新宿赤子殴り症候群
| 別名 | 新宿乳児反復回避症、SISS |
|---|---|
| 分類 | 都市性衝動症候群 |
| 初報告 | 1968年 |
| 主な発生地 | 東京都新宿区、特に歌舞伎町周辺 |
| 提唱者 | 田所 恒一郎 |
| 診断基準 | 乳児の泣き声、ネオン反射、深夜の空腹 |
| 関連機関 | 国立都市行動研究所 |
| 研究の中心期 | 1974年 - 1989年 |
| 現在の扱い | 学会では準歴史的概念として扱われる |
新宿赤子殴り症候群(しんじゅくあかごなぐりしょうこうぐん、英: Shinjuku Infant-Striking Syndrome)は、東京都新宿区周辺で報告されたとされる、乳児を前にすると突発的に手のひらを引き戻せなくなる一群の衝動性症候群である。主に昭和後期の深夜帯に増加したとされ、都市心理学と冗談交通学の境界領域で研究されてきた[1]。
概要[編集]
新宿赤子殴り症候群は、新宿駅周辺の過密環境に長く滞在した人物が、乳児の存在を認識した瞬間に「殴る」意図ではなく「手を振り下ろす動作の予感」だけが生じ、結果として自ら大きく後退してしまう現象として説明されることが多い。病名に反して直接的な暴力行為を指すものではなく、むしろ身体が倫理的恐怖に先回りしてブレーキをかける現象として紹介される場合がある[2]。
この概念は、昭和43年にの深夜喫茶で配布された匿名の健康小冊子『乳幼児に対する都市反射の観察』を起点に広まったとされる。のちに東京大学都市心理学教室、、および新宿区保健相談窓口の合同調査が行われ、1980年代には「満員電車型罪悪感」の一例として扱われたという。
歴史[編集]
発見と命名[編集]
症候群の初出は、1967年秋に沿いで調査票を配布していた保健婦・宮本澄子が、複数の被験者から「赤ん坊を見ると、なぜか新宿の交差点が頭に浮かぶ」との回答を得たことにあるとされる。翌年、精神科医のがこれを『新宿赤子殴り症候群』と仮称したが、当初はあまりに字面が荒いとして学内で却下され、代わりに『乳児前接近回避反応』の名で発表された。
しかし、1971年にで行われた夜間外来の統計が、乳児関連相談のうち42.7%に「手首の硬直」が伴うことを示し、田所は再び原語を持ち出した。会議録によれば、彼は「学術用語は温厚であるほど忘れられる」と述べ、あえて刺激的な名称を採用したという。
研究の拡大[編集]
1974年からはが中心となり、沿線の飲食店、カラオケ店、ベビーカー貸出所を横断する追跡調査が実施された。対象者1,284名のうち、乳児模型を見た際に「右手だけが不自然に上がる」と答えた者は183名で、そのうち17名は『新宿のネオンと同じ色の肌をしていた』と証言したため、調査班は季節性の錯覚を疑った。
この時期、症候群は単独の症状ではなく、・深夜空腹・自己嫌悪・ラーメン摂取後の後悔が重なった際に発生する複合的な反射として整理された。なお、一部報告ではの看板色が乳児の皮膚感覚を連想させるとの記述があり、現在でも要出典とされる。
行政との関わり[編集]
1982年、新宿区は「深夜保健対策モデル地区」に指定され、東京都の委託を受けて症候群の予防パンフレット『赤子を見たら深呼吸』を発行した。パンフレットには、乳児を視認した際は3秒間まばたきを増やし、可能であれば自販機の前で姿勢を正すよう指導が書かれていた。
また、の会議では、症候群患者がベビーカー通行帯に近づくと歩幅が平均で12.4%縮むというデータが提出され、当時の交通計画課はこれを「歩行者の倫理的減速」と呼んだ。もっとも、後年の再解析ではサンプルの半数が終電後の酔客であったことが判明している。
診断[編集]
診断基準は時期によって揺れが大きく、1986年版『新宿都市衝動目録』では、A群として「乳児の泣き声を聞くと無意味に領収書を整理し始める」、B群として「ベビーカーの車輪を見ると歌舞伎町の路面を連想する」、C群として「『赤子』という語を聞いた直後に改札の位置を確認する」の3項目が挙げられた。これらのうち2項目以上が月3回以上起きる場合、準症候群と判定された。
実地調査では、の地下通路で被験者に乳児の写真を見せたところ、約31%が無意識に方面へ歩き出したため、研究者らは「退避反応の方向性は文化施設への敬意に依存する」と結論づけた。ただし、この結果は写真の角度が微妙に悪かっただけではないかとも指摘されている。
