日本学園バカすぎて明治附属化解除事件
| 名称 | 日本学園バカすぎて明治附属化解除事件 |
|---|---|
| 正式名称 | 学校法人日本学園附属資格虚偽行使および名義管理不正事案 |
| 日付 | 1987年4月17日 |
| 時間 | 午前9時30分ごろ |
| 場所 | 東京都世田谷区 |
| 緯度/経度 | 35.6423°N / 139.6699°E |
| 概要 | 明治系附属を名乗る校務文書の改ざんが発覚し、法人内の認証管理が解除された事件 |
| 標的 | 入試資料、校名印、理事会議事録 |
| 手段/武器 | 職員印の不正使用、校史資料の差し替え、偽造回覧板 |
| 犯人 | 元庶務主任の藤崎栄一ほか複数名とされる |
| 容疑 | 有印私文書偽造、業務妨害、背任 |
| 動機 | 附属校ブランド維持と学内序列の再編 |
| 死亡/損害 | 死者なし。広報費約2,480万円、名簿修正1,146件 |
日本学園バカすぎて明治附属化解除事件(にほんがくえんばかすぎてめいじふぞくかかいじょじけん)は、(62年)にので発生したをめぐるである[1]。警察庁による正式名称は「学校法人日本学園附属資格虚偽行使および名義管理不正事案」とされ、通称では「明治附属化解除事件」と呼ばれる[2]。
概要[編集]
日本学園バカすぎて明治附属化解除事件は、の内部で、系の附属関係を示す書類が不自然に膨張し、ついには外部監査により「附属化」が解除されたとされる事件である。事件名に含まれる「バカすぎて」は当時の学生新聞の見出しに由来するとされ、後年のまとめ記事で半ば公称化した[3]。
この事件は、単なる校務ミスではなく、入試広報・同窓会運営・進学実績の三つが絡んだとして扱われた。なお、関係者の一部は「学校の格式を守るための慣行だった」と供述したが、逆にその慣行があまりに雑だったため、監査担当者が初回確認で異常を把握したとも伝えられている[4]。
背景と経緯[編集]
附属資格の肥大化[編集]
後半、世田谷区内の私立学校再編の流れの中で、同法人は「準附属」「協力校」「研究提携校」などの便宜的肩書を段階的に整理していた。しかし日本学園側では、これらの文言を職員ごとに解釈しており、理事会議事録にはの名が23通りの表記で現れたという。とくに庶務主任のは、校印の押し直しを「附属化の補強」と呼んでいたとされる。
1986年末には、進学説明会で配布されたパンフレットに「本校は明治附属の精神的継承校である」との文言が印刷され、翌週には「精神的」だけが消された版が再配布された。削除の理由は不明であるが、当時の職員日誌には「校長が昼食後に笑い出したため」と記されており、要出典のまま今日まで残っている[5]。
解除の引き金[編集]
4月上旬、外部の事務監査で、入試要項の旧版に「明治附属化済」と赤字で書かれた付箋が大量に貼られていることが見つかった。付箋は全部であり、うちは同じ筆跡で、しかもすべて「済」の字が微妙に斜めであったという。
監査側は当初、単なる誤植とみていたが、校内掲示板からは「附属化解除に伴う制服ボタンの扱いについて」という回覧が見つかり、さらにその回覧の配布先にが含まれていなかったことから、内部統制の不備が問題化した。結果として、外部機関は附属認証の一時停止、すなわち通称「明治附属化解除」を通告したのである。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
事件発覚後、捜査二課との合同調査班が設置された。調査班はまず校内の印章台帳を確認したが、台帳には「明治印」「明治印(旧)」「明治印(気持ちだけ)」の三種が存在し、番号の振り方も互いに矛盾していたため、捜査員の一人が「組織犯罪より複雑である」と述べたとされる。
また、校内のコピー機からは深夜帯に大量の複写が行われた痕跡があり、1987年4月15日から16日にかけて、少なくともの書類が再出力されていた。これらの一部には、まだ乾ききっていない朱肉の跡が付着しており、犯行は相当急いで行われたとみられている。
遺留品[編集]
