定金幸雄
| 氏名 | 定金 幸雄 |
|---|---|
| ふりがな | さだがね ゆきお |
| 生年月日 | |
| 出生地 | |
| 没年月日 | |
| 国籍 | |
| 職業 | 演出家、舞台音響設計者 |
| 活動期間 | - |
| 主な業績 | 『音のカウンタ』方式の体系化/舞台暗騒音の定量化 |
| 受賞歴 | (1973年)、(1986年) |
定金 幸雄(さだがね ゆきお、 - )は、の演出家である。"音のカウンタ"の提唱者として広く知られる[1]。
概要[編集]
定金 幸雄は、の演出家であり、舞台上の音響演出を「可視化できる計測」へ寄せたことで知られる人物である。とりわけ、照明の明暗だけでなく、観客の緊張が上がる瞬間の“気配”を数値化する「音のカウンタ」を考案したとされる[1]。
彼の方法は当初、控え室の古い計算尺と、舞台袖で鳴る足音の録音を切り貼りする程度の素朴さから始まり、のちに劇場技術者のあいだで「耳のタイムカード」と呼ばれるようになった。なお、定金は自著で「私は楽器ではなく、間の血圧を測った」とも述べたとされる[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
定金はに生まれたとされる。父は海軍被服廠の計量係で、食堂の湯気量まで記録していたという逸話があり、定金は幼少期から「数えることで安心する癖」を身につけたと説明される[3]。
一方で、定金は小学校の算数でつまずいたとも伝えられる。理由は「答案用紙の余白が狭いと呼吸ができない」と本人が言ったためだという。教師が“余白の代わりに暗記カード”を提案し、以後、定金は暗記カードに挟まった紙の厚み(正確には0.18mm)で気分が落ち着くようになったとされる[4]。
青年期[編集]
後半、定金はの音響研究会に参加し、劇場で使われる吸音材の種類を現場写真で分類した。彼のノートには「玄関の反響→1.7秒、客席中央→1.2秒、奥袖→2.3秒」など、やけに細かい値が並んだといわれる[5]。
この時期、定金は米軍放送を密かに聞き、英語のキュー(合図)に相当する日本語が曖昧であることに気づいたとされる。そこで彼は、舞台進行の台本に「音声キューの秒数」を併記する習慣を作った。のちの「音のカウンタ」は、この併記が“観客の反応”へ滑り始めたことから生まれたと説明される[6]。
活動期[編集]
、定金は舞台技術会社の下請けとして採用され、最初の担当は地方劇団の古典劇『春の潮路』だったとされる。彼は暗転中に流れる床下の軋みを“ノイズ”として消すのでなく、一定の周期で残した。結果として、観客の視線が自発的に戻る現象が観察され、劇団主催者が「何かが約束されている感じがする」と述べたとされる[7]。
その後、定金はから3年間、劇場の天井高と反響率の関係を計測する共同研究に参加した。研究グループの代表は建築音響の技師であり、定金は“低周波は嘘をつく”という松原の口癖に影響を受けたとされる[8]。なお、定金自身は低周波の影響を排除したのではなく「嘘が混ざる余地」を演出へ転用したと語ったと伝えられる[9]。
晩年と死去[編集]
晩年の定金は、若手演出家へ「音は感情の翻訳ではなく、注意の地図である」と講義したとされる。彼は自宅の書斎で、壁に貼ったメモを毎朝並べ替える儀式を続けたという。メモは合計73枚で、並べ替えにかかる時間は6分17秒が最も落ち着くと本人が記録していたとされる[10]。
、定金は国内で死去した。満年齢は77歳とされ、死因については「呼吸のリズムが止まった」とだけ語られたとも伝えられる[11]。ただし、関係者の一部には「実際には転倒で救急搬送された」という別説もある[12]。
人物[編集]
定金は几帳面でありながら、舞台では意図的に“ズレ”を残すことを好んだとされる。本人は「きっちり正しいものは退屈になる」と語り、音のカウンタの基準値から±0.7だけ外す調整を“甘さ”として認めた[13]。
逸話として、初期の公演で彼は観客の咳が多い日のために「咳の統計」を取り、次回公演では咳払いの後に必ず短い沈黙を挟むよう台本を改稿したという。劇場スタッフはそれを「優しさの暴力」と呼んだが、結果は好評だったと伝えられる[14]。
また、定金は食にうるさく、楽屋で必ず出前を取る店を1軒だけに絞った。注文は同じでも、配達員が玄関に立った時刻が19:42±3分の日だけ“空気の流れが違う”として演出を変えたという[15]。このこだわりが、のちに彼の計測思想を“人間の時間”へ接続する原動力になったとみなされている。
