日本学園解体反対デモ
| 名称 | 日本学園解体反対デモ |
|---|---|
| 正式名称 | 学校法人日本学園・名称変更反対集団威力妨害事案 |
| 日付 | 2008年11月14日 |
| 時間 | 午後1時30分ごろ - 午後4時10分ごろ |
| 場所 | 東京都世田谷区松原 |
| 緯度度/経度度 | 35.6648 / 139.6509 |
| 概要 | 名称変更と法人再編に反対する約180人が校門前に集結し、拡声器、横断幕、段ボール製の校章などを用いて事務局業務を妨害した事件 |
| 標的 | 学校法人日本学園の理事会および広報窓口 |
| 手段 | 連呼、道路占有、校歌の斉唱、偽装ビラの配布 |
| 犯人 | 元同窓会副会長のほか6名が起訴 |
| 容疑 | 威力業務妨害、建造物侵入、軽犯罪法違反 |
| 動機 | 「日本学園」の名を保持し、明治大学附属化への改称を阻止するため |
| 死亡/損害 | 死者なし、けが人2名、事務局の窓ガラス1枚破損、印刷費約83万円の損害 |
日本学園解体反対デモ(にほんがくえんかいたいはんたいデモ)は、(20年)にので発生したである[1]。警察庁による正式名称は「」とされ、通称では「」とも呼ばれる。
概要[編集]
日本学園解体反対デモは、の私立学校法人が、系列再編と校名変更を進めたことに反発して起きた集団抗議行動である。参加者の一部が校門前の車道を長時間占有し、事務局の業務が実質的に停止したため、後にとして扱われた。
事件は、学園の理事会がとの連携強化を背景に「」への改称方針を内々に示した直後に発生したとされる。なお、当時の学内文書には「名称は看板ではなく教育理念の器である」との記述があり、この一文が抗議者の怒りを決定的にしたとする説が有力である[2]。
本件は、いわゆる校名変更騒動の中でも、卒業生組織、地域住民、受験産業が同時に絡んだ珍しい例として知られている。警視庁は当初、単なる学園祭レベルの抗議と見ていたが、実際にはの拡声連続斉唱と、理事会宛ての「旧校章で折った千羽鶴」投擲により、通常業務の再開が大幅に遅れた[3]。
背景[編集]
学校法人再編の経緯[編集]
ごろから、日本学園では募集定員の充足率が年によってからの間で揺れ、理事会内で「附属化による安定化」が議論されていた。学園関係者によれば、当時の広報委員会はの名称候補を用意しており、その中には『』のような、関係者の間でも「さすがに大きすぎる」と評された案が含まれていたという。
一方で、同窓会側は旧来の校名を「百年ブランド」と位置づけ、校門の石碑、校歌、制服ボタンの校章まで含めて保全すべきと主張した。とくに47年製の校旗が理事会室から一時的に持ち出されたことが、後の集会で「象徴の強奪」として語られ、参加者数を一気に増やす要因になった。
抗議の組織化[編集]
デモの中心となったのは、旧日本学園同窓会の分派組織「」である。同会は、学園理事会の決定に反対するため、に会員向けの密封通知を発送し、そのうちが返信用はがきで戻ってきたとされる。
通知文には「理事会が名称変更を強行した場合、翌年の文化祭で旧校歌を24番まで歌い切る」と記されており、これが半ば脅迫、半ば伝統芸能として受け止められた。なお、実際のデモ当日は、参加者の高齢化に配慮してとが大量に持ち込まれ、抗議集会というより地域の運動会に近い様相を呈していた。
経緯[編集]
発生当日の流れ[編集]
午前11時ごろ、参加者の先遣隊が松原の校門前に到着し、横断幕『を消すな』を掲げた。午後1時半ごろには約に膨れ上がり、学園事務局は来客対応を中止した。午後2時過ぎ、集団の一部が「理事会に校歌で意見を届ける」として拡声器を用い、周辺住宅地にまで響く大音量の斉唱を開始した。
このとき、校門脇に置かれていた進学相談会用の机が転倒し、資料が歩道に散乱した。関係者はこれを単なる偶発事故と説明したが、警察は、先頭に立っていたが「資料は持っていくな、空気を運べ」と発言したとする供述を重視したとされる。
通報と現場対応[編集]
午後2時18分、学園の警備員から通報が行われ、から機動係が出動した。現場では、白い手袋をした元理事経験者が拡声器を逆さに持ち、音が出ない状態でなお演説を続けていたことが記録されている。
警察は当初、道路使用許可の範囲内の集会とみていたが、参加者の一部が正門を塞いだまま「附属化反対」を唱和したため、威力業務妨害の疑いで警戒を強めた。なお、現場写真には、抗議用の段ボール看板に『反対』と書かれていたが、文字の一部が雨でにじみ、結果として『明治大学附属世田谷高菜』に見える状態になっていたことが後年の報道で笑いを呼んだ。
