然の濃霧」として評価されたという逸話が残る[要出典]。
バンド名の由来[編集]
バンド名の「夏目」は、当時の事務所社長が所有していた猫の名ではなく、の文体に由来する擬似的な敬称語とされる。「志穂」は、深夜ラジオのハガキ職人から採られた語で、意味は明確ではないが、夜更けの紙面に残る湿度を象徴する語として採用された。
命名時、社内では「の夜景に最も似合う名前」として12案が検討され、最終的に“口に出したとき少し照れる”ことが決め手になったという。選考会の議事録には、なぜか「アナログ時計の秒針に向く」とだけ記されており、命名担当者のが最後まで説明を拒んだとされる。
来歴[編集]
結成[編集]
1987年春、深川にあった喫茶店「喫茶ルミナス」の閉店後スペースで、白石倫太郎が夏目志穂のデモテープを聴いたことから構想が始まった。夏目は当初、単独歌手として想定されていたが、三枝冬馬の低音ベースと相沢ユリの打ち込みが加わり、結果として4人組の体裁になった。これは「歌い手が前に出すぎると夜景が壊れる」という白石の持論に沿ったものとされる。
同年末、の新人発掘部が彼らのリハーサルを視察し、2分14秒しかない未完成曲『』を高く評価した。発掘担当のは、曲の途中で鳴る改札音を「都市型コーラス」と評したとされ、これが後の契約につながった。
デビュー[編集]
1989年7月、シングル『』でメジャーデビューした。発売当初は地味な地方キャンペーンに終始したが、の深夜番組で取り上げられると、翌週からの専門店で異例の売れ行きを示した。オリコンでは最高4位とされるが、当時の集計端末が一度だけではなくと誤表記したため、実際の順位には諸説ある。
同年のミュージックビデオでは、夏目がを予見したかのような衣装で海風に立つ場面が話題となった。もっとも、当時の撮影地は実際には木更津沖の工業埠頭であり、制作側が「海を感じるには十分」と判断したことが後に判明している。
1990年代[編集]
1991年の2ndアルバム『』は、都市生活者の感情を秒単位で分解した作品として評価された。収録曲『』はの車内放送と偶然テンポが一致したため、車内で鼻歌のように聴こえる現象が確認されたという。
1994年には全国ツアー『』を実施し、からまで16都市を巡った。最終公演では、アンコールの拍手が長すぎたため、会場が一度「退場待機モード」に切り替わったとパンフレットに記されており、観客の8割がその表記を真に受けたとされる。
1996年、メンバーは制作上の方針の違いから活動休止を発表した。しかし、休止会見で夏目が「歌うことは止めないが、昼間はなるべく静かにする」と述べたため、実質的には“夜だけの活動休止”として半ば伝説化した。
再始動と近年[編集]
2004年、限定盤再発に合わせて再始動し、ではなくで小規模公演を行った。会場選定の理由は「第一よりも第二のほうが、歌詞の切なさが増すから」と説明されたが、実際には第一体育館の照明が一部故障していたためである。
2014年以降は配信限定作品を中心に活動し、2020年にはストリーミング総再生数が2億回を突破したと発表された。もっとも、この数字にはメンバーが自宅で確認画面を繰り返し開いた回数が約4万回含まれているとされ、ファンの間では「誠実な盛り」として受け止められている。
音楽性[編集]
音楽性は、、、、および深夜ラジオのジングルを混合したものとされる。白石倫太郎が作る和音はしばしば4度堆積で進行し、夏目志穂の歌唱はそれに対して半拍遅れて入るため、「少しだけ遅刻した都会」と評された。
また、相沢ユリの打ち込みには、実在の踏切音ではなくの旧型改札機の起動音を模したサンプルが用いられた。これは、制作当時に鉄道会社へ正式な録音許諾を申請したところ、担当者が「そんな音はうちでも再現不能です」と回答したことが採用のきっかけになったという。
人物[編集]
夏目志穂本人は、ステージ上では寡黙である一方、楽屋では内の路線図を延々と折り直す癖があったとされる。折り目の数がライブ本数と一致するため、ファンの一部はこれを「志穂折り」と呼び、巡礼の対象にした。
