徳山県
| 名称 | 徳山県 |
|---|---|
| 読み | とくやまけん |
| 英名 | Tokuyama Prefecture |
| 成立 | 1872年頃 |
| 廃止 | 1886年頃 |
| 中心地 | 徳山港 |
| 管轄 | 塩田・灯台・港湾税 |
| 著名な制度 | 潮汐課税制 |
| 別称 | 海霧県、白釜県 |
徳山県(とくやまけん、英: Tokuyama Prefecture)は、東部のを中心に成立したとされる旧制地方行政区画である。近代化の初期に沿岸の塩業・港湾管理を一元化するため設置されたが、後に「県境が海霧でずれた」とする珍説で知られる[1]。
概要[編集]
徳山県は、に東部の港湾機能を再編する目的で構想された地方区画である。行政上は短命であったが、港湾取引と塩の輸送をめぐる独自の規則が整備され、当時の文書には「半独立の海辺県」と記されていたとされる。
県名はに由来するとされるが、実際には港の背後にあった方面の潮路標識をまとめて呼ぶ俗称から転じたという説が有力である。なお、県章に用いられたとされる三つ輪の図案は、潮汐計・製塩桶・汽船の煙を象徴するものと説明されるが、後年の回想録では「三つ輪は会議欠席者の数を示す隠語だった」とも述べられている[2]。
成立の背景[編集]
、の港湾役人であったが、塩積み替えの税率がとで異なることに着目し、港ごとに課税単位を分ける案をへ提出したことが始まりとされる。これが「徳山県試設案」と呼ばれ、当初はわずかの塩回送を対象とする実験だったが、海風の強い日は帳簿が湿るため、結果的に船荷ごと県境を越えた扱いになったという。
この制度は側の廻船問屋に歓迎された一方、山間部では「県が潮で伸び縮みする」と揶揄された。とくに方面の庄屋日記には、県庁の印が三度押し直されたため「同日中に県が二回できた」との記述がある。ただし、この日記の原本は戦後にの旧倉庫から断片的に発見されたもので、真偽には議論がある。
県制の特徴[編集]
徳山県の最大の特徴は、行政境界ではなく潮位線を基準に課税が行われた点である。満潮時に港へ入った荷は「外来貨」、干潮時に降ろされた荷は「沿岸貨」として扱われ、同じ荷物でも時刻により税額が変動したため、商人たちは正午前後に合わせて帆走計画を組んだ。
また、県庁は木造二階建てであったが、しばしばのため玄関が見えず、来庁者はの鐘を三回鳴らしてから入館したという。これにより、県職員の出勤率は高かったが、会議の開始時刻だけが極端に曖昧になり、公式には「潮が満ちたら開会」とされた。
歴史[編集]
試設期[編集]
からにかけては、徳山県は「試設県」として扱われ、・・の三省が合同で監督したとされる。この時期、県内ではの生産量を毎月ではなく「風向き三巡」を単位として記録していたため、統計がやけに詩的であることでも知られる。
当時の中心人物であるは、港の石畳に墨で目盛りを描き、満潮線を基準に「県税境界線」を可視化しようとした。これが後にの前身会合で紹介され、測量と会計を混同した珍例として笑われたが、一部の技師には高く評価された。
拡張と対立[編集]
には、徳山県は方面の製紙小工場との薪炭輸送路まで管轄を広げたとされる。これにより、県は単なる港湾区ではなく「海と山の間を通貨のように往来する行政」として知られるようになった。
しかし、拡張に伴っての商人会と衝突し、特に米俵の積み替え順序をめぐって三日間の“帳簿戦争”が発生したという。県庁では検印台が不足したため、代用品としての前身にあたる荷札改札所の札板が用いられたが、これが逆に「駅名より先に県名が定着した」とする説を生んだ[3]。
廃止と余波[編集]
、政府は地方制度の整理を進め、徳山県は周辺の郡と統合される形で廃止されたとされる。ただし、完全消滅ではなく、港湾税の一部と潮汐観測記録はへ継承され、以後もしばらく「徳山式」の帳票様式だけが残った。
廃止後も、旧県域では「県境が消えた日」を記念する小さな祭礼が続いた。とくにで行われる灯籠流しは、帳簿の余白を模した紙灯籠を流す奇習として有名であり、地元では「徳山県が水に戻る日」と呼ばれていた。
制度と運用[編集]
徳山県では、行政の効率化よりも港の即応性が優先され、職員は「潮見役」「塩検役」「霧待役」の三職に分かれていた。うち霧待役は、海霧で視界がない日にのみ勤務する職であり、年間労働日数が前後だったという記録がある。
税制面では、塩・木炭・魚肥に対して細かな歩合が設定され、なかでも「潮位差三寸税」は県外から強い反発を受けた。もっとも、県庁はこれを「測量誤差の社会化」と説明し、帳簿上は誤差をゼロにすることに成功したとされる。なお、実務の多くは徳山港の問屋仲間に委託され、役所は名義上の承認だけを行っていた可能性が高い[4]。
県庁所在地と施設[編集]
県庁は現在の北側一帯に置かれていたとされるが、正確な位置は史料ごとに異なる。もっとも有力なのは、当時の旧米蔵を改装した「海面閲覧所」で、ここには潮位を読むための大きな水槽が置かれていた。
また、庁舎の別棟には「反省室」と呼ばれる小部屋があり、税率を誤って下げた役人が一晩そこに泊まらされたという。翌朝には潮が引いていたため、反省室の床板に残った水跡を県境として採用した、という伝承まである。
教育と人材[編集]
