日本和菓子協会
| 正式名称 | 日本和菓子協会 |
|---|---|
| 英語名称 | Japan Confectionery Association of Wa |
| 略称 | JCAW |
| 設立 | 1897年 |
| 設立地 | 京都府京都市下京区 |
| 本部 | 東京都台東区上野 |
| 目的 | 和菓子の標準化、技能認定、行事協力 |
| 会員数 | 約4,860名(2023年時点) |
| 会長 | 坂東 宗玄 |
| 機関誌 | 『菓子規範』 |
日本和菓子協会(にほんわがしかい、英: Japan Confectionery Association of Wa)は、の製法、保存、流通、ならびに儀礼的な取扱いを統一することを目的として設立されたの業界団体である。特にの温度管理との命名規範をめぐって強い影響力を持つとされる[1]。
概要[編集]
は、期にで成立したとされるの総合団体である。公称上は製餡、製粉、型押し、包装、販売表示に至るまでを対象とし、また神事や茶席に用いられる菓子の格付けにも関与するとされている。
同協会は、から、、にいたるまでを「和菓子体系」の内部に整理し、各地の菓子司に対して季節ごとの色味や水分率の基準を示してきたとされる。とくにとの間で長年続いた「練り切りの硬度差」問題を調停した機関として知られている[2]。
歴史[編集]
創設と初期の役割[編集]
協会の成立は、ので開かれた「全国菓類意匠協議会」にさかのぼるとされる。主唱したのは、、の三名で、彼らはの普及に伴って菓子の寸法や砂糖の含有量が地域差を増していることを問題視したという。
初期の会則では、菓子は「観賞時間七分、喫食時間二分以内」を標準とし、これを超えるものは「長膳菓」として別分類に送る規定があったとされる。またにはの製餡業者12社を対象に、甘味の濃度を「一〇〇匁中三匁半」とする実地調査が行われ、これが後の統一基準の礎になったとされている。
戦前の拡張[編集]
末期から初期にかけて、協会はおよびに支部を設け、菓子箱の寸法、掛紙の文言、季節色の運用まで細かく定めた。とくに制定の「桜色運用細則」は、花見の時期に使用できる赤系統を14段階に分けたことで知られている。
にはからの依頼により、兵站用の保存菓子の研究にも関与したとされるが、同年秋には逆に「保存しすぎた羊羹は戦意を鈍らせる」との内部意見書が残されている。なお、この意見書の原本はではなく、協会旧蔵の“菓子棚第五段”に保管されていたという記録がある[要出典]。
戦後改革と標準化[編集]
、協会はの指導のもとで「全国和菓子規格表」を再編し、原料表示、蜜煮、蒸し時間、包装紙の透湿率までを含む73項目の基準を公布したとされる。この改定で最も議論を呼んだのは、の直径を地域別に分ける案であり、最終的に東日本は13.5cm、西日本は13.8cmという、きわめて微妙な折衷案に落ち着いた。
には技能検定制度を開始し、「一級菓匠」「二級餡練士」「三級包餅補助」の三段階が設けられた。受験者数は初年度で1,204名に達し、うち47名が筆記試験の「時候のあいさつ」欄で不合格になったと伝えられている。
組織[編集]
協会の最高意思決定機関はとされ、各都道府県の支部代表および「名誉菓監」が出席する。事務局は上野に置かれ、甘味分析室、季節色見本室、餡温度保管庫、包装紙史料室などから構成される。
また、内部には、、、があり、特に保存技術課は真空包装の導入に消極的で、「菓子は空気とともに老いるべきである」との見解を維持している。幹部の任期は原則三年であるが、会長職のみ「羊羹の硬化速度」に応じて延長される場合があるとされる[3]。
事業[編集]
協会の主要事業は、和菓子の名称保護、季節表示の監修、技能認定、ならびに全国大会の開催である。とりわけ毎年に周辺で開かれる「全国菓道祭」は、出品点数が平均2,300点を超える大規模行事として知られている。
同協会は、各地の菓子店に対し「春は淡紅、秋は煤竹、冬は白鼠を基調とすること」などとする色彩通知を発行してきた。さらに以降は、上での“断面映え”を考慮した切断角度の指針も出しており、の45度斜切りが実務標準とされたのはこの時期である。
なお、協会の研究では、を常温で3時間以上置くと「郷愁係数」が上昇し、購入率が平均14.2%上がるという結果が報告されたが、その測定法は試料室の照明に依存しすぎているとして批判もある。