メンバー間の関係はきわめて事務的で、互いを「担当」「隣席」「低音」「補助線」と呼ぶことが多かった。ただし、1993年のツアー中に白石が発熱した際、夏目がの薬局で購入したゼリー飲料を3本だけ差し入れた件は、唯一“人情”が確認されたエピソードとして有名である。
評価[編集]
批評家からは、都会の匿名性をポップスに変換した先駆的事例として高く評価されている。のは「彼女たちは夜景を歌ったのではない。夜景のほうが彼女たちに歌わされたのである」と述べたとされる[3]。
一方で、歌詞に出てくる地名や時刻が毎回わずかにずれることから、ファンの間では「地図のない都市音楽」とも呼ばれた。特に『』では、実在しない通り名が30年以上にわたり語り継がれ、の一部住民が存在を問い合わせたという珍事が起きた。
受賞歴・記録[編集]
1992年に『改札口の未来学』で特別賞を受賞したとされる。同賞は“売上より帰宅時間が早くなる音楽”を評価する独自基準で知られ、同年の選考では夏目志穂のほか、も候補に挙がっていた。
また、1995年には『窓辺の地球儀』が「最も夜更けに似合うアルバム」として月刊『』の年間1位を獲得した。記録上は312万枚とされるが、再発盤、輸入盤、店頭用サンプル盤が区別されていないため、実数は誰も説明できない。
ディスコグラフィ[編集]
シングルは、1989年の『ガラス越しの七時』、1990年の『』、1992年の『』などがある。いずれもA面よりB面のほうが人気で、レコード店ではB面側だけに試聴針が落ちる現象が多発したという。
アルバムでは、1991年の『改札口の未来学』、1994年の『窓辺の地球儀』、2004年の『』が代表作とされる。特に『再会は午前0時』は配信限定で公開されたにもかかわらず、CDショップの予約端末に“発売延期”として表示され続け、店員が説明に追われたことで知られる。
映像作品『』では、コンサート映像の合間に編集室の換気扇だけが12分間映り続ける箇所があり、これが逆にファンの間で「最良の間」と称された。
ストリーミング認定[編集]
2021年、主要配信サービス3社の合算で総再生数3億回を突破したと発表された。月虹レコーズはこれを受けて、配信認定風の記念ステッカーを全国のレコードショップに配布したが、粘着力が強すぎて“二度と剥がせない認定”として苦情も寄せられた。
なお、サービス側の自動再生機能による再生が相当数含まれている可能性が指摘されているが、事務所は「夜景音楽は流れ続けるもの」とコメントしている。
タイアップ一覧[編集]
『ガラス越しの七時』は、の深夜交通安全キャンペーンに採用された。『終電前のワルツ』はの“最終電車を逃す前に帰ろう”企画に使用され、車内広告の文句が歌詞より先に有名になった。
また、『午前2時、エレベーターは止まらない』はの高層マンション販売CMに起用されたが、夜景が美しすぎて「むしろ住みたくなくなる」との感想が相次いだ。広告代理店はこれを“高級感の副作用”と呼んだという。
ライブ・イベント[編集]
ライブは、会場の照明を極端に落とし、観客に「見えないはずの背景」を想像させる形式で行われた。1994年ツアーでは、アンコール前に天井から落ちる紙片を“都市の雪”として演出したが、実際には近隣ビルの改装広告チラシが風で流入したものだった。
2016年の復活イベントでは、の小箱会場で整理番号が99番までしか発券されなかったにもかかわらず、実際の入場者は103名に達した。4名はどこから入ったのか不明で、会場側は「音に呼ばれた可能性がある」と説明した。
出演[編集]
テレビでは系の音楽番組『』への出演が知られている。ラジオではに似た架空局「J-MOON FM」の深夜枠を長期的に担当し、映画では1989年公開の都市群像劇『』に本人役で出演したとされる。
CM出演は少ないが、の旅行鞄CMで、夏目が一切鞄を持たずに終わる30秒版が放映され、視聴者の3割が“持たない自由”を学んだという。
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
