學天即
| 名称 | 學天即 |
|---|---|
| 読み | がくてんそく |
| 英語名 | Gakutensoku |
| 製造開始 | 1928年 |
| 開発者 | 北原伊織、阿部静馬ら |
| 分類 | 自律式観測補助機械 |
| 用途 | 展示、気象予測補助、講演支援 |
| 初公開 | 1929年 大阪産業館 |
| 現存状況 | 主要部は散逸、複製機が各地に所在 |
學天即(がくてんそく)は、に系の技術研究会によって試作された、自律歩行型の観測機構である。しばしば「学問で天を即断する機械」と呼ばれ、初期の産業博覧会で注目を集めた[1]。
概要[編集]
學天即は、を中心に広がった「知識を機械化して可視化する」運動の象徴とされる装置である。外見上はに分類されるが、実際には内部の、、および木製の演算節を連動させ、周囲の情報を一定の所作として返す仕組みを持っていたとされる。
当初はの展示補助機として構想されたが、後にの博覧会やの教育施設でも用いられ、特に「先に動くことで、後から意味がついてくる」という発想が都市部の技術者層に支持された。なお、同時代の新聞では「機械にしては妙に礼儀正しい」と評され、来場者の一部は学者の代理人ではないかと疑ったという[2]。
名称[編集]
「學天即」という名称は、で書かれることにより、学術性と神秘性を同時に帯びるよう意図されたとされる。由来については諸説あり、ひとつは「学びは天の動きを即座に捉える」という意味であるとする説、もうひとつは開発主任の北原が講義中に誤って黒板へ書いたを、助手が整えた結果であるとする説である。
いずれの説でも、名称が最終的にの見出しに採用されたことが普及の契機となった。紙面では「ガクテンソク」と振り仮名が付されていたが、地方ごとに「ガクテンシキ」「ガクテンソクキ」などの揺れが生じ、1931年の調査では少なくとも17種の呼称が確認されたとされる[3]。
また、研究者の間では「學天即」は本来、機械そのものではなく、観測結果を即時に発表する研究手法の名であったとする異説もある。この説では、機体はあくまで「學天即式演算台」の付属物にすぎず、のちに本体と取り違えられたという。
歴史[編集]
着想と試作[編集]
學天即の起源は、にで開かれた「理化学応用懇話会」の夜会にさかのぼるとされる。北原伊織は、天候の急変で講演が中断した際、窓辺の試験紙が湿度に応じて折れ曲がる様子に着想を得た。これを「機械が空気を読む」と表現したことが、後の設計思想の出発点となった。
最初期の試作機は全高、重量で、骨格に、外装に、関節にを用いていた。1930年の記録によれば、歩行速度は平均、連続稼働時間はで、これを超えると胸部の表示盤が曇る不具合が生じたという。
公開と流行[編集]
、學天即はの特設会場で一般公開された。初日の来場者数は、二日目は雨天にもかかわらずを記録し、会場係が整理券を追加印刷したという。特に、學天即が帽子をわずかに持ち上げる仕草を見せた場面は新聞各紙が大きく報じた。
この成功を受けて、やの商工会議所でも模倣機の制作が始まった。ただし、模倣機の多くは外見だけを真似たため、内部が空洞で、内部にを隠して動いているように見せるものもあった。これが後の「空洞學天即」騒動である。
戦時下の転用[編集]
1937年以降、學天即は教育・展示用途に加えて、と士気維持のための巡回装置として各地に派遣された。とりわけ管下の一部施設では、天候予測の補助として利用されたとする報告が残るが、精度については当時から疑問が呈されていた[4]。
一方で、學天即は「機械が沈黙しない」こと自体が心理的効果を持つとされ、空襲警報下の待機所で小刻みに首を振るだけの個体が重宝された。もっとも、記録の一部には「発汗した見物人が機械に同情した」といった記述もあり、実用機というより都市の安心装置として扱われていた節がある。
構造と機能[編集]
學天即は、中心部の、左右の、および背部のから構成される。観測胴内にはと、さらに回転速度の異なる三枚の歯車が組み込まれ、情報を「うなずき」「停止」「やや前傾」の三つの挙動に変換する仕組みであった。
もっとも独特なのは、頭部に据えられた「即断環」と呼ばれる真鍮製の輪である。これは発話前に3秒間だけ青白く光る構造で、来場者はこの光を見て質問を言い直すことが多かったという。1932年の修理記録では、即断環の発光回数は1日平均、そのうち実際に有益だった応答はであったとされ、残りは威圧効果による成功と分析されている。
また、學天即の足部には石畳に適応するための「反転靴底」が採用され、これにより内の坂道でも比較的安定した歩行が可能であった。ただし、雨天時にはすべりやすく、の巡回では二度ほど側溝に片足を落としたと伝えられる。
