山猫の夏休み
| ジャンル | 会話シミュレーション/探索 |
|---|---|
| 対応機種 | 据置型家庭用(架空ハード名:カメラキューブ系) |
| 発売年 | |
| 開発/販売 | (販売:) |
| 販売本数 | 約200本(流通推計) |
| 舞台 | の山間集落“狐穴村”(架空) |
| 特徴 | 日記ログ再生型の会話分岐 |
| 制作期間 | 17か月(社内報告書の抜粋) |
(やまねこのなつやすみ)は、1999年に発売されたとされる幻のテレビゲームである。生産・流通をめぐって記録が乏しいことで知られ、販売本数は200本と推定される[1]。一方で、夏休みの“日常”を音と会話で編み直す奇妙な設計思想が注目されてきた。
概要[編集]
は、1999年に発売されたとされる会話シミュレーションゲームである。プレイヤーは山間集落に迷い込んだ“通いの客”として、宿題・川遊び・夜更かしといった断片的な出来事を回収し、最後に「一度だけ本当の言葉を選ぶ」仕組みを体験することになると説明される[1]。
ただし、作品の実在をめぐっては疑義も多い。現物が確認されるケースが少なく、販売本数は200本に満たないとする説がある一方、卸の段階で帳簿が消えているため、正確な数は不明であるとされる[2]。
周辺では「幻のゲーム」という語が先行しがちであるが、ゲーム史の観点では“日常の編成方法”に焦点が当てられてきた。音声の反復再生を、単なる演出ではなく記憶の再構成装置として使った点が、後年の作品群に影響したとする指摘がある[3]。
概要(ゲーム内容と仕組み)[編集]
物語の中心は、プレイヤーが毎夜“夏休み日記”を一文だけ書き足し、翌朝にその一文が誰の会話を変えるかを観察する形式である。日記ログは全部でまでしか保存できない仕様とされ、語数オーバーの条件ではペナルティとして音声が「聞こえないノイズ」に変換されると記述される[4]。
探索パートでは、決まったマップ名ではなく「音の届く半径」によって行ける場所が変わる。例えば、夜の付近では効果音の反響が強く、会話分岐が2段階増えるとされる。さらに、雨の日にだけ「山猫の声紋解析」が作動し、同じ台詞でも語尾の揺れが異なることがあるとされる[5]。
この作品の“仕組みとして面白い”点は、分岐が物語の進行ではなく、プレイヤーの“記憶の編集”に紐づけられているところにある。つまり、選択肢を選ぶのではなく、日記を短くすることで会話の焦点が変わる。制作資料では「選択は視点である」と繰り返し書かれていたとされ、後の会話システムにおけるミクロな焦点調整の先駆けとして語られる[6]。
歴史[編集]
企画の起源:『夏休みを盗聴する』会議[編集]
企画の発端は、の社内会議であると伝えられる。報告書の要旨によれば、1998年の夏、同社の代表取締役であるは「学校の机が“音の貯蔵庫”として機能するなら、ゲームも同じように記憶を貯蔵できるはずだ」と発言したとされる[7]。
また、会議には外部協力としての企画部員が参加していたと記録される。彼は「子どもの夏休みは、誰にも監視されていないようで、実は周囲の大人が会話を盗聴している」と主張し、その比喩をそのままUIに転用する案が採用されたとする説がある[8]。この“盗聴”は比喩でありつつ、実装上は“耳の距離”として変換されたという。
なお、ここで不自然な数字が出てくる。資料には「最初の試作はで会話が飽和するため、音の反復はで打ち切る」と書かれており、数値の根拠は不明とされる[9]。ただし当時のデバッグメモが残っているという証言があり、真偽は揺れながらも細部だけは生々しい。
開発と発売:帳簿が消えた流通ルート[編集]
開発は17か月で完了したとされ、最終調整はの録音スタジオで行われたと推定される。制作陣は“山の夜の呼気”を採取したというが、これが演出上のノイズ処理に転用されたのではないかとする見方がある[10]。
発売はの8月末とされ、販売先は大都市の量販店ではなく、地域密着型のゲーム棚を置く小規模チェーンに限定されたとされる。その結果、出荷は「3箱×50本=150本」、さらに追加補充「2箱×25本=50本」で合計200本になった、という“きれいすぎる”推計が広まった[11]。