遺留品として最も注目されたのは、校務室の机裏に貼られていた「附属化解除時は右から読むこと」と書かれたメモである。何を右から読むのかが最後まで判然としなかったが、捜査班はこれを内部合図の可能性があるとして保全した[6]。
ほかに、明治風の紋章を模した金属バッジ、消しゴムで修正された校章入り封筒、そして食堂の箸袋に書かれた「検挙される前に朝礼」といった謎の走り書きが回収された。なお、箸袋の筆跡は藤崎のものと極めて似ていたが、本人は「当時の自分は左利きだった」と供述し、かえって混乱を招いた。
被害者[編集]
直接の被害者は生徒ではなく、の信用と、明治系附属を前提に組まれていた入試広報網であった。とくに翌年度入試の願書送付件数は、前年のからへ急減し、説明会の参加者も近く減ったとされる[7]。
また、同窓会名簿の一部では、卒業生の所属表記が「明治附属組」「非附属組」「準附属組」に分割され、過去の卒業証明書の再発行業務が約滞った。被害者の中には、大学受験の出願先で「附属関係の説明を求められた」ことで精神的苦痛を訴えた者もいたが、裁判では「説明できる者が校内に一人もいなかった」ことが認定材料になった。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
2月の初公判では、藤崎栄一らは有印私文書偽造と業務妨害のでされた。検察側は、附属化を示す印字の差し替え、理事会決裁の事後承認、そして「附属だと思い込ませるための連続的な広報」がの中心であると主張した。
一方で弁護側は、当時の校内では「附属」「準附属」「準々附属」が混在しており、むしろ制度が曖昧だったために事故が起きたと反論した。これに対し裁判長は「曖昧さがあっても、回覧板に大学名を3回重ね印刷する必要はない」と述べたとされる。
第一審[編集]
第一審判決では、藤崎に対し懲役、執行猶予が言い渡された。共犯とされた元広報担当者には罰金刑が科され、校内で印刷機の操作を担当していた職員については、証拠不十分でのまま棚上げされた。
判決文は異例の長さで、附属化解除までの経路を図表化した付録が付属していた。そこでは、校章の誤用が単独の過失ではなく、学内ヒエラルキーの見栄と外部評価の恐怖が折り重なって生じたと認定されている。
最終弁論[編集]
最終弁論で検察は、「本件の本質は、明治附属を名乗ることではなく、明治附属に見せかけることを誰も止めなかった点にある」と述べた。これに対して弁護側は、被告人が何度も「時効」を意識していた形跡があるとして軽減を求めたが、実際には校内規程の保存年限を勘違いしていただけで、戦術としては雑であった。
なお、裁判記録には「被告人は、附属化解除後も校名略称を直せなかった」との一文が残っており、傍聴席で失笑が起きたという。これは後年、事件を象徴する場面としてしばしば引用されている。
影響と事件後[編集]
事件後、内の私立学校法人では、校名・系列名・提携名の表示基準が細かく再整備された。とくに広報資料には「附属」「連携」「提携」の語を併記する際の審査欄が新設され、度には同種の相談件数が前年のに増えたとされる。
また、日本学園では、校内文書の版管理を行うために「名義監査係」が臨時に設けられ、最盛期にはいた担当者が、3年後にはまで削減された。これにより再発は防がれたとされるが、一方で「校史が急にまじめになりすぎて面白みが消えた」と同窓会誌で批判された。
事件の余波は受験産業にも及び、予備校の説明会では「附属か否かの確認を出願前に行うこと」が半ば定番の注意事項となった。なお、に発行された広報冊子には、なぜか「附属化解除済み」の欄が空白のまま残されており、これは現在でも要出典としてしばしば話題になる[8]。
評価[編集]
研究者の間では、本事件は末期の学校法人におけるブランド管理の過剰化を示す事例として評価されている。また、単純な文書偽造事件でありながら、校章、進学実績、同窓会、広報、理事会という五つの層が同時に絡んだ点で、史上まれな複合事件とみなされることが多い。
ただし、事件名の奇妙さゆえに、後年のネット文化では「バカすぎて」が独り歩きし、実際の文書管理上の問題よりも、職員会議での“誰も止めなかった空気”のほうが記憶された。ある大学院論文では「日本学園の失敗は、悪意よりも会議の多さにあった」と要約されている[9]。
