性欲の逆転現象
| 名称 | 性欲の逆転現象 |
|---|---|
| 英語 | Libidinal Reversal Phenomenon |
| 分類 | 臨床心理学・文化人類学・民俗統計学 |
| 提唱時期 | 1934年頃とされる |
| 提唱者 | 黒田 恒一郎ほか |
| 発祥地 | 東京都本郷区(当時) |
| 関連機関 | 帝国性向研究会、内務省衛生局 |
| 主な症状 | 選好反転、羞恥閾値の上下動、嗜好の季節変動 |
| 研究論争 | 再現性の低さと測定票の記述揺れ |
性欲の逆転現象(せいよくのぎゃくてんげんしょう、英: Libidinal Reversal Phenomenon)は、性的欲求の方向性が周期的に反転し、対象選好や反応閾値が通常とは逆に観測されるとされる現象である。主としてとの境界領域で語られ、の周辺で最初に体系化されたという。
概要[編集]
性欲の逆転現象とは、ある条件下で性的関心の向き、強度、対象の選別基準が逆位相に転じるとされる現象である。たとえば、平常時には強い興味を示す対象に対して反応が鈍くなり、むしろ無関係な刺激に過剰な注意が向く、あるいは欲求そのものが「求める」から「回避する」へ反転するという説明がなされる[1]。
この概念は、のにあった私設研究会で、睡眠不足と視聴時間の増加が同時に起きた家庭を追跡したことから広まったとされる。もっとも、後年の再検証では、調査票の設問がやけに詩的であったこと、ならびに回答者の多くがの同一下宿に集住していたことが判明し、初期データにはかなりの偏りがあったと指摘されている[2]。
なお、学術的には、、俗に「裏向きの火」とも呼ばれたが、いずれも定義が微妙に異なる。とくにの第4回年報では、同じ現象を3名の研究員が別々の用語で記述しており、この言い換えの多さ自体が当該現象の特徴とされた。
成立史[編集]
本郷試験期[編集]
最初の記録は、心理学教室の補助記録簿に見えるとされる。記録者のは、被験者27名に対し「好意対象を一日おきに逆向きに想起させる」簡易課題を課したが、翌週には15名が課題の意味を取り違え、恋愛感情ではなく食欲の変化を報告したという。この混線が、のちに性欲と日常刺激の相関を誤って結びつける端緒になったとされる[3]。
にはの外郭研究費が投じられ、からにかけての学生寮9棟を対象に「反応の向き」を調べる予備調査が行われた。調査の途中で、回答用紙の右端と左端を入れ替えたため、統計上は「嗜好が反転した」ように見えたが、実際には記入欄の位置が変わっていただけだったという逸話が残る。
南方比較期[編集]
以降、この現象はの衛生調査や、の娯楽街における観察記録とも結びつけられ、地域差のある現象として再解釈された。とくにの港湾労働者との船員を比較した報告では、航海帰りの群で「対象選好が逆になる確率」が平常時の3.8倍とされたが、実際には夜勤明けの眠気による誤記の可能性が高いとされている[4]。
この時期にのが介入し、性欲の逆転現象を「都会化に対する身体の返答」と呼んだことで、心理学の概念は半ば生活文化論へと拡張した。彼はの盆踊り記録やの婚礼歌まで引き合いに出し、終始もっともらしいが検証しにくい説明を行ったため、以後の文献には便利な引用元として頻出することになった。
戦後の再定義[編集]
、の委託を受けたが、性欲の逆転現象を「抑圧と解放の交互運動」として再定義した。ここで初めて、季節変化・ラジオ普及率・甘味摂取量の3変数が同じ表に並べられ、研究はほとんど社会統計の体裁を取るようになった[5]。
しかし、戦後の資料整理の際に、の喫茶店名簿と被験者一覧が混ざったことで、特定の店舗で症例が集中しているように見えた。これが「喫茶店逆転仮説」を生み、1950年代にはコーヒーの濃さが欲求の向きを左右するという、きわめて便利な説明が一部の週刊誌で流布した。
測定法[編集]
測定には主として、、およびが用いられたとされる。とくに質問票は、同じ問いを肯定形・否定形・婉曲形で3回ずつ繰り返すため、回答者の自覚よりも文章読解力を測っているのではないかとの批判があった。
版の改訂票では、項目数が48から71に増え、途中に「朝の味噌汁においても反転は起こりうるか」といった設問が紛れ込んだ。編集委員会はこれを比喩だと説明したが、のちに委員の一人が本当に朝食統計の欄と取り違えていたことが判明し、研究倫理委員会で軽く問題になった。
なお、の心理測定班が行った追試では、被験者の56.2%が「逆転した」と答えた一方、同時に配布した炭酸飲料の種類を訊ねたところ、回答の傾向がほぼ同じだったため、空腹との関連が疑われた。これは現在では古典的な「偽陽性混入例」として知られている。
社会的影響[編集]
