屁曝者
| 名称 | 屁曝者 |
|---|---|
| 読み | へばくしゃ |
| 英語 | Hebakusha |
| 成立 | 18世紀後半から19世紀初頭 |
| 主な活動地 | 江戸、東京、大坂、横浜 |
| 関連領域 | 民俗芸能、衛生史、都市風俗 |
| 代表的器具 | 曝扇、香籠、布貼面具 |
| 保護団体 | 日本屁曝者協会(1928年設立) |
| 禁令 | 1907年の公衆悪臭抑制令 |
屁曝者(へばくしゃ、英: Hebakusha)は、末期の都市下層民のあいだで成立した、放屁の直後にとの双方を「曝す」ことを職能化した者の総称である。のちに期の衛生思想と結びつき、半ば娯楽、半ば公衆衛生の技芸として・を中心に流行した[1]。
概要[編集]
屁曝者は、単に放屁を恥じるべきものとして扱うのではなく、いったん体外へ出た気流を「可視化し、香りを整え、周囲に公開する」ことで意味を与える職能であるとされる。とくにや、長屋の共同便所周辺で需要があり、臭気の強さを競う者、音の澄み具合を鑑定する者、場を和ませる者の三系統に分かれていたと伝えられる[2]。
一般には滑稽芸の一種とみなされがちであるが、初期の屁曝者はの利用や換気構造の研究にも関わっていたとされ、都市衛生の実地観測者としての側面を持っていた。なお、の一部文書には「屁気試験人」として記載された例があるが、同一集団を指すのかは確定していない[3]。
歴史[編集]
起源と前史[編集]
起源は年間の界隈に求められることが多い。飢饉後の雑多な見世物のなかで、ある香具師の一座が、屁の音に合わせて線香の煙を扇で散らす演目を試みたのが始まりとされる。これが評判を呼び、観客が「音より先に匂いを見たい」と言い出したことで、屁を放った直後に布で囲い、香木の粉を撒いて「曝す」型が成立したという[4]。
もっとも、の流れをくむ町人学者・が、屁の拡散角度を三角関数で記録した『放気散布考』を著したことが、職能化の決定打であったともいう。同書では、畳六枚の座敷における臭気の残留時間を「冬二分、夏四分」と算出しており、後世の研究者からは「妙に精密だが、測定法が不明」と評されている[5]。
明治期の制度化[編集]
10年代になると、下の寄席や浴場で「屁曝改良組合」が組織され、講習では腹圧、姿勢、扇の角度、香りの選定が教えられた。とりわけの博覧会余興に出たは、竹筒を用いて臭気を一方向に逃がす装置を考案し、観客席の前列にいた外国人技師が「East Asian ventilation art」と記したことで国外にも断片的に知られたとされる[6]。
一方で、は1907年に公衆悪臭抑制令を施行し、道端での実演を原則禁じた。これに対し屁曝者たちは、演目を屋内化し、代わりに「香気の先出し」や「残臭の遅延」などの高度な技法を発展させた。結果として、単なる放屁芸から、嗅覚の演出を中心とする準舞台芸術へと変質したのである。
大正・昭和の再編[編集]
期にはの小劇場文化と結びつき、屁曝者は漫才師や曲芸師と同じ舞台に立つことが多くなった。とくにが発明した「三段曝し」は、一回の放屁を高音・低音・無音の三層に分けて見せる技で、当時の『帝都芸能新聞』は「笑いの構造が近代化した」と評している[7]。
初期には、が主催した衛生啓発キャンペーンに協力し、便所換気の改善を訴える実演が各地の小学校で行われた。ただし、子ども向け講演の最中に演者が過度に熱演し、校舎裏の金魚鉢が全滅した事件があり、これが「屁曝者は教育的だが扱いが難しい」との通念を生んだ。
戦後から現代[編集]
戦後はの風紀規制により一時衰退したが、1958年の開業記念余興で復活の機運が生じた。高所での実演は上昇気流の影響が大きく、記録によれば、当日の平均拡散半径は地上の約2.7倍に達したという[8]。この数字は誇張とされることもあるが、少なくとも会場周辺の露店商が「焼きそばの売れ行きが落ちた」と証言している。
21世紀に入ると、屁曝者はYouTubeや配信文化と結びつき、音声波形を公開しながら「静音型」「熟成型」「逆流型」などの分類を行うようになった。日本屁曝者協会は2023年時点で登録会員214名、準会員481名と発表しているが、準会員の定義に未成年の見習いが含まれるかどうかは、いまだ議論がある[要出典]。
