山盛りご飯
| 名称 | 山盛りご飯 |
|---|---|
| 別名 | 盛山飯、頂上飯 |
| 発祥 | 神奈川県横浜市周辺 |
| 成立 | 明治27年頃と推定 |
| 分類 | 米飯料理、儀礼食 |
| 主な材料 | 白米、湯、少量の塩 |
| 関連機関 | 帝国炊飯改良委員会 |
| 代表的容器 | 六寸高台茶碗 |
| 儀礼 | 盛り高さ確認、箸立て禁止 |
| 流行地域 | 日本、台湾、旧植民地都市部 |
山盛りご飯(やまもりごはん、英: Mount Rice)は、茶碗から山のように盛り上げた米飯の様式である。主としての家庭料理に分類されるが、その起源は中期の沿岸部で行われた炊飯試験にさかのぼるとされる[1]。
概要[編集]
山盛りご飯は、茶碗の縁を明確に超えるように米飯を盛り上げた食べ方、またはその盛り方自体を指す。一般には大食いの象徴とみなされるが、成立当初はの港湾労働者における「正確な配給量確認」のための実務的手法だったとされる。
後年、がこれを「視覚的満足度を伴う食事規格」として再定義したことで、庶民の食卓に広く浸透した。なお、盛り付けの頂点が鉛直に安定しているものを「単峰型」、二つ以上のこぶを持つものを「多峰型」と呼ぶ分類法があり、初期の食堂業界で標準化が試みられた[2]。
歴史[編集]
成立まで[編集]
起源は、横浜港の倉庫街で行われた「高湿度下炊飯保持実験」にあるとされる。当初は炊き上がった米が蒸気で沈降しないよう、あえて高く盛って空気を抜く技法であったが、試験責任者のが記した覚え書きには「盛り過ぎた方が、作業員が笑う」との一文が残されている[3]。これが後に山盛りご飯の精神的起点として引用されることになる。
には内の海軍給養施設において、飯椀の高さを半寸単位で測定する「盛高基準」が導入された。ここで採用された六寸高台茶碗は、潮風で手が滑りやすい環境でも山体が崩れにくいことから、半ば軍需用品として扱われたとする説が有力である。
普及と制度化[編集]
期に入ると、の下町食堂で「山盛り一合」の定食が流行した。これは店主が客の満腹感を数値化するために導入したもので、器の中心に箸を立て、その傾きで飯の密度を測る「箸立て法」が同時に広まったという。ただし、箸立て法は衛生上の理由からに東京府衛生課の指導対象となったと伝えられる。
、帝国炊飯改良委員会は『盛飯標準化報告書』を公表し、山頂の直径、斜面の角度、外周の割れ目数を定義した。とくに「三割れ一峰」が最も食べ進めやすいとされ、学校給食の模型訓練にも応用されたが、実際には教員の負担が増えたため定着しなかった。
戦後の変容[編集]
、山盛りご飯は「豪勢さ」の象徴として再評価され、の大衆食堂やの工場売店で急速に普及した。高度成長期には、家庭内で茶碗のサイズを競う「飯器マウンティング」が流行し、百貨店では毎年9月に「盛り秋市」が開催されたとされる。
一方で、にが「適正盛飯量の目安」を示した際、盛り高さを7.5センチ以上とする民間基準との食い違いが問題となった。これにより、家庭用炊飯器メーカー各社は内釜の中央を0.8ミリだけ高く設計することで、視覚上の山盛り感を演出する方式へと移行した[4]。
分類[編集]
山盛りご飯は、盛り方の形状によりいくつかの類型に分けられる。もっとも一般的なのは、頂点が中央に位置する「富士型」であり、の茶碗文化との混淆が指摘されている。
また、左右に小さな稜線を持つ「双峰型」は、兄弟姉妹のいる家庭で自然に発生しやすいとされ、朝食時に兄が先に箸を入れると片側だけ崩れることから、家庭内秩序の象徴として扱われた。ほかに、上部が平坦に潰れた「雪崩型」は、炊き上がり直後の待機時間が9分を超えた場合に多く観察されるという調査がある[5]。
社会的影響[編集]
山盛りご飯は、単なる食事法にとどまらず、の労働倫理と家庭美学に影響を与えたとされる。昭和後期のCMでは、丼を高く掲げる所作が「元気」「誠実」「育ち盛り」を同時に表す記号として用いられ、特にのテレビ広告『その一膳に、家族がいる』は視聴率21.4%を記録したという。
また、の料亭では客に対し控えめな盛りを示す一方、裏方では従業員用に山盛りご飯を供する習慣があり、これが「見せる飯」と「支える飯」の二層構造として社会学者のにより分析された。なお、この研究は『飯椀の外周と階層意識』という題で誌に掲載されたとされるが、要出典である。
批判と論争[編集]
山盛りご飯には、食べ残しを誘発するとの批判が古くからある。とくに、の栄養指導会では「山の高さは満腹の錯覚を生む」として、平盛りへの移行が提案されたが、参加者の約62%が昼休み中に再度山盛りを選んだという。
また、山頂部分にのみ醤油やふりかけが集中しやすいことから、「味の重力集中」という現象が問題視された。これに対し、民間の飯芸術家は、山の斜面に沿っておかずを配置する「沿面食」を提唱したが、箸使いが難しすぎるとして普及しなかった。
現代の用法[編集]
に入ると、山盛りご飯はSNS映えの対象として再興した。特に以降、都内の定食店では「標高指定」注文が一般化し、店員が『本日は八合山まで対応可能です』と告げる形式が一部で定着した。
一方、健康志向の高まりから、炊飯器の設定に「小山」「中山」「大山」の三段階を設けるメーカーも現れた。これに対し、専門家のあいだでは、実際に食べる量より盛りの印象が満足度を左右するとの指摘があり、は2022年に「食事の標高と幸福感の相関」という調査を発表したとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『横浜港湾炊飯試験報告』帝国炊飯改良委員会, 1898年.
- ^ 帝国炊飯改良委員会『盛飯標準化報告書』東京府印刷局, 1932年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Topography of Domestic Rice Mounds," Journal of Applied Food Geometry, Vol. 14, No. 2, 1958, pp. 41-67.
- ^ 長谷川みどり『飯椀の外周と階層意識』関西社会食研究会, 1984年.
- ^ 農林水産省食生活調整局『適正盛飯量の目安』官報別冊, 1974年.
- ^ 西園寺米太郎『沿面食の理論と実践』中央食芸出版, 1991年.
- ^ Akira Nomura, "Visual Satisfaction and Grain Elevation in Urban Lunch Culture," East Asian Journal of Everyday Studies, Vol. 7, No. 1, 2003, pp. 88-109.
- ^ 神奈川県港湾給養史編纂室『海風と白飯』神奈川出版協会, 1976年.
- ^ 田中久美子『家庭炊飯における山頂形成の技術』家政科学評論, 第22巻第4号, 1965年, pp. 201-219.
- ^ Eleanor P. Wadsworth, "The Seven-Millimeter Problem in Rice Presentation," Proceedings of the Culinary Measurement Society, Vol. 3, No. 4, 1979, pp. 12-29.
外部リンク
- 帝国炊飯改良委員会アーカイブ
- 横浜港食文化資料室
- 国立栄養景観研究所
- 関東盛飯史研究会
- 飯椀標準寸法データベース