拓也の写生(絵画)
| 分野 | 絵画技法/写生様式 |
|---|---|
| 成立時期 | 1950年代末〜1960年代初頭 |
| 中心人物 | 拓也(仮名として流通) |
| 主な舞台 | 東京都周辺と地方の公民館 |
| 代表的な主題 | 路地・駅前・商店街の短時間風景 |
| 使用媒体 | スケッチブック、岩絵具、アクリル絵具 |
| 理念(通称) | 「1分で嘘を削る」 |
| 関連概念 | 記憶乾燥、観察減算、色温度回復 |
拓也の写生(絵画)(たくやのしゃせい(かいが))は、の絵画文化において「即興の観察」を規範化したとされる画法・様式である。特にの市民制作運動のなかで「だれでも描ける写生」として普及したと記録されている[1]。
概要[編集]
は、写生を「見えるものの忠実さ」ではなく「見た時間の誤差ごと再構成すること」と捉える様式として説明されることが多い。作品の表面には、輪郭のブレや色面の揺れがわざと残される一方で、描き始めから一定の手順が守られたとされる点が特徴である。
成立の経緯は、当時の教育現場で「写生が上手い人の特権になっている」ことが問題化したことにより、誰でも同じ条件で描けるように、観察の手順を規格化する必要が生じたことにあるとされる。なお、この規格はの委員会資料に触発されたという伝承がありつつ、別の資料ではの実務会議から派生したとも述べられている[2]。
実務的には、同一地点で同時間に描き、後で「ズレ」を共有し、共同学習として提出する方式が採用された。共同提出された作品は、のちに「時間スタンプ」として扱われ、展示では作品の横に描画開始時刻・終了時刻が併記される慣習が定着したとされる。ここでの時刻は、時計の分単位ではなく、針の触れた紙の繊維方向まで記録した例が報告されているため、実務者のあいだでは懐疑と熱狂が同居していたと指摘されている[3]。
歴史[編集]
構想の発端:公民館「観察減算」プロジェクト[編集]
起源については、1958年にの下町地区で行われた「観察減算」講習が原型になったと語られることが多い。この講習では、参加者に配られた白紙の裏に、極薄のグリッドが印刷されていたとされ、参加者が「見たものをそのまま写す」のではなく、グリッド上で差分だけを描くよう誘導されたという。
当時の講習運営は、の公民館で実施されたと記されているが、別の証言では会場がの工業高校美術室にすり替わっている。さらに、配布した紙の枚数が「1人あたり正確に27枚」で、余った紙は集計の都合で翌週に回されたという細部が残っている[4]。この「27」という数字は、紙の裁断工程の歩留まりが27%だったからだという説と、担当事務員が27歳だったからだという説が併存しており、真偽は定まっていない。
中心人物の「拓也」については、実名は明かされず、講師名として短縮された仮名であったとされる。もっとも、その仮名が流通したのは、拓也が撮影機材メーカーの下請けとして働いており、撮影の露光表を写生講習に持ち込んだためだという逸話もある。露光表の「色温度」を絵の調整に転用したことで、写生の誤差が“エラー”ではなく“調律”として扱われるようになったとされる。
制度化:『1分で嘘を削る』の規格争奪戦[編集]
1961年頃、写生講習の成功例が口コミで広がり、商店街の支援を受けた「路地写生会」がやにも波及したとされる。ここで「1分で嘘を削る」という合言葉が定着し、開始1分目は明度だけ、次の2分は色相だけ、最後の3分は輪郭の補正だけ、というように段階を分けて描くルールが提案された。
ただし、段階配分の厳密さが過熱し、ある年には提出作品の点検方法が揉めたとされる。点検員は作品の前で「視線の平均滞在時間」を計測する係を設け、展示ホールの天井に取り付けたセンサーで来場者の動きを推定した。『記録は平均滞在時間を12秒、最大外れ値を41秒として示した』という報告が残るが、その報告書は翌年には紛失し、口頭説明のみが引用されたとされるため、編集者のあいだでも「引用の根拠が薄い」との指摘があったと伝えられている[5]。
また、規格化は教育の現場では歓迎された一方、絵画を“手順”に固定することへの反発も生んだ。反発側は「写生は時間ではなく体温で決まる」として、色を決める順序を逆にした“逆減算”方式を広めようとした。この派生はの研究会で発表されたとされるが、当該研究会の議事録には、なぜか“逆減算”の項目だけインクが薄いという物理的特徴が記録されている。
社会への波及:市民制作のインフラ化と展示ビジネス[編集]
1970年代に入ると、内の複数の展示場で「共同提出」制度が運用され、作品は個人単位だけでなく“回”として販売・貸与されるようになった。ここで言う“回”とは、同日同時刻に描かれた作品群の単位であり、同じ回に含まれる作品は、額装の型番まで揃えられるとされた。
この仕組みが支持された理由として、制作費の明確化が挙げられる。公民館の年間予算が平均で約3,200万円規模になり、そのうち画材補助が年額540万円、交通費補助が年額310万円で運用されたという記録が残っている[6]。とはいえ、これが全国統計なのか一自治体の試算なのかは、資料の注釈が欠落しているため確定できない。
一方で展示ビジネスは、写生の“速度”を商品価値として扱うことに繋がり、作品に対する評価軸が「上手い/下手」から「ルールを守った/崩した」へ移ったとされる。結果として、拓也の写生は市民の芸術参加を広げたが、同時に“手順遵守芸術”という批判も受けることになった。
特徴と作法[編集]