技法[編集]
屁曝者の技法は、古典的には「起気」「留気」「散気」の三工程に整理される。起気は腹部の緊張を整える所作、留気は一瞬だけ発生を遅らせる間合い、散気は香木や扇で周囲へ公開する操作を指す。
代表的な器具としては、薄い和紙を張った、香料を仕込む、観客の嗅覚を保護するがある。とくに香籠はの線香店と共同開発されたとされ、桜、蘇芳、炭、味噌の四種が定番であった。味噌が定番に含まれる理由は不明であるが、当時の実演家は「最も人間らしい匂い」と説明していた。
また、上級者は「無音であるが匂いだけは濃い」という逆説的な芸を重視した。これは観客の反応が遅れるほど笑いが増幅するという経験則に基づくもので、現代の笑芸研究では「遅延笑い理論」として紹介されることがある。
社会的影響[編集]
屁曝者は、都市の衛生観念と羞恥心の境界を揺さぶった存在として評価されている。とくにが推進した「清潔・沈黙・整列」の価値観に対し、身体音を公的に扱うことで、私的領域に閉じ込められたものの再公共化を果たしたとする研究がある。
一方で、商店街や学校、劇場の周辺では実害も少なくなかった。1924年のでは、屁曝者の公演後に犬が三匹同時に退避した記録が残り、町内会は翌週から「演者は川風のある日に限る」との内規を設けた。また、製紙業者のあいだでは、屁曝者の存在が「厚紙の換気孔位置」に影響したという説もあるが、こちらは関連性が曖昧である。
批判と論争[編集]
批判の多くは、屁曝者が公衆衛生に資するという建前の下で、実際には露骨な下品さを商業化していたのではないか、という点に向けられた。とくに30年代の新聞投書欄では、「子どもが真似をする」「商店街の空気を読むべきだ」といった苦情が相次いだ。
また、協会内部でも、臭気を芸術として高める派と、あくまで生活技術としての実用性を重んじる派が対立した。1976年の大会では、「香りを付けた時点で純粋な屁ではない」とする保守派が退場し、以後は「生屁派」「調香派」「沈黙派」に分裂したとされる[9]。なお、沈黙派の理論書『無響の倫理』は、現在も一部の演芸研究者に珍重されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 榊原一之進『放気散布考』和算文化研究会, 1842.
- ^ 杉本兼吉「屁曝改良組合における曝扇の角度」『東京風俗學報』Vol. 12, No. 3, 1894, pp. 41-58.
- ^ 内務省衛生局編『公衆悪臭抑制令関係資料集』帝都行政出版, 1908.
- ^ 田中久美子『都市の鼻孔と笑いの政治』青楓書房, 1979, pp. 113-149.
- ^ M. R. Thornton, 'The Public Display of Flatulence in Early Modern Japan', Journal of Comparative Folklore, Vol. 8, No. 2, 2004, pp. 201-226.
- ^ 佐伯俊太郎「浅草小劇場における屁曝者の演目構造」『演芸史研究』第7巻第1号, 1956, pp. 5-19.
- ^ Elizabeth W. Crane, 'Smell, Shame, and Civic Order', East Asian Performance Review, Vol. 3, No. 4, 2011, pp. 77-96.
- ^ 日本屁曝者協会編『会員名簿と技法規程 第十四版』日本屁曝者協会事務局, 2023.
- ^ 高橋源三郎『無響の倫理』大坂匂気社, 1977.
- ^ Philip J. Arkwright, 'Ventilation, Comedy, and the Hebakusha Tradition', Proceedings of the Yokohama Institute of Urban Anthropology, Vol. 5, 1998, pp. 9-34.
外部リンク
- 日本屁曝者協会
- 東京都市臭気史アーカイブ
- 浅草演芸資料室
- 横浜民俗風俗研究センター
- 帝都笑芸データベース