失われたジャンケンの手一覧
| 分野 | 民俗学・遊戯研究 |
|---|---|
| 分類対象 | じゃんけんの拡張ジェスチャー |
| 成立経緯 | 戦後期の口承資料整理 |
| 主な記録媒体 | 学校の教材付録、地域誌、当事者の手帳 |
| 選定基準 | 手形の再現性・記録の重複・地理的連続性 |
| 対象地域 | 日本の複数府県(推定) |
| 典拠の性格 | 一部に矛盾を含む伝聞 |
| 関連用語 | 「欠損相互関係」「勝敗環の復元」 |
失われたジャンケンの手一覧(うしなわれたじゃんけんのていちらん)は、じゃんけん遊戯に付随していたとされる「追加の手」の体系を、伝聞資料に基づき分類した一覧である。複数の教育機関や地方の民間研究会で編纂され、遊びの作法と結びつきながら広まったとされる[1]。
概要[編集]
失われたジャンケンの手一覧とは、通常のに加えて存在したと語られる「追加の手」を、勝敗関係(どの手がどの手に勝つか)まで含めて整理した資料群である。
この一覧は、口承でしか残っていない手が「再現できる形」として記録され直される過程を反映しており、特定の地域では児童の間で“忘れると負ける”という戒めと結びついて紹介されたとされる[2]。なお、収録される手は10〜20種類程度に絞られる一方、同名の手形が異なる勝敗を持つ場合もあるため、本文では「登場した回数」と「一致度」を基準化しているとされる[3]。
一覧[編集]
=== Ⅰ. 反復型(決まるまで回す)===
1. (かげぐー、昭和33年)- 手の甲を床側へわずかに傾ける所作である。記録の多くでは「影グー同士は引き分け」ではなく、「影グーは相手のパーの“影”を切るため勝つ」とされる。ある漁村では、運動会の綱引き前に必ず2回出されたとされ、証言数だけで113人に達したと報告されている[4]。
2. (さんぱくちょき、昭和40年)- チョキを出す前に指を3回開閉させる。勝敗は地域により揺れるが、少なくとも静岡の一部では「三拍子が欠けたチョキは“負けチョキ”」と呼ばれたとされる。教材化された際、教師の手帳に「失敗率 7.3%」と小さく書き込まれていたという逸話がある[5]。
3. (にじゅうぱー、昭和45年)- パーの直後に手のひらを“もう一度”相手へ向け直す。学校給食のじゃんけん列抽選で採用されたことがあるとされ、当時の児童の訴えとして「二重パーだと早く当たる気がする」が採録されている[6]。
=== Ⅱ. 指先変形型(微差で勝つ)===
4. (いとちょき、明治末期伝承)- 親指と人差し指の角度を“糸が張る角度”にするという説明で残る。実際には記録者が定規を当てて角度を測ろうとして挫折した形跡があり、「角度は約37度前後」とされる一方、別資料では“45度”とも言及される[7]。
5. (われぱー、大正14年再発掘)- 手のひらを広げるが、薬指と小指だけわずかに開きすぎないようにする。これにより相手が“パーの形を誤認する”ため、結果として勝つと説明されたとされる。関連資料としての学級日誌が引かれ、そこでは「誤認誘導率 0.41」なる値が書かれている[8]。
6. (つめぐー、昭和28年)- グーのとき爪を意図的に見せる所作である。勝敗の原理は「爪が見えると“チョキの刃”が先に折れる」だとされ、子ども向け講話の見出しに使用された。なお、講話を担当したの局員名は「渡辺精一郎」として伝わるが、当時の公文書との突合は十分になされていないと指摘されている[9]。
=== Ⅲ. 身体連動型(腕・肩で判定)===
7. (かたちょき、昭和32年)- チョキを出す同時に肩を一段だけ上げる手形である。勝敗は「肩が上がらない肩チョキはただのチョキ」扱いとされ、遊びのルールが身体運動の確認にも利用された。体育委員の巡回記録では“正規判定”が毎回平均0.8秒で行われたとされる[10]。
8. (ひざぐー、昭和39年)- グーの出し方と同時に膝を一度軽く曲げる。記録には「着地前に出すこと」とあり、校庭の砂が服に付くと出し直しが発生するため、実務上“手数が増える手”として嫌われた時期がある[11]。
9. (こしぱー、昭和44年)- パーの際に腰を小さく押し出す。ある児童の作文では「腰パーは“押した分だけ未来が勝つ”」と比喩され、学級文集に採録された。なお当該文集の発行部数は3,000部とされるが、増刷の履歴が残っていないとされる[12]。
=== Ⅳ. 対戦儀礼型(合図を含む)===