社会的影響[編集]
症候群は1980年代の都市文化に奇妙な影響を与え、新宿の飲食店では乳児連れ客に対して無料で水を一杯追加する「静穏サービス」が広まった。また、深夜営業の喫茶店では、赤ん坊の泣き声を店内BGMで包み込むためにのテンポを2拍遅くする試みが行われた。
一方で、症候群を話題にした演劇『ベビーカーが坂を下るとき』が1989年にで上演され、初日公演後に観客の62%が「自分も対象かもしれない」としてロビーで腕を組んだと記録されている。これにより、症候群は病理であると同時に、都市生活者の過剰な自意識を映す比喩として定着した。
批判と論争[編集]
症候群の実在性には当初から批判が多く、特にの一部会員は「新宿という地名が症候学に与える印象が強すぎる」と指摘した。また、研究の中心人物であった田所が、講演のたびに「新宿は人の心の胃袋である」と述べていたことから、概念自体が比喩を病名化したに過ぎないとの見方もある。
さらに、1987年の再調査では、症候群の申告率が平日よりも金曜日に2.3倍高く、対象者の67%が空腹状態であったことから、学会の一部では「これは症候群ではなく晩酌前の情緒である」と結論づけられた。それでも一部の臨床家は、都市の雑踏における反射的な後退として有用な概念であると擁護している。
現在の扱い[編集]
21世紀に入ると、新宿赤子殴り症候群は医学的診断名というより、都市伝説と臨床ユーモアの中間に位置する概念として扱われるようになった。平成期の再編成では、が「乳児に対する不安がある場合は、まず自分の睡眠時間を確認してください」と記した啓発カードを配布し、これがネット上で広く引用された。
現在では、の都市文化論やメディア研究で、ネーミングの暴力性と親密さの揺れを説明する題材として参照されることがある。なお、2022年に早稲田大学のゼミで行われた聞き取り調査では、回答者の14名中9名が「実際に症候群を見たことはないが、看板の多い通りで思い出した」と述べており、概念の実在性よりも想起のされ方が重視されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田所 恒一郎『新宿乳児前接近回避の臨床的考察』都市行動評論社, 1972年.
- ^ 宮本 澄子『深夜保健と反射的退避』新都出版, 1970年.
- ^ Masahiro Kanda, “Urban Startle and Infant Aversion in Late-Show Districts,” Journal of Metropolitan Psychology, Vol. 14, No. 2, 1981, pp. 44-67.
- ^ 佐伯 玲子『歌舞伎町の情動地理学』東都書房, 1985年.
- ^ Harold P. Whitman, “Syndromes of Neon-Driven Self-Consciousness,” Bulletin of Civic Psychiatry, Vol. 9, No. 4, 1978, pp. 201-219.
- ^ 新宿区保健相談室編『赤子を見たら深呼吸——都市生活者のための手引き』新宿区役所, 1982年.
- ^ 小野寺 真一『ベビーカーと路面の象徴学』北辰社, 1990年.
- ^ Margaret L. Rowe, “The Shinjuku Infant-Striking Phenomenon Revisited,” East Asian Urban Studies, Vol. 22, No. 1, 1994, pp. 5-31.
- ^ 田所 恒一郎『新宿赤子殴り症候群の理論と実際』国立都市行動研究所出版部, 1989年.
- ^ 木下 由美『領収書と倫理のあいだ』潮流館, 1997年.
- ^ E. J. Collins, “When the Baby Cries, the City Backs Away,” Proceedings of the International Society for Applied Nonsense, Vol. 3, No. 1, 2001, pp. 1-18.
外部リンク
- 新宿都市心理学アーカイブ
- 国立都市行動研究所デジタル年報
- 歌舞伎町保健文化資料室
- 新宿区史料編纂室
- 都市症候群研究ネットワーク