業績・作品[編集]
定金の代表的な業績は、舞台音響演出の設計手順を「音のカウンタ」として体系化した点にある。彼は、照明の開始や衣擦れのタイミングに合わせて、観客の注意が移動する瞬間を“計測単位”へ落とし込むことを試みた。ここでいう注意は、聴覚刺激そのものではなく、刺激が生む“待ち”の伸びとされる[16]。
作品(あるいは演出方式としての成果)としては、次のような公演がよく挙げられる。『春の潮路』(1950年、地方巡回)、『影の織機』(1964年、俳優劇団)、『沈黙の三角形』(1978年、国際演劇祭の招待枠)。特に『沈黙の三角形』では、舞台上の三方向から微弱な環境音を流し、観客が沈黙を「形として認識する」ことを狙ったとされる[17]。
また、定金は技術書として『舞台暗騒音の定量化:第1版』(1982年)を出版した。彼は同書で、測定器の型番まで記しつつ「型番は真実を運ばない」と断り書きを入れたという。なお、この本の売上は初版だけで12,340部に達したと伝えられる[18]が、出版社側は「正確な数字は不明」と注記している[19]。
後世の評価[編集]
定金の評価は概ね肯定的である。とくに劇場技術の現場では、彼の方法が“感覚”を“段取り”に変換する道筋を与えた点が評価されてきた。技術者は、定金の考え方を「演出を再現可能にした職人の倫理」と表現したとされる[20]。
一方で、批判も存在した。音のカウンタは観客の反応を前提にするため、会場の条件が変われば成績が落ちると指摘されたのである。さらに、彼が残した“±0.7の甘さ”は、説明可能な範囲を超えているとして、研究者のあいだで「経験の神秘化」とみなされたこともあった[21]。
なお、定金の弟子筋では「彼は数値を信じたのではなく、数値が嘘をつく瞬間を信じた」との言い方がある。この解釈は、定金の晩年の講義記録に一致するとも主張される[22]。
系譜・家族[編集]
定金の家系は、明治期の港湾測量に関わった「定金」という苗字の系譜に由来すると語られている。本人はそれを否定せず、「測量の癖は骨に残る」と話したとされる[23]。
定金の家族構成としては、妻(1925年生まれ)と、長男、次女がいたとされる。由紀子は舞台衣装の染色担当で、定金の計測メモの一部に色名を添えていたという。たとえば「床下の暗騒音→青灰、暗転→墨色」というふうに、色と音が並ぶ不思議な索引が残っていると伝えられる[24]。
定金直樹は通信工学へ進み、のちに舞台音響の解析ソフトの開発に協力したとされる。澪は児童演劇の活動を続け、定金の“注意の地図”を子ども向けに翻案した講演を行ったとされる[25]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山形正臣『音のカウンタと演出の定量化』桐原書房, 1984.
- ^ 松原 玲子『建築音響の基礎と実務:反響率の揺れを読む』日本音響工学会出版, 1962.
- ^ 中里 隆司『再現可能な舞台倫理』水晶社, 1993.
- ^ 定金幸雄『舞台暗騒音の定量化:第1版』葛城舞台機構出版部, 1982.
- ^ 朝比奈芸術賞選考委員会『第29回受賞者記録:演出部門』朝比奈芸術財団, 1973.
- ^ 文化工学奨励賞事務局『技術と芸術の接点報告書(Vol.3)』文化工学奨励賞事務局, 1986.
- ^ Yukio Sadagane "The Attention Map Model for Stage Sound" Journal of Theatrical Acoustics, Vol.12 No.2, pp.41-58, 1991.
- ^ Tetsuo Nakamori "On the Myth of ±0.7" Proceedings of the International Symposium on Stage Metrics, 第4巻第1号, pp.77-90, 1989.
- ^ 『北浜文芸座年表(1948-1979)』北浜文芸座編, 1980.
- ^ (書名の一部が誤記されている)『沈黙の三角形 上巻:新装版』北泉印刷, 1979.
外部リンク
- 定金幸雄資料室
- 葛城舞台機構アーカイブ
- 北浜文芸座公演データベース
- 朝比奈芸術賞デジタル記録
- 文化工学奨励賞レポート閲覧所