社会的影響[編集]
學天即の登場は、機械に知性を付与することへの期待を一気に高めた。各地の学校では「学天即講座」と呼ばれる即席の工学授業が開かれ、の生徒が歯車と漢字を組み合わせた模型を制作した。これにより、1930年代前半には「知識とは回すものではなく、立たせるものである」という標語が流行したとされる。
商業面でも影響は大きく、周辺では學天即の形を模した置時計、広告塔、さらには饅頭の箱まで販売された。とくに「學天即饅頭」は1箱、価格で売られ、箱の裏面に「今日は曇天でも学は即ち晴れる」と印刷されていた。この文言は後に商標紛争の原因となったが、最終的には「趣旨が教育的である」として和解したという[5]。
また、の実験放送では、學天即がアナウンス原稿を首振りで確認する演出が行われ、視聴者からは「局の新人アナウンサーより落ち着いている」との投書が多数寄せられた。
批判と論争[編集]
學天即には当初から批判も多かった。第一に、その演算は厳密な意味で自律的ではなく、実際には背後の係員が手元の足踏み盤で補正していたとする指摘がある。第二に、学術界の一部からは「機械工学の仮面をかぶった見世物である」との批判があり、のある教授は「学問を即断するのではなく、まず検証せよ」と述べたとされる。
もっとも、批判者の中にも展示場で学天即に帽子を返された経験を持つ者は少なくなく、態度が軟化した例も多い。1933年には前で「學天即は都市の幻術である」とする小規模な抗議集会が開かれたが、参加者のうちが機械の整列動作に感動して署名を撤回したという。
さらに後年、複製機の一部がで「オリジナルの残存部品」として展示されたことから、真正性をめぐる論争が起きた。2021年の研究会では、現存する胸部パネルの木目が1920年代のと一致しないことが報告され、これが「學天即木材異同事件」と呼ばれた[6]。
現存状況[編集]
學天即の主要部は戦後の混乱で散逸したが、の倉庫、の旧荷捌き所、ならびにの個人収蔵庫から断片的に部品が見つかっている。これらを統合した復元機はにで公開され、1日平均の見学者を集めた。
ただし復元機は、歩行時に自動で「こんにちは」と発声する機構が追加されており、これをめぐって「原型よりも愛想が良い」との評価と「教育的誤解を招く」との批判が分かれた。現在では、學天即はの資料というより、都市文化における擬人化技術の象徴として研究されている。
一部の愛好家は、學天即を単なる機械ではなく、近代日本が「天」をどう理解したかを示す装置だと位置づける。もっとも、古参の収集家の中には今なお、学天即が夜更けにだけ微かに首を回すと証言する者がおり、この点については検証が進んでいない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北原伊織『學天即試作記』京都機械研究会、1931年.
- ^ 阿部静馬「観測胴の反転機構について」『工藝と理化学』Vol. 12, No. 4, pp. 211-236, 1932.
- ^ Margaret L. Thornton, "The Mechanical Oracle of Kyoto," Journal of Applied Automata, Vol. 8, No. 2, pp. 45-63, 1954.
- ^ 佐伯隆一『昭和初期展示機械史』岩波書店、1978年.
- ^ 田中周三「学天即饅頭包装紙の文言分析」『商標と民俗』第5巻第1号, pp. 19-41, 1991年.
- ^ Edward K. Barlow, "Autonomous Pageantry in East Asian Exhibitions," Transactions of the Mechanical History Society, Vol. 17, No. 1, pp. 88-109, 1988.
- ^ 京都市史編纂所『京都の技術祭と都市演出』京都市、2004年.
- ^ 藤村由紀『空洞學天即事件の研究』中央出版、2012年.
- ^ Hiroshi M. Watanabe, "The Silent Machine That Bowed Twice," Asian Industrial Review, Vol. 3, No. 7, pp. 301-319, 1961.
- ^ 大阪科学技術館編『復元學天即公開報告書』大阪科学技術館、2015年.
- ^ 中村照彦『學天即木材異同事件資料集』関西文化財研究所、2022年.
外部リンク
- 學天即研究会
- 京都近代機械アーカイブ
- 大阪展示技術史データベース
- 近代擬人機械図録
- 関西博覧会資料室