しかし、卸の伝票には途中から空欄が続くとされる。編集者のが古い電話帳を突き合わせたところ、当時の流通責任者の名がの同名人物と一致しない、とする指摘もある[12]。この点は後述の批判とも結びつき、作品の実在性に影が差した。
社会への波及:夏休み会話研究の“誤差”が広まる[編集]
作品が本当に200本だけだったのかはともかく、周辺の“研究”や“派生”は早かったとされる。1999年秋には、通信教育系教材として「日記ログの復元」なる講座が出回ったという。これはが、ゲームの演出を参考に“学習者の発話誤差”を扱う方法としてまとめたとされる[13]。
一方で、音声学の研究者は慎重で、「誤差」という言葉を都合よく使っただけだと批判したとも伝えられている。そのため、大学のゼミでは“誤差を測るより、誤差が出る場を設計せよ”という言い回しが流行したとされる[14]。
さらに、作中の“言葉の選択は視点である”という方針は、後年の会話UIで増える“語尾の揺れ”表現に結びついたと論じられる。これは直接的な引用ではなく、模倣にも満たない影響だとされつつ、それでも細部は残っているという評価になっている[15]。
批判と論争[編集]
最大の争点は、実物の確証が乏しいことである。フリマやオークションでは断片的に目撃談が出るが、同梱物の紙が「平成の紙質」になっていないとする指摘があり、当時の印刷事情と噛み合わないという声がある[16]。もっとも、印刷が遅延して後から差し替えられた可能性も指摘されるため、決着はついていない。
また、ゲーム内容の“盗聴”という比喩を巡っては、子どもの夏休みを過度に監視的に描く表現だとして批判されたとされる。特に、雨の日にだけ作動するが、音声の個人性を強調しているように見える点が問題視されたという[17]。
さらに、販売本数200本という数字があまりに整っている点も疑問として挙げられる。4桁の誤差が必ず出るはずの流通で、なぜ端数が出ないのか、という突っ込みは複数の研究会で繰り返された。一方、当時の帳簿担当者が「数字を丸める癖があった」との証言があるため、完全否定は難しいとされる[18]。
このように、は“幻の実在”と“残った影響”が同居しているタイプの作品だと整理されることが多い。読者は「これマジ?」と思いながらも、妙に具体的な数と地名に引きずられて信じたくなる、という性質があると論じられてきた[19]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 霜待 由利『幻の家庭用会話UI:1999年の夏に起きたこと』青嵐社, 2001.
- ^ 波戸川 芽吹『日常の焦点設計:選択は視点である』尾根谷出版社, 2000.
- ^ 矢杭 光琉『流通は物語である:200本という数字の周辺』環州電商調査室報告, 第3巻第2号, 2002.
- ^ 佐倉那月『音声反復と学習者の誤差』『Journal of Interactive Memory』Vol.12 No.4, pp.31-58, 2004.
- ^ M. Kisaragi『Echo Saturation in Dialogue Games』『Proceedings of the Sound Interface Society』Vol.7 No.1, pp.77-99, 2003.
- ^ 田端碧『盗聴の比喩はどこまで許されるか:子ども表象の倫理的設計』明鏡倫理学会紀要, 第9巻第1号, pp.101-140, 2005.
- ^ 潮見サウンド工房編集部『山の夜の呼気採取記録:技術と逸話』潮見サウンド工房, 1999.
- ^ ベネット・アッシュ『Micro-branching in Narrative Interfaces』『International Review of Game UX』Vol.19 No.2, pp.200-222, 2006.
- ^ 戸崎波留『幻のカセットと帳簿の空白』内海アーカイブ研究所叢書, 第1巻第6号, pp.9-44, 2011.
- ^ L. Tanbo『Why 7 Loops? An Unofficial Note on Field Sounds』『Audio Oddities Quarterly』Vol.2 No.9, pp.1-12, 2012.
外部リンク
- 山猫の夏休み資料室
- 狐穴村アーカイブ
- 環州電商伝票調査会
- 潮見サウンド工房アーカイブ
- 夏休み日記ログ解析ノート