把那
| 名称 | 把那 |
|---|---|
| 読み | はな |
| 英語 | Bana |
| 起源 | 19世紀末の華南沿岸部 |
| 主な用途 | 位置の再記述、荷役指示、帳簿照合 |
| 提唱者 | 陳景雲とされる |
| 普及地域 | 広東、香港、マカオ、上海租界の一部 |
| 関連機関 | 南洋航運帳簿改良会 |
| 衰退 | 1930年代以降の標準帳式化 |
把那(はな、英: Bana)は、末期ので成立したとされる、対象を一度「把」し、位置関係を「那」へずらして記録するためのである。の港湾実務と系の帳簿文化が結びついて広まったとされる[1]。
概要[編集]
把那は、物品や人員の配置を、実際の座標ではなく「把」と「那」の二段階でずらして表現する独特の実務語である。元来はデルタの倉庫番が、似た名称の荷を取り違えないように編み出した隠語に近いものであったとされる[2]。
のちにの洋行、の米穀商、さらにはの租界事務所にまで伝わり、帳簿の欄外注記や口頭指示に用いられた。特に一九〇八年のの内部報告では、把那を導入した倉庫で誤配送率が月平均17.4%から6.1%に低下したと記されているが、この数値の算定方法には異論もある[3]。
歴史[編集]
起源説[編集]
最も広く知られる説では、把那は末の十三行近くで、荷揚げの順番を巡る口論から生まれたとされる。帳簿係の陳景雲が、箱を「把」して一旦受領し、次に「那」して隣の区画へ回す手順を簡略化した符牒として考案したという[4]。ただし、陳景雲の実在性については、所蔵の写本にのみ現れることから、後世の編集で補われた可能性も指摘されている。
港湾実務への定着[編集]
一九一二年頃にはの周辺で、把那が「荷の向きと降ろし先を同時に示す略式表現」として定着した。とくに悪天候時、伝票が濡れて判読不能になることが多く、作業員は「把那北埠」「把那二号棚」のように唱えて荷役を進めたとされる。これにより作業が速くなった一方、似た音の「把南」と混同され、鰻の樽が牛乳倉庫へ送られる事故が三件起きたという逸話が残る[5]。
標準化と衰退[編集]
一九二七年、のが把那の表記を整理し、左記号・右記号・反転記号の三種に分類した。これにより都市間での伝達は改善したが、同時に用法が過度に複雑化し、若い帳簿係からは「覚えるより荷を運んだ方が早い」と批判されたという。さらに一九三四年の通達で、公式書類はによる記述に統一され、把那は現場の口伝としてのみ残った。
用法[編集]
把那の基本は、対象を直接指さず、いったん把握したうえで、別の基準点へ「那」す、すなわちずらして示すことである。これにより、同じ棚に見えても上下段・前後段・潮位差によって異なる品目を区別できるとされた。
実務では「把那三尺上」などのように距離を伴って使われることが多く、の倉庫記録では「把那二寸、ただし樽口は南」といった妙に細かな指示が確認されている。また、書面での誤読を防ぐため、使用者は赤鉛筆で二重下線を引くことが推奨されたが、雨季にはインクがにじみ、逆に「把他」に見えてしまうことから、現場ではしばしば手書きの図面が併用された[6]。
社会的影響[編集]
港湾労働と教育[編集]
把那は単なる業務用語にとどまらず、沿岸の夜学で教材化された。1919年にはが「把那読本」を作成し、荷札の読み方、潮待ちの判断、誤配送時の謝罪文例まで収録したとされる。これにより、識字教育と実務訓練が結びついた点が高く評価された一方、子どもが日常会話で「今日は把那だね」と言うようになり、親が意味を取り違える事態も報告された。
都市言語への波及[編集]
一方で把那は、都市部の流行語としても消費された。の茶楼では、気まずい席替えを「把那する」と表現する若者が現れ、の新聞『華南晨報』には「語義の逸脱が甚だしい」とする投書が掲載された。もっとも、こうした俗用があったことで語が生き延びたともいわれ、のちの広告文には「把那的に整える」「把那風の配置」といった妙な表現が散見される。
批判と論争[編集]
把那には、そもそも実在したかどうかを巡る論争がある。支持派は、の古文書室に残る帳簿断片や、で展示された木札を根拠に挙げるが、反対派はそれらの多くが後年の観光向け再現品である可能性を指摘している[7]。
また、把那が港湾労働の合理化に寄与したという評価に対しても、実際には潮流・人員配置・通関の遅延が複合的に影響しただけで、把那の効果を過大視しているとの批判がある。なお、の『東亜商事年鑑』は把那導入後の積み荷損失が12%減少したと述べる一方、同号の別項では保険料が9%上昇したとも記しており、編集の整合性には疑問が残る。
現代における扱い[編集]
二十一世紀に入ると、把那は研究よりも、むしろやの文脈で再評価された。特にの物流企業が、倉庫内のAR表示に「Banaレイヤー」を採用したことで、古い用語が新しいUI設計に転用されたと話題になった。
また、にはの大学院生が把那の語源をめぐる修士論文を提出し、口頭伝承・商業帳簿・移民ネットワークの三層構造から分析を試みた。もっとも、指導教員の注記欄には「把那の核心は結局、現場が勝手に作った秩序である」とだけ書かれていたとされ、これが最も的確な要約であるという意見もある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 陳文彬『華南港湾における把那語の形成』東亜商業史学会, 1978年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Bana and the Port Ledger Reform", Journal of Maritime Lexicography, Vol. 12, No. 3, 1994, pp. 201-229.
- ^ 劉志明『広州十三行と符牒の社会史』南方書房, 1986年.
- ^ Kenneth R. Bell, "Spatial Misplacement as Practice: Notes on Bana", Asian Studies Quarterly, Vol. 7, No. 1, 1961, pp. 44-58.
- ^ 鄭佩華『香港倉庫帳簿史料集 成稿』香港中文大学出版部, 2003年.
- ^ 東亜商務研究所編『把那用例索引 第2版』上海研究社, 1928年.
- ^ 王桂蘭『移民と物流語彙の交差』広東人民出版社, 2011年.
- ^ Charles P. Wetherby, "The Curious Case of Bana in Treaty Port Administration", The Canton Review, Vol. 19, No. 4, 1972, pp. 88-117.
- ^ 『東亜商事年鑑 昭和八年版』東亜商事調査局, 1933年.
- ^ 田中誠一『把那読本と夜学教育』港湾文化研究会, 1997年.
外部リンク
- 南洋航運史アーカイブ
- 香港港湾語彙データベース
- 広東近代帳簿文庫
- 東亜商務研究所デジタル年報
- 把那研究会