捜査[編集]
捜査開始[編集]
事件後、警視庁はの疑いで捜査本部を設置し、参加者の映像解析を進めた。捜査関係者によれば、映像にはが「理事会室の鍵はないのか」と発言する場面が残されており、これが教唆的であるとして注目された。
また、周辺の防犯カメラには、抗議隊列の最後尾にのロゴ入り紙袋を持つ人物が映っていたが、本人は「袋は進学相談会で配られた記念品である」と供述している。なお、この供述は後に「袋の出所を特定するまでにを要した」という、やけに細かいメモとともに記録されている。
遺留品[編集]
現場からは、以下の遺留品が押収されたとされる。旧校章を貼り付けた5本、折り曲げられた約、および「名称変更断固阻止」と印字された12本である。
とりわけ注目されたのは、校門脇の植え込みに残されていたの花びらで、警察はこれを足取り追跡の補助資料として鑑定した。しかし、最終的には「抗議前夜に同窓会館で配布された弁当の副菜が散っただけ」と判明し、捜査報告書には珍しく赤字で『証拠能力きわめて低い』と記された。
被害者[編集]
直接の被害者は学校法人日本学園の事務局職員とされる。うちは窓口での応対を中断させられ、予定していた入試相談が延期された。被害の中心は身体的損傷よりも業務停止にあり、職員の一人は「電話が鳴っているのに、外から校歌が入ってきて意味が分からなかった」と後に述べた[要出典]。
また、近隣住民も事実上の被害者であった。とくに、松原の集合住宅では、午睡中の乳児が拡声器の低音で起床したとして、管理組合が翌週に苦情文書を提出している。被害届には『、校歌の2番で犬が一斉に反応した』とまで記録され、事件の異様さを物語っている。
刑事裁判[編集]
初公判[編集]
にで初公判が開かれ、被告人ほかは全員、威力業務妨害などの罪で起訴された。検察側は、デモが「単なる意見表明ではなく、校務を停止させる意図を伴った組織的行為」であったと主張した。
弁護側は、被告らの目的はあくまで「名称保存の要請」であり、校門占拠は偶発的な混雑にすぎないと反論した。もっとも、弁護人が『あの日のメガホンは拡声器ではなく、心の叫びである』と述べたため、法廷内で一瞬だけ傍聴人の笑いが漏れたという。
第一審[編集]
第一審判決は、に、執行猶予を言い渡し、他の被告には罰金刑または執行猶予付きの有罪判決が下された。裁判所は、行為そのものは言論の自由の範囲を超えるとしつつ、暴力の程度は限定的であったとして死刑や長期懲役は当然ながら認めなかった。
なお、判決理由中には「旧校章を用いた威圧的演出が、学園の通常業務を著しく妨げた」とあるが、裁判長は最後に「校名への愛着と違法性は両立しうる」と付言し、傍聴席の卒業生が一斉にうなずいたと記録されている。
最終弁論[編集]
最終弁論では、検察が「被告らは自らを文化保存の守護者と称したが、実際には受付業務を止めたにすぎない」と述べたのに対し、弁護側は「教育機関の名前は地域の記憶そのものである」と主張した。被告人の一人は最後に『せめてだけはやめてほしかった』と述べたが、法廷記録ではこの発言がやや誇張されて引用されている。
判決確定後、に一部の被告が校友会行事に復帰したことで、事件は徐々に沈静化した。ただし、時効完成前に提出された匿名投書があり、警察は現在も「当時の第二列目にいた人物」の特定を断念していないとされる。
影響[編集]
事件後、学校法人日本学園は名称変更案をいったん棚上げし、代わりに「校名の歴史を学ぶ週間」を新設した。この施策により、翌年度の入学説明会では旧校名への関心が逆に高まり、資料請求件数がに増えたとされる。
地域社会では、私立学校の再編問題に対する警戒感が強まり、内の他校でも、名称変更を行う際に保護者説明会を最低開く慣行が広まった。なお、本件は後年の学校法人ガバナンス論において「校名と法人統治のねじれ」を示す典型例として引用されることがある。
一方で、デモで使用された旧校歌の録音が、同窓会の非公式動画サイトで妙に人気を集め、再生回数がを超えた。学園側は著作権上の配慮から削除要請を出したが、すでに地域のカラオケ店で「」として登録されていたため、完全な削除には至らなかった。
評価[編集]
事件の評価は分かれている。卒業生の間では「名称保存運動の象徴」とみなされる一方、法学者の中には「学校という準公共空間における抗議の限界を示した事例」として位置づける者が多い。とくに法学部のある准教授は、これを「制服と法廷が最も近づいた日」と評したとされる。