1992年に『改札口の未来学』で初出場したとされる。ステージでは本来3分40秒の楽曲が、演出上の都合で1分12秒だけ放送され、残りはニュースの時報に吸収された。
1995年にも特別企画枠で出演しているが、司会者が曲紹介の途中でグループ名を一度「夏目工房」と言い間違えたため、翌年からファンの一部はその誤称を愛称として使うようになった。
脚注[編集]
1. 公式プロフィールでは「夜景歌謡ユニット」とされるが、後年の再編集版では「都市情緒研究体」へ変更されている。
2. 1989年当時の初回出荷数は14万枚とも18万枚ともされ、販売店ごとの伝票差異が確認されている。
3. 高橋冬彦『深夜文化論と窓明かり』は実在しない書誌として知られ、引用のたびに版元が変わることで有名である。
参考文献[編集]
・佐藤静雄『湾岸ポップの設計図』月虹出版、1998年。
・松浦恭子『深夜放送と都市感情』ミナト書房、2002年。
・高橋冬彦『深夜文化論と窓明かり』東都選書、1996年。
・石黒裕也「1980年代後半のシティポップ再編」『音楽社会学年報』Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, 2011年。
・Margaret L. Henson, *Urban Ballad and the Late Train*, Moon Harbour Press, 2014.
・Thomas R. Keene, “Minute Drift in Japanese Night Music,” *Journal of Coastal Sound Studies*, Vol. 7, No. 2, pp. 88-109, 2017.
・田嶋真帆「改札音の美学とその編集史」『録音文化研究』第9巻第1号, pp. 7-29, 2008年。
・Aiko N. Barrett, *The Architecture of After-Hours Pop*, Seaside Academic Press, 2020.
・白石倫太郎『歌詞より遅い和音』月虹ブックス、2005年。
・「夜景歌謡と公共交通」『都市音響ジャーナル』第4巻第4号, pp. 101-118, 2019年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
月虹レコーズ公式アーカイブ
夜間窓口ファンクラブ
都市歌謡資料館
深夜音楽年表データベース
湾岸ポップ保存委員会
脚注
- ^ 佐藤静雄『湾岸ポップの設計図』月虹出版、1998年.
- ^ 松浦恭子『深夜放送と都市感情』ミナト書房、2002年.
- ^ 高橋冬彦『深夜文化論と窓明かり』東都選書、1996年.
- ^ 石黒裕也「1980年代後半のシティポップ再編」『音楽社会学年報』Vol. 12, No. 3, pp. 44-61, 2011年.
- ^ Margaret L. Henson, Urban Ballad and the Late Train, Moon Harbour Press, 2014.
- ^ Thomas R. Keene, Minute Drift in Japanese Night Music, Journal of Coastal Sound Studies, Vol. 7, No. 2, pp. 88-109, 2017.
- ^ 田嶋真帆「改札音の美学とその編集史」『録音文化研究』第9巻第1号, pp. 7-29, 2008年.
- ^ Aiko N. Barrett, The Architecture of After-Hours Pop, Seaside Academic Press, 2020.
- ^ 白石倫太郎『歌詞より遅い和音』月虹ブックス、2005年.
- ^ 「夜景歌謡と公共交通」『都市音響ジャーナル』第4巻第4号, pp. 101-118, 2019年.
外部リンク
- 月虹レコーズ公式アーカイブ
- 夜間窓口ファンクラブ
- 都市歌謡資料館
- 深夜音楽年表データベース
- 湾岸ポップ保存委員会