早稲田祭のダサいの部分
| 対象行事 | 早稲田大学 学園祭(早稲田祭) |
|---|---|
| 性格 | 同窓会的ユーモア/都市伝承 |
| 主な現象 | 導線・音響・衣装・演出の“ズレ” |
| 言及媒体 | 構内掲示・同人誌・SNS |
| 成立時期(仮) | 1994年ごろに比喩語として拡散 |
| 関連用語 | 規格外愛好症候群、音痴統制会議 |
(わせださいのださいのぶぶん)は、で行われる学園祭のうち、運営の合理性よりも“ノリ”が勝ってしまう場面群を指す語である。とくに「会場の導線」「衣装の規格外感」「音響の不整合」を含むとされ、1990年代に学生間の冗談として定着したとされる[1]。
概要[編集]
は、学園祭を「楽しいイベント」として語るだけでは回収しきれない要素を、あえて“ダサさ”という共通の感情語で括ったものである。ここでいうダサさは、単なる失敗ではなく、参加者同士の記憶が噛み合わない瞬間に生まれる“学園的な間”として理解されることが多い。
語の成立には、内の複数サークルが、毎年の運営引き継ぎで発生するトラブルを「反省会」ではなく「笑い話」に変換する必要性があったとされる。たとえば音響担当が「会場の座標を西暦のように読め」と言い出し、結果としてのスピーカーが一斉に“別の方向のノリ”へ向けられた、という筋書きが後年の語りの定型化に寄与したとする説がある[2]。
なお当該語は批評用語の体裁を取りつつも、攻撃ではなく“救済”として働くことが多い。すなわち「ダサい部分があったからこそ、翌年の改善点が言語化できる」という慰撫の装置として扱われ、結果として学園祭の運営知が共同体の暗黙知として残されるようになったと推定されている。
概念と構成[編集]
「ダサい」の定義(現場判定基準)[編集]
語られる対象は大別して4類型に整理されることが多い。第一にであり、来場者が「入口→本部→模擬店→ステージ」の順に辿れない状態を指すとされる。第二にであり、統一感よりも“手作りの自己主張”が優先される場面が該当する。
第三にであり、たとえば司会マイクの声だけが100分の1秒ずれて聴こえる(と観客が体感する)現象が典型例として語られる。第四にであり、「失敗する前提で盛り上げよう」という企画が、盛り上がりすぎて逆に冷静な導線改善を封じるケースが挙げられる。
もっとも、これらの定義は規格書としては残っておらず、毎年“現場判定”で更新されるとされる。判定に使われるのは、経験則を数値化した「テンポ狂い係数(TKA)」であると紹介されることがあるが、学内資料では「算定方法は門外不出」とされている。
分類方法(ダサさのサブゾーン)[編集]
早稲田祭のダサさは「場所」ではなく「発火条件」で切り分けられるとする見方がある。代表例として、周辺の回廊では“拍手が先に来る”ことがあり、観客の反応がスピーカーの遅延より早いと感じられるため「回廊フィードバック・ゾーン」と呼ばれたことがある。
一方での臨時導線では、紙の地図と現地の立て看板が「半径73mだけ矛盾する」という奇妙な挿話が残っている。矛盾の原因として「看板作成チームが学部の略称を半角で書き忘れた」という技術的な話が後に付与されたため、結果としてダサさが“原因究明可能な失敗”として語られやすくなったとされる[3]。
さらに、ステージ裏の待機導線では「衣装の厚み」が導線幅と干渉し、スタッフが定規ではなく“体感で測る”ようになると、ダサさが急増するという。これを「厚み相関事故(TKA-III)」と呼ぶ学生もいるが、同名の学内研究会が実在したという確認は取れていない。
歴史[編集]
語の誕生:1990年代の“引き継ぎ爆発”[編集]
が比喩語として広まったのは、1990年代半ばに運営が「クラブ単位」から「複数組織の連携」へ移行した時期と重なるとされる。連携が増えるほど意思決定が分散し、結果として“誰の責任か分からないまま進む”場面が増える。その場面が「ダサい」と呼ばれることで、責任追及を避けつつも記憶を共有できるようになったと説明される。
その象徴として語られるのが、の“音響制御の夜”である。ある学園祭運営委員会(仮称)が、控室から本部へ送る指示をで一斉配布したところ、先方の受信速度が遅く、指示文が「—3dB」ではなく「—3dB…“3分”」と読める状態になったという。翌日、ステージ音が必要以上に“間延び”し、観客はそのズレを笑いとして消費したため、「ダサいの部分」の原型になったとされる[4]。
この年の会場記録では、正確にの“立ち位置調整”が行われたと書かれているが、同じ記録内で「21回だった」という手書きメモも見つかっている。こうした不一致こそが、語が冗談として定着する土壌になったと解釈されている。
制度化:2000年代の“ダサさ監査”[編集]
2000年代に入ると、ダサいの部分は単なる笑い話から、運営の改善材料へと変わったとされる。学生たちは“笑って終わる”だけでは次の年に活かせないことを感じ、即席の点検表を作った。その点検表は「見た目」「聞こえ」「曲がる導線」「迷う導線」の4カテゴリで構成され、各カテゴリにが割り当てられた。
ただし点数の中身は、実際の品質指標ではなく、観客の体感に合わせる運用だった。たとえば「見た目」は衣装の統一度ではなく、観客が写真を撮りたくなる“間抜け度”で評価されたとされる。こうしてという半ば冗談の仕組みが、結果として導線改善や音響調整の手順化を促したとされる。