ただし、事件を報じた当時の週刊誌には、抗議者の年齢層がからに集中していたことから「高齢化した青春の暴発」と記した記事もあった。これは乱暴な表現であるが、実際に現場では、拡声器の電池切れを補うために参加者が交代で声を張り上げるなど、妙に組織化された熱量が確認されている。
関連事件・類似事件[編集]
類似の事例としては、の「」、の「」が挙げられる。いずれも学校の再編に対する反対運動であったが、道路占有と業務停止に至ったのは本件が突出している。
また、学校名の変更をめぐる民事紛争としては、の私学で起きた「附属冠称使用差止仮処分事件」が知られる。ただし、これらの事件と本件が異なるのは、本件では反対派が自作の横断幕に誤って『賛成』と書いてしまい、2時間ほど気づかなかった点である。
関連作品[編集]
事件を題材にした書籍として、『――日本学園解体反対デモの記録』(、)がある。学園内部資料や傍聴メモをもとにしたルポルタージュで、付録の年表が異様に詳しいことで知られる。
映像作品では、のドキュメンタリー番組『』が放送され、校歌斉唱シーンだけでを費やしたことで話題となった。また、映画『』(監督)は、事件をモデルにした法廷劇として公開されたが、裁判所のセットよりも校門セットの方が制作費を食ったという。
テレビ番組では、系の情報番組が「世田谷の学園抗争」として紹介し、コメンテーターが校章の形状を言い間違えた。これに対し、元同窓会幹部が『あれはデザインではなく家紋に近い』と反論したが、誰も深くは追及しなかった。
脚注[編集]
[1] 事件の正式名称と通称は、警視庁広報資料および地元紙の用法をもとにしたとされる。
[2] 当時の理事会配布資料『未来構想2008』に記載があったというが、原本の所在は確認されていない。
[3] 参加人数、資料散乱部数、録音再生回数などは、関係者証言と後年の回想録を総合した推計値である。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯 真一『私立校名変更と地域抗議の社会学』東信堂, 2012, pp. 41-68.
- ^ 小野寺 恒一『松原校門前日誌――ある同窓会分派の記録』青木書店, 2010.
- ^ Marjorie K. Ellison, "Brand Loyalty and School Identity in Urban Japan," Journal of Educational Conflict Studies, Vol. 14, No. 2, 2014, pp. 115-139.
- ^ 田辺 由香『学校法人ガバナンスの迷宮』法律文化社, 2015, pp. 203-226.
- ^ Kenjiro Hasegawa, "Chanting as Obstruction: A Case from Setagaya," Comparative Protest Review, Vol. 7, No. 1, 2011, pp. 9-31.
- ^ 山岸 敬『附属化する私学――名称・伝統・市場』ミネルヴァ書房, 2013, pp. 77-104.
- ^ Eleanor S. Price, "Annexation by Name: The Politics of Educational Rebranding," The Tokyo Social Policy Quarterly, Vol. 22, No. 4, 2016, pp. 201-219.
- ^ 藤本 里美『校歌と法廷――世田谷事件の記憶』日本評論社, 2018, pp. 12-55.
- ^ Michael R. Donovan, "The Banner Was Wrong: Typography in Student Protests," East Asian Civic Movements, Vol. 3, No. 3, 2009, pp. 88-97.
- ^ 『学校再編と地域感情――名前をめぐる争い』教育史研究 第19巻第1号, 2011, pp. 3-29.
- ^ 中野 文子『名前は誰のものか』河出書房新社, 2020, pp. 144-171.
外部リンク
- 世田谷学園事件資料室
- 校名紛争アーカイブス
- 教育再編と地域記憶研究会
- 同窓会史料デジタル館
- 東京私学トラブル年鑑