拓也の写生(絵画)では、描画前に現場の音(車の種類や足音のリズム)を数える工程が推奨されたとされる。推奨は厳密で、「最初の10秒で3種類の音が取れなければ描き直し」といった指示が残っているという[7]。この基準は科学的根拠が示されたわけではないが、実技書の体裁でまとめられたため、教育現場では“もっともらしい”説として受け取られた。
また、色は最初に混ぜないことが原則とされる。最初の段階では、絵の具を混ぜずに“その色がそこにある”という事実だけを置くため、絵の具の粘度の違いを結果として残す。これにより、乾燥後のムラが「観察の痕跡」と解釈されるようになったと説明される。
特に有名なのが「色温度回復」手順である。これは、描画後に作品を直射日光から一定時間ずらし、室内光で色の“回復”を見届ける工程だとされる。ある講習では“回復待ち”を47分に設定し、待ち時間が短いと青が緑に転ぶとされるが、実際には照明の色被りが原因だった可能性が指摘されている。にもかかわらず、この47分が独り歩きし、手順を守ること自体が評価される文化につながったと述べられている。
作品例と逸話[編集]
代表的とされる作品群には、路地を主題にした「雨脚の回(あまあしのかい)」、駅前を主題にした「発車予告の残像」、商店街を主題にした「値札の呼吸」などがあるとされる。これらは実在の個人名画として紹介される場合もあるが、実際には講習会で量産された“回の集合”として語られることが多い。
また、「拓也の写生」が最も話題になったのは、1973年の地方展で起きた“10枚同時提出”事件である。出品者は制限時間を守って10枚を描き切ったとされるが、審査員が裏面を確認したところ、10枚すべての裏に同じ鉛筆の落書き(「拓也は嘘を削らない」)が見つかったという。落書きは偶然だと主張された一方、講習配布資料の余白が同一だった可能性も指摘された[8]。この事件は“手順遵守の勝利か、共同演出の勝利か”という論点を生み、以後、展示では裏面の記録が求められるようになった。
さらに、作品が展示室の照明条件で色が変化する問題に直面した際、運営は「回復待ち」を必ず行うよう指示した。しかし、ある年の展示では回復待ちの時間が誤って42分に短縮され、緑が多い傾向の作品が“観察が濃い”として高評価になった。後日、運営の掲示担当が「それはたまたまです」と書いてしまったことで、学習者が憤慨し、掲示用紙の交換が2回行われたとされる。
批判と論争[編集]
批判の中心は、拓也の写生(絵画)が「写生」を“測定可能な手順”へと押し込めた点にある。ある美術評論家は、観察減算が上達を促す一方で、個人的な視点の揺らぎが評価から排除されると指摘したとされる。なお、この評論家の原稿はの出版社に送られたが、戻ってきた封筒の消印がなぜかの別局だったと記録されており、編集の段階で差し替えがあった可能性が論じられた[9]。
一方で擁護派は、市民制作の広がりを否定できないとして、制度設計が芸術への入口を作ったと述べた。特に、公民館の講座が継続されることで、未経験者でも完成作品が得られる確率が上がったとされる。統計としては「初回提出の完成率が平均で63%から71%へ上昇した」という報告が引用されるが、その母数が何かは書かれていない。
また、最も滑稽な論争として「記憶乾燥」問題が挙げられる。記憶乾燥とは、描いた内容を乾燥させるのではなく、心の中で乾燥させる工程であり、作者が“描いた気持ち”を一定時間キープすることで筆致が安定するとする考え方である。しかし、この概念は後年に「気持ちを乾燥させる科学的理由がない」と批判され、講習のカリキュラムから一部が削除されたとされる。削除されたはずの語が、なぜか別の資料で同時期に復活していることがあり、編集過程の混線があったのではないかと見られている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中村拓馬『即興の手順化—写生教育の裏側』芸術教育出版社, 1984.
- ^ Aiko Grant『Procedural Sketching in Postwar Japan』Journal of Civic Art Studies, Vol.12 No.3, pp.41-63, 1991.
- ^ 鈴木礼央『色温度と観察の誤差:拓也の系譜』美術年報社, 1979.
- ^ 田中清一郎『公民館が画材を配る日』東京学芸大学出版部, 1972.
- ^ 横田花梨『「1分で嘘を削る」の実技記録』美術教育ジャーナル, 第5巻第2号, pp.12-29, 1966.
- ^ M. Thornton『Time Stamps and Exhibition Economics』International Review of Art Practices, Vol.7 No.1, pp.88-103, 2003.
- ^ 佐伯真理『雨脚の回:展示照明と色の回復待ち』光学美術研究会, pp.201-219, 1987.
- ^ 山下邦夫『共同提出制度の運用と混線』図録編集委員会, 第3輯, pp.55-76, 1976.
- ^ 【要出典】伊藤慎之助『市民制作の統計は語らない』地方文化政策研究叢書, 1998.
- ^ K. Whitmore『Civic Infrastructure for Painting』Osaka University Press, Vol.2, pp.9-27, 2012.
外部リンク
- 拓也の写生アーカイブ
- 観察減算講座マニュアル倉庫
- 色温度回復ライト設計資料室
- 路地写生会の記録帖
- 共同提出制度 旧運用解説