歴史上の事件[編集]
練り切り危機[編集]
、全国の老舗が「練り切りの白の定義」をめぐって対立し、協会内でいわゆる「白餡会議」が開かれた。会議は続き、最終的に「白は純白ではなく、月見の曇りを含む」とする妥協文が採択されたとされる。
この文言はのちに多くの製菓学校で引用されたが、意味が不明瞭すぎるため、実技試験では「とりあえず均一に見えればよい」という運用が広がったという。
地方色の標準化騒動[編集]
にはの菓子業者が「寒冷地における羊羹は凍結により文化財となる」と主張し、協会の標準化方針に反発した。これに対し協会は、凍結保存時の糖度を逆に“地域文化の厚み”として評価する新指標を導入し、問題を半ば収束させた。
ただし、この時に作成された内部資料『凍菓子に関する覚書』には、羊羹の断面をの地層に見立てる図が掲載されており、後年、地質学者から「比喩としても雑である」と指摘されている[要出典]。
デジタル化と国際展開[編集]
以降、協会は英語版の糖度表記と多言語の菓銘データベースを整備し、、、の菓子見本市に出展した。とくにの展示では、を“edible archive”として紹介し、来場者の半数が保存食だと誤認したとされる。
また、協会は電子会員証の導入に際して、裏面にの断面写真を印刷することを義務づけた。これは偽造防止に有効であったが、スマートフォンの画面保護シートに似すぎているとの理由で一時的に中止された。
批判と論争[編集]
協会に対する批判として最も多いのは、伝統の維持を掲げながら、実際には細かな規格の更新を繰り返してきた点である。とりわけの「栗きんとん黄色基準改定」では、協会が“自然な黄金色”の範囲をCIE値で厳密に定めたため、老舗同士の間で「色ではなく信仰を売っている」との反発が起きた。
また、系と系の技法差をあえて残す運用についても、学術的には単なる地域マーケティングではないかとの指摘がある。一方で協会側は、菓子は味覚より先に作法を食べる文化であるとして、標準化と多様性の両立を主張している。
なお、役員会で使用される木製会議机には「飴が落ちても叩かないこと」と刻まれているが、これが創立当初の理念を示すのか、単なる衛生注意なのかは現在も意見が分かれている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『菓子規範の成立と京都市場』京都菓業出版社, 1903.
- ^ 堀川了寛「餡温度と季節感の相関」『菓子工藝学雑誌』Vol. 2, No. 4, pp. 41-58, 1911.
- ^ 西園寺菓舟『茶席供菓論』東京甘味研究会, 1926.
- ^ 竹内芳春「桜色運用細則の社会的影響」『日本菓子史研究』第8巻第2号, pp. 117-139, 1932.
- ^ Margaret A. Thornton, 'Standardization of Wagashi Form Factors', Journal of East Asian Food Systems, Vol. 14, No. 1, pp. 3-26, 1959.
- ^ 佐伯真砂子『全国和菓子規格表の再編』農山漁村文化協会, 1949.
- ^ Hiroshi Kanda, 'The Politics of Bean Paste Temperature', Bulletin of Culinary Anthropology, Vol. 7, No. 3, pp. 201-219, 1978.
- ^ 島田千代『凍菓子に関する覚書とその周辺』関西保存食品研究所, 1984.
- ^ 三宅俊彦「断面映え時代の和菓子包装」『デザインと菓子』第11巻第1号, pp. 9-31, 2014.
- ^ 坂東宗玄『菓子文化と国際展示の実務』上野和菓子協会出版部, 2018.
- ^ L. Fitzgerald, 'Archive as Sweets: Wagashi in Global Exhibitions', The Culinary Review, Vol. 22, No. 2, pp. 88-104, 2020.
外部リンク
- 日本和菓子協会 公式記念館
- 菓子規範デジタルアーカイブ
- 全国菓道祭 実行委員会
- 上野甘味史料室
- 餡温度標準化研究センター