10. (よびてぱー、昭和36年)- パーを出す前に短く相手を呼ぶ必要があったとされる。呼び声の長さが勝敗に影響すると言われ、「“ちゃん”が足りない呼び手パーは負ける」とする民間説が存在する。記録では、呼び声が“1.2秒”以上続いた場合に勝率が上がったとして集計が語られる[13]。
11. (だまりちょき、昭和50年)- チョキを出すまで発話をしないという儀礼である。会場はの自治会館とされ、沈黙の維持をめぐって小さな揉め事が発生した。自治会の議事録には「沈黙違反:当日4件、翌週2件」と記されている[14]。
12. (はくしゅぐー、平成2年伝承)- グーの前に1回だけ手拍子を打つ。選定の根拠として「手拍子の音が“合図の遅延”を調整するため」という説明が残っている。なお、音響担当のの講習資料と“似た図”が見つかったとされるが、出典は不明とされる[15]。
=== Ⅴ. 変名・重複型(同じ見た目でも別物)===
13. (ほしちょき、昭和37年)- チョキの指をわずかに“星の角”の形に寄せるとされる。別資料では同じ形がで“雨チョキ”と呼ばれていたという。語感の違いは多いが、勝敗環は「パーに勝つ」ものとして共通していると整理された[16]。
14. (あまぐー、昭和37年)- グーのとき腕を下ろし、雨垂れの動きを真似る。星チョキと同一ページに並べられていることが多く、研究会では「視覚連想で覚えやすいよう意図的にセット化されたのではないか」と推定された[17]。
15. (まぼろしぱー、平成元年)- パーを出したあとに指先を“払う”動作を加える。説明は「勝った気配だけを払い落とす」で、勝敗よりも気分の調整として語られた時期がある。運用上は“公平さを演出する手”として採用され、地区大会の参加者アンケート(回収 2,184票)で「納得感が増した」が上位に入ったとされる[18]。ただし、アンケートの原票は未確認であると記されている。
=== Ⅵ. 架空度が高いが、なぜか残る型 ===
16. (けっそんぱー、未詳)- 本一覧の中でも“失われたジャンケン”の象徴的存在とされる。記録では「パーなのに欠けた形であるため、欠損相互関係を作動させる」と説明されるが、実物の再現写真が存在しないとされる。にもかかわらず複数の地域で名前だけが一致しており、「本当に見た者が、口伝だけで残した」可能性が論じられた[19]。
17. (ぎゃくがちちょき、昭和31年)- 一見チョキに見えるが、勝敗の判定だけが逆になるとされる。運用時には審判役が必要で、児童から「逆勝ちチョキは大人が混ざると強い」と皮肉られたという。学校の備品台帳に「逆勝ち用札(赤・青) 各2枚」とあるため、札運用の仕組みがあったと推定されている[20]。なお、台帳の作成年月日は判読しにくい字で「昭和六三年」と書かれていたとされるが、一般的な暦との整合性は確立していない。
18. (しゅうしぐー、昭和52年伝承)- 対戦を終える合図として使うグーである。最終ラウンドでのみ出すとされ、勝敗の結果がどうであれ「終止グーを出した者が勝ち扱い」だった地域がある。理由として「試合を長引かせないための安全装置」だったとされる[21]。一方で、早く終わるほど“負けが薄れる”ため、不満を生むとも指摘されている。
(注)上記の「失われた手」は、複数の資料に同時に現れるものから優先して並べられているとされるが、実際の順序は編纂会ごとに異なったという証言がある。
歴史[編集]
口承の整理が始まった場:学級文集と副読本の時代[編集]
失われたジャンケンの手一覧が成立した背景には、戦後から昭和中期にかけて進んだ「遊びの規格化」の流れがあると説明される。市町村の教育委員会では、児童同士の衝突を減らすために、じゃんけんの“言い方”や“合図”までを副読本化する試みが行われたとされる。
その過程で、地域ごとに残っていた追加の手が「書き起こせる形」として採集され、附属の研修会で報告されるようになった。研修会の議事録には、記録者が各手形を「再現性」「反復の回数」「誤認の頻度」で採点したことが示されているとされる[22]。この採点法が、後年の一覧編集にも流用されたと推定されている。
なお、当時の編纂者は“手形の統一”を目指したが、実際には統一が進むほど逆に地域差が目立つことになり、「失われた手」が“幻の仕様”として語り継がれる現象が起きたとする見方がある。
勝敗環の復元:民間研究会と数字への執着[編集]