徳山県は技術職員の育成に熱心で、の出張講義として「潮汐簿記」「港湾漢字」「霧中歩法」などを実施したとされる。これらの講義ノートは後に『』という冊子にまとめられ、地方官吏のあいだで密かに読まれた。
講師のは、女性でありながら測量と会計の双方に通じた稀有な人物として記録されているが、残された写真の多くで帽子の影に顔が隠れているため、実在性をめぐる論争がある。
社会的影響[編集]
徳山県の制度は短命であったものの、港湾都市における「時間依存課税」の先例として全国の注目を集めた。後のやの倉庫管理において、潮位や入港時刻を帳簿へ細かく反映する習慣が広がったのは、徳山県式の影響だとする説がある。
一方で、県内では住民の間に「今日はどの県にいるのか分からない」という感覚が生まれ、婚姻届や出生届の提出先が混乱した。とくにのある夏、出生届の印紙が潮に濡れて三枚貼り直されたため、乳児が「三度県民になった」と語り継がれている。こうした逸話は誇張も多いが、地方行政の柔軟さと不安定さを象徴するものとして引用されることが多い。
文化への定着[編集]
徳山県はやがて、実在の行政区画というより「港町の気まぐれを制度化した寓話」として受容されるようになった。地元の俳句会では、潮目の変化を「県替わり」と詠む習慣ができ、の商家では帳簿の余白を保存することが縁起物とされた。
また、昭和期の郷土研究家が『失われた海霧県の記憶』を著し、徳山県の存在を半ば伝説として再構成したことで、全国的な知名度が高まった。もっとも同書は、図版の一枚にの写真が混入しており、初版から既にかなり怪しい。
現代の評価[編集]
現代では、徳山県は地方財政史の珍例として紹介されることが多いが、港湾都市における自治の実験として再評価する動きもある。特に、災害時の臨時境界設定や潮位連動型の避難情報に、徳山県の発想を見いだす研究者がいる。
ただし、の一部研究会では、徳山県の主要史料とされる『海面閲覧日誌』の頁番号がから始まっていることが指摘され、「最初の2頁が海に落ちたのではないか」と冗談交じりに論じられている。
批判と論争[編集]
徳山県をめぐる最大の論争は、そもそも独立した県として実在したのか、それとも港湾事務の便宜上つくられた仮称にすぎないのか、という点である。公文書上は断片的な記録しか残らず、系の資料と商家の日記で県の範囲が一致しないことが多い。
また、県庁所在地についても、説、説、説が併存しており、いずれも決定打に欠ける。とくに岐山説は、山頂に灯台があったという一見もっともらしい主張であるが、山の上に建てる必要があったのかという根本的疑問が残る。
一方で、近年の郷土史ブームにより「徳山県は消えたのではなく、周防灘に沈んだ」という神話的解釈も流行した。これは観光振興には有効であったが、行政史の研究者からは「おおむね海のせいにしすぎである」と批判されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『海辺県設置論』地方行政史研究会, 1882年.
- ^ 佐伯ハル『潮汐簿記入門』山口出版局, 1884年.
- ^ 松浦兼次『失われた海霧県の記憶』周防新報社, 1937年.
- ^ K. Morita, "Customs on the Tide-Line: Tokuyama Experiments in Prefectural Finance," Journal of Coastal Administration, Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1968.
- ^ 田所一郎『徳山県廃止後の帳票継承』『地方制度史紀要』第8巻第2号, pp. 113-129, 1974年.
- ^ Eleanor P. Whitcomb, "Fog, Salt, and Bureaucracy in Western Honshu," Transactions of the Inland Sea Historical Society, Vol. 5, No. 1, pp. 9-26, 1981.
- ^ 高瀬源八郎『県境測量覚書』徳山港文庫, 1879年.
- ^ 中村澄子『港湾税と民間帳簿の相互作用』『海運経済史』第21巻第4号, pp. 201-219, 1992年.
- ^ A. J. Bell, "When a Prefecture Tides: Administrative Elasticity in Meiji Japan," Asian Bureaucratic Studies, Vol. 7, No. 2, pp. 88-104, 2005.
- ^ 山根直樹『徳山県の三つ輪紋は何を示すか』周防郷土研究, 第14巻第1号, pp. 1-18, 2017年.
- ^ 『県税と波高』山口師範学校講義録, 1891年.
- ^ R. Ishida, "The Missing First Two Pages of the Sea Surface Ledger," Review of Impossible Archives, Vol. 3, No. 4, pp. 55-63, 2020.
外部リンク
- 周防近代行政アーカイブ
- 徳山港史料室
- 海霧県研究会
- 山口地方制度博物誌
- 旧港湾税電子図書館