2007年ごろには「ダサいの部分」を測るための専用ハンドブックが配布されたとされ、表紙には『失敗を記録し、勝手に救う』という文言があったという。もっとも、現物が確認されたわけではなく、当時の配布担当者の証言に基づくとされる。この点、要出典の注記が付されていた可能性が高いとも指摘されている。
現在:SNS時代の拡散と“炎上しない笑い”[編集]
2010年代以降、の普及により、ダサいの部分は「撮影される失敗」へと変化した。つまり、観客が不意に切り取った“ズレの瞬間”が拡散し、それが次年の企画改善の圧力になったとされる。
ただし笑いが過熱すると誤解を招くため、学生たちは“攻撃にならない表現”を工夫した。たとえば音響の遅延が起きた日は、後で「遅延ではなくエコーの詩情」と書かれた追記が出回ったという。さらに導線の錯綜については「迷路ではなく創作体験」と称され、迷った人が同じ台詞を共有できるようにした。
その結果、早稲田祭のダサいの部分は、失敗を隠すのではなく、共同体の誇りとして再編集され続けているとされる。一方で、外部の視聴者からは「過剰な美談化ではないか」という意見も現れ、批判と論争へと話題が移っていくことになる。
事例(“ダサさ”が立ち上がる瞬間)[編集]
具体例として、前の横断付近では「アナウンスが学内言語でしか聞き取れない」現象があったと語られる。たとえば司会がと読み上げたところ、観客が本当に三歩目で立ち止まり、なぜか拍手が揃ったという。運営は「心拍数を要求したつもりはない」と釈明したが、観客は“偶然が成立した”ことに価値を見出し、翌年も同じ文言を台本に残したとされる。
また、模擬店エリアでは「箸袋のデザインが一斉に反転している」事件が報告されている。原因は、印刷会社の校正がではなく「Kのみ濃い」設定で進んでしまったためとされるが、当時の店長は「いや、それは“逆光の味”だ」と言い切った。結果として不自然な見た目がキャッチーになり、箸袋は翌日から“お土産ランキング”の上位に入ったという(ランキングの母数はとされるが、根拠資料は見当たらない)。
さらに音響では、会場の遅延を計測するための専用アプリが、実は“音の高さ”ではなく“通知の遅れ”を測っていたという笑い話がある。測定値は毎回ほぼ一定で、担当者は「機材は正常です」と言い続けた。その一方で観客は「機材が正常だからこそズレが芸になった」と評価し、結果としてダサいの部分が“改善できないもの”として神話化したと推定されている[5]。
このように、ダサいの部分は失敗の単純な集合ではなく、「誤差を誇張し、共同体の記憶に変換する」プロセスとして描写されることが多い。
批判と論争[編集]
ダサいの部分が繰り返し語られることで、運営の努力が見えにくくなるという批判もある。とくに外部からは「わざとダサくしているのではないか」という疑いが投げられ、広報の一部が「現場都合と創作の境界は毎年調整している」と説明したとされる。ただし、その説明が一次資料に基づくかは不明であり、二次的引用に見えるという指摘がある[6]。
また、学内の一部では「ダサい」をラベリングとして固定化することへの不快感も示された。そこで、2018年ごろには「ダサいの部分」という語を避けて「愛嬌の誤差」と言い換える試みが行われたという。しかし言い換えは逆に炎上し、結局は“誤差”の言葉が新しいダサさとして定着するというオチが生まれたとされる。
一方で、擁護側はダサさの共有が、学生の努力を免罪するものではなく「次年の改善を合意形成する言語」だと主張している。たとえば音響不整合が起きた年に、なぜズレたかを説明する手順が翌年の運営マニュアルへ取り込まれたという報告があり、ダサいの部分は“学習装置”としても働いたとされる。ただし、どの項目が改善に寄与したかについては、記録の閲覧性が低く、検証は困難とされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山岡晴人『早稲田祭の言語化:現場ユーモアの系譜』早稲田大学出版部, 2003.
- ^ Catherine L. Bedford『Ritual Misalignment in University Carnivals』Journal of Campus Folklore, Vol.12 No.4, 2011.
- ^ 佐藤里佳『学園祭運営と暗黙知:点検表の作法』東京学芸出版, 2008.
- ^ 田中啓介『音響のズレはなぜ笑いになるのか:遅延体験の社会学』音響社会研究所, 2014.
- ^ Mikhail Orlov『The Ecology of “Dull Moments” in Event Culture』International Review of Event Studies, Vol.7 No.2, 2017.
- ^ 早稲田祭・現場調律室『運営引き継ぎメモ(未刊行)』【早稲田大学】文書保管庫, 1996.
- ^ 伊藤楓『規格外の美学:衣装・写真・共有の三角形』グラフィック文化叢書, 2019.
- ^ Katherine M. Watanabe『導線が語るもの:迷いと納得の心理』心理学年報, 第33巻第1号, 2020.
- ^ 渡辺精一郎『Kのみ濃い校正の話:印刷事故と共同体』印刷史叢刊, 2016.
- ^ ※要検証『早稲田祭・ダサさ監査ハンドブック』早稲田祭運営委員会, 2007.
外部リンク
- 早稲田祭・現場記録アーカイブ
- 戸山キャンパス迷路図鑑
- 音響遅延観測ログ(非公式)
- 学園祭の共同体学習ノート
- 規格外衣装データベース