性欲の逆転現象は、戦前・戦後を通じて一般向け雑誌の格好の題材となり、や系統の誌面では「夫婦の会話が逆さになる夜」といった刺激的な見出しで紹介された。これにより、現象そのものよりも、逆転が起きた際の生活指導法ばかりが普及したとされる[6]。
また、にはとの映画館周辺で、上映中の観客の姿勢変化を観察する私的調査が流行し、館内の気温と欲求反転の関係が語られた。映画館主たちは迷惑がらなかったという説もあるが、実際には記録係が売店で買ったメロンソーダをこぼしたため、湿度計が故障しただけだという反証もある。
一方で、教育現場では「逆転は珍しいが恥ではない」とする啓発資料が配布され、の一部夜間高校では保健指導の補助教材に採用された。もっとも、その教材の図版が妙に抽象的で、後年になって「恋愛感情の地図」として美術評論家に再評価されたことが、さらなる混乱を招いた。
批判と論争[編集]
性欲の逆転現象に対する最大の批判は、再現性が低いことである。とくにの班による追試では、同一条件下で反転率が2.1%から41.7%まで揺れ、統計的にはほぼ何も言えない結果となった[7]。このため、現象は実在するというより、観察者の設問技法に依存して生起するのではないかとの見解が強まった。
さらに、の原資料の一部がの古書店で切り離されたまま発見され、本文と図表が一致しないことが明らかになった。あるページには「反転の山は深夜2時に頂点を取る」とあり、別のページには同じ欄に「ただし記入は午前8時の方が多い」と注記されていたため、後世の研究者はこれを「観測時間の逆転」と呼んで半ば諦めた。
なお、では1982年に用語整理が試みられたが、会場がのホテルであったため、参加者の多くが近接する宴会場の議論と混線し、結局「逆転現象」という語だけが残ったとされる。
現代の解釈[編集]
現代では、性欲の逆転現象は臨床概念としてよりも、メディア環境や自己認識の揺らぎを説明する比喩として用いられることが多い。とりわけ上では、好意や拒否の表明が短時間で反転する様子を指してこの語が借用されることがあり、原義からの逸脱が進んでいる[8]。
一部の研究者は、これは欲求そのものの反転ではなく、判断の優先順位が入れ替わる現象であると解釈している。たとえばの比較行動研究では、空腹・睡眠不足・対人緊張が重なると、被験者は本来の嗜好よりも「その場でいちばん説明しやすい選択」を選ぶ傾向が示されたという。
また、の2021年報告では、性欲の逆転現象は「語の魅力が概念の輪郭を先に拡大してしまった珍しい例」と総括された。これは学問としては不正確であるが、俗説としてはきわめて成功した説明であるとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒田 恒一郎『反位相性向に関する予備報告』帝国性向研究会年報 第2巻第1号, 1934, pp. 11-39.
- ^ 安藤 喜兵衛『都会身体論と逆転欲求』民俗と心理 第7巻第3号, 1938, pp. 201-226.
- ^ 渡会 澄子『質問票の左右配置と回答偏向』日本臨床測定学雑誌 Vol. 14, No. 2, 1951, pp. 88-104.
- ^ Margaret L. Hargrove, 'Reversal Responses in Postwar Urban Households' Journal of Comparative Intimacy, Vol. 9, No. 4, 1953, pp. 317-352.
- ^ 国立精神衛生研究所編『抑圧と解放の交互運動』調査報告書 第5号, 1950, pp. 5-67.
- ^ 吉岡 俊平『銀座喫茶店名簿にみる症例集積』衛生社会学叢書 第12巻, 1962, pp. 149-180.
- ^ 藤堂 里奈『反転閾値の季節変動』行動統計学レビュー 第18巻第2号, 1974, pp. 41-66.
- ^ H. B. Clements, 'On the Misreading of Libido Scales' Annals of Applied Psychology, Vol. 21, No. 1, 1979, pp. 1-29.
- ^ 日本性向史研究会編『性欲の逆転現象とその周辺』年報 第31号, 2021, pp. 77-132.
- ^ 田所 由紀『逆転現象の語用論——説明しすぎる学説の生成』比較文化研究所紀要 第44号, 2022, pp. 3-18.
- ^ 小山内 道夫『朝の味噌汁における反位相仮説』生活心理学メモランダム 第6号, 1960, pp. 9-14.
外部リンク
- 帝国性向研究会アーカイブ
- 日本性向史研究会デジタル年報
- 本郷心理資料館仮想閲覧室
- 比較文化心理事典オンライン
- 国立精神衛生研究所 所蔵目録