一覧編纂の次の段階として挙げられるのが、民間研究会による「勝敗環(しょうはいかん)」の復元である。研究会の中心人物には、の小学校教諭出身で“遊戯工学”を名乗った(はらだ わたる)がいたとされる。原田は、じゃんけんを単純な偶然ではなく、手形の条件分岐として捉えるべきだと主張したとされる[23]。
具体的には、各手の登場回数を年単位で記録し、相手との一致度をパーセントで示すことが試みられた。例えば、上に挙げたは、別地域の資料に同名が現れた回数が“12回”で一致度が“83%”だった、といった報告が散見される[24]。こうした数字の扱いは、真偽をめぐる議論を呼びつつも、熱心な読者を増やし、結果として「失われた手」の保存を加速させたとされる。
ただし、研究会の中には「一致度が高いものほど“古い”」と断定しすぎる傾向があり、歴史の層が混線したという批判もある。
行政との接点:副読本、講習、そして誤記[編集]
一方で、行政との接点も大きかったと説明される。教材配布のためにの委託名目で作られた冊子があるとされ、そこには“追加の手を出すときの注意事項”が箇条書きで掲載されたとする証言がある[25]。
しかし当該冊子の写しは現存せず、代わりに地方の図書館で見つかったとされる目次ページだけが語られている。目次にはが「欠損は悪い手」と読める見出しで載っていたとも言われ、後年の一覧編纂でわざと“逆読みにする編集”が行われた可能性が指摘されている。
このように、失われたジャンケンの手一覧は、保存と改変が同時に進むことで成立した体系だと考えられている。
批判と論争[編集]
失われたジャンケンの手一覧には、信頼性をめぐる論争が繰り返し発生している。第一に、同じ手名が地域ごとに別の勝敗関係を持つ点が挙げられる。例えばは「パーに勝つ」と整理されることが多いが、別の編纂資料では“の影を破る”ことで勝つとされ、勝敗の理由が統一されていないとされる[26]。
第二に、数字の扱いが過剰だという批判がある。上記の「勝率が上がった」「誤認誘導率 0.41」などの具体性が、むしろ編纂者の創作の痕跡ではないかと見なされたことがある[27]。ただし擁護側では、当時の児童の記録法が未整備だったため“推定値が混ざるのは自然”だと反論されている。
第三に、行政資料との整合性が完全ではない点である。特定年としてのような誤記に近い記述が台帳で見つかったとされ、資料の写しや翻刻の段階で人為的誤差が混入したのではないかと疑われている[20]。結局のところ、一覧は「過去を再現する書物」というより、「過去を信じたい気持ちが形になった記録」だとする立場もある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 原田 亘『じゃんけん遊戯工学入門:勝敗環の復元手法』遊戯工房, 1991.
- ^ 佐伯 美咲『学級文集に見える手形の変遷(仮)』日本教育民俗学会誌, Vol.12 No.3, 2004, pp. 45-62.
- ^ 田中 康雄『副読本と児童遊びの規格化』教育史研究会, 1987, pp. 101-118.
- ^ Margaret A. Thornton『Gesture-Based Games and Rule Memory』Journal of Play Studies, Vol.7 No.2, 2012, pp. 201-229.
- ^ 林 由紀子『誤認誘導という概念:割れパーの検討』地域教材研究, 第3巻第1号, 2016, pp. 33-51.
- ^ Sato, Keisuke『Transmission Errors in Folk Game Notation』Asian Folklore Review, Vol.19 No.4, 2009, pp. 77-96.
- ^ 渡辺 精一郎『学校講話における爪グー運用』教育行政資料集, 1956, pp. 12-20.
- ^ 公益図書館協議会『地域誌の巻末索引が語るもの』公益図書館協議会紀要, 第8巻第2号, 2020, pp. 9-28.
- ^ 村上 玲『終止グーと安全装置の系譜』子どもと遊びの研究, Vol.5, 1998, pp. 88-104.
- ^ 『失われた手一覧:編纂版の周辺事情』中部口承資料社, 1979, pp. 1-30.
外部リンク
- 勝敗環データバンク
- 地域学級文集アーカイブ
- 遊戯工学シンポジウム記録
- 欠損相互関係の掲示板
- 副読本探索クラウド