関連事件・類似事件[編集]
類似事件としては、の「駒込提携校誤認事件」、の「城南名義借用騒動」、の「附属看板二重掲示事件」が挙げられる。いずれも学校法人内での肩書き運用が過剰に複雑化し、結果として外部監査で是正を迫られた点が共通している。
また、下の私学界では、本事件以降「文書の最後に“本件は冗談ではない”と書かない限り、冗談扱いされる」という教訓が語られるようになった。なお、この教訓は現在ではほぼ伝承化しており、正式な通達としては確認されていない。
関連作品[編集]
本事件を題材にした作品としては、田所薫『附属を名乗った夜』がある。これはからに刊行されたノンフィクション風ルポルタージュで、校内文書の改ざんを「静かな暴走」として描いた。
映画では、公開の『明治が消えた日』が有名である。実在の学校名をぼかしつつも、回覧板が次々と増殖する名場面が話題となった。テレビ番組ではの特集番組『私立校の名義管理を追う』で断片的に取り上げられ、放送後に問い合わせが寄せられたとされる。
ほかに、学園祭の演劇として上演された『附属化解除の朝』があり、こちらはなぜか全員が校務員役で、観客の半数が途中で内容を理解できなかったという。
脚注[編集]
[1] 事件の基本日付と発生地は、後年の公文書整理で確定したとされる。 [2] 警察庁の正式名称については、内部資料の写しに基づくとされるが、原本は確認されていない。 [3] 学生新聞の見出し「バカすぎて」は複数版が存在し、いずれが初出かは諸説ある。 [4] 監査記録の一部は黒塗りで公開されており、詳細は不明である。 [5] 校長の日誌は複写本のみが残る。 [6] メモの保全番号は「S-417-R」とされる。 [7] 進学説明会の参加者統計は広報課の試算値である。 [8] 1992年版冊子の空白欄は、印刷所側のミスとする説もある。 [9] 田辺恒男『私学ブランド管理の逸脱』は実在しない。
関連項目[編集]
末期
の事件
脚注
- ^ 高瀬英治『私学ブランド管理の逸脱』教育行政研究会, 1991.
- ^ 藤原みどり『校務文書と附属資格の近代史』日本学術出版, 1994.
- ^ Masato Kanda, “A Study on Affiliation Revocation in Japanese Private Schools,” Journal of East Asian Educational Policy, Vol. 12, No. 3, 1998, pp. 211-238.
- ^ 田所薫『附属を名乗った夜』講談社, 1996.
- ^ Rebecca L. Moore, “Printed Seals and Institutional Identity,” The Tokyo Review of Forensic Archival Studies, Vol. 4, No. 1, 2001, pp. 33-57.
- ^ 中村浩『学校法人における名義運用の実務』中央法規出版, 1989.
- ^ S. H. Bennett, “When the Homework Became a Charter: Fictional Affiliation Scandals,” Bulletin of Comparative School History, Vol. 7, No. 2, 2003, pp. 90-119.
- ^ 長谷川理恵『昭和末期私学事件録』同時代社, 2008.
- ^ 井上正樹『回覧板の社会学』岩波書店, 1990.
- ^ Mark D. Ellison, “The Revocation of Meiji Affiliation and Its Administrative Echoes,” East-Asian Institutional Journal, Vol. 19, No. 4, 2012, pp. 401-429.
外部リンク
- 日本私学文書史アーカイブ
- 世田谷教育事件年表データベース
- 昭和末期学校法人監査研究会
- 附属資格と名義管理の会
- 東京校史フィクション資料館