月影落
| 名称 | 月影落 |
|---|---|
| 読み | つきかげおとし |
| 英名 | Tsukikageotoshi |
| 成立 | 18世紀末 - 19世紀初頭 |
| 発祥地 | 京都(四条河原町周辺とする説が有力) |
| 分類 | 即興芸能・影操作技法 |
| 主な伝承者 | 澤村月庵、桂井雲舟、北村照右衛門 |
| 関連分野 | 落語、茶道、能楽、写真術 |
| 別称 | 影落し、月隠し |
| 禁忌 | 満月の夜に3回以上行うこと |
月影落(つきかげおとし)は、後期にの月見文化との即興演出が結びついて成立したとされる、影を「落とす」ことで場の空気を一変させる芸能技法である。後に、、さらには期の写真術にも影響を与えたとされている[1]。
概要[編集]
月影落は、灯りの角度、屏風、衣の揺れを利用して、見物人の視界に一瞬だけ「月が落ちる」ような錯覚を作る芸能技法である。一般にはの町家座敷で発展したとされるが、近年はの寄席やの見世物小屋でも再解釈が進んだとされる[2]。
この技法は単なる手品ではなく、観客の沈黙の長さ、畳の軋み、羽織の袖口の重さまで計算する点に特徴がある。とりわけ年間に記されたとされる『月影落秘伝控』には、照度を「六分の一盞」、間を「三息半」とする独特の単位が見え、後世の研究者を困惑させた[3]。
成立と伝承[編集]
月影落の起源については諸説あるが、もっとも有力なのは、界隈の茶席で、月見の最中に雲が切れた瞬間を再現しようとしたの工夫に由来するという説である。月庵は元来、の御用をつとめた畳職人であったと伝えられ、畳縁の色で月光の濃淡を表現した最初の人物とされる[1]。
一方で、を開祖とする系統では、月影落は落語の「間」を視覚化したものと説明される。雲舟は5年、の茶屋で披露した際、客席の一角だけを暗くするために行灯を斜めに吊るし、結果として2人の客が同時に泣き出したという逸話が残る。もっとも、この逸話は後年の講談が膨らませた可能性がある。
に入ると、月影落はらによって写真の露光技法へ転用され、わずか0.8秒から1.2秒の差で人物の「気配」を残す方法として宣伝された。なお、内田家はの前身機関に出入りしていたとされるが、該当する記録の一部は関東大震災で焼失したと説明されている。
技法[編集]
基本構成[編集]
月影落は、第一に「月縁」、第二に「畳陰」、第三に「息止め」の三要素から成るとされる。月縁とは光源の縁を紙障子で半分だけ切る操作であり、畳陰は観客の足元に落ちる影の伸びを測る工程、息止めは演者と客が同時に沈黙する極短時間を指す。現代の研究では、この三要素のうち最も重要なのは息止めであるとする説が多い[4]。
器具[編集]
用いられた器具は、真鍮製の小さな反射板、藍染めの袱紗、煤を薄く塗った和紙などである。とくに近くの工房で作られたという「曇り鏡」は、表面に約0.03ミリの傷を意図的につけ、月光を半歩遅らせて返すと説明されたが、物理学的にはかなり疑わしいと指摘されている。
禁忌と作法[編集]
伝承上、月影落はの夜に3回以上繰り返してはならないとされる。3回目の実施では、観客が自分の影を見失い、翌朝までの方角を向いたまま黙ることがあると信じられた。もっとも、これを「集団催眠の一種」とみなす学説もあり、の民俗学研究室では1964年に関連する聞き取り調査が行われたという。
歴史[編集]
江戸後期の流行[編集]
からにかけて、月影落は町家の遊芸として急速に広まった。とくにの酒肆では、1晩に平均17回ほど試みられ、成功率は6割前後であったとされる。失敗した場合でも、客が「今日は月が重い」と評して席を外さなかったため、むしろ評判が上がったという。
明治の制度化[編集]
、の外局とされる「陰影芸保護掛」が月影落を風俗改良の観点から調査し、演目の順序を6項目に整えた。これにより、従来は各師匠ごとにばらついていた所作が半ば規格化されたが、同時に「影に個性がなくなる」との批判も起きた。なお、同掛の存在を示す公文書は現在確認されていない。
戦後の再評価[編集]
30年代にはの文化番組『夜のかたち』で紹介されたことをきっかけに、月影落は再評価された。放送では、ガラス板1枚と白熱灯2個だけで再現する簡易版が披露され、視聴者からは「眠気を誘うのに、不思議と最後まで見てしまう」との投書が約230通寄せられたとされる。
地域差[編集]
流では余韻を重視し、影を落とす前に必ず30秒以上の静寂を置く。一方流では、影が落ちる瞬間に小声でオチを添えるため、観客が笑うべきか息をのむべきか迷うのが特徴である。
流は比較的新しく、の興行文化と結びついて「影を見せるより、見せないことの方が上品である」とされた。さらにの一派では、月影落を加賀友禅の文様に応用し、布地に月光の残像を染める試みが行われたという。
社会的影響[編集]
月影落は芸能技法にとどまらず、建築、出版、写真、さらには接客業にも影響したとされる。特に期の料亭では、月影落を応用した「沈黙の間」が流行し、1組の客に対して献立を2回しか説明しないことで高級感を演出した。
また、の一部会員は、障子の桟の幅が月影落の印象を左右すると主張し、1927年には「影を測るための定規」まで提案された。もっとも、当時の新聞には「そんなものを持っていると近所に疑われる」との皮肉が載っており、普及は限定的であった。
批判と論争[編集]
月影落をめぐっては、そもそも「芸能」と呼ぶべきか「照明工学」と呼ぶべきかで長年対立があった。とくに出身の河合静彦は、月影落は気象観測の副産物にすぎないと主張し、これに対して保存会は「月を落とす意思がある以上、芸能である」と反論した[要出典]。
さらに、1981年にはの公民館で行われた実演が、会場の非常灯規制に抵触したとして中断され、主催者が「影の権利を尊重してほしい」と抗議した。以後、公共施設での実施には事前に照明配置図の提出が求められるようになったという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 澤村月庵『月影落秘伝控』私家版、1798年.
- ^ 桂井雲舟『影の間と笑いの間』道頓堀文庫、1826年.
- ^ 内田照右衛門「月影落の露光転用に関する一考察」『写真光学研究』Vol. 7, No. 2, 1913, pp. 41-58.
- ^ 河合静彦『月影落否定論』京都帝国大学民俗学会、1932年.
- ^ 杉本雪枝「障子の桟と視覚残像」『日本建築民俗誌』第12巻第4号、1949年、pp. 203-219.
- ^ M. A. Thornton, “On the Lunar Shadow Drop Technique,” Journal of East Asian Performance Studies, Vol. 3, No. 1, 1968, pp. 11-29.
- ^ 北村照右衛門『曇り鏡製造覚書』大阪工業試験出版部、1957年.
- ^ 田所みつる「月影落の沈黙時間に関する統計的研究」『芸能時間学』第5巻第1号、1976年、pp. 5-22.
- ^ Elizabeth Harrow, The Manual of Silent Shadows, Cambridge Lantern Press, 1984.
- ^ 『月影落と写真術』文化庁芸術記録室編、1989年.
- ^ 山辺清次「満月夜三回禁忌の民俗学的再検討」『近代民俗』Vol. 18, No. 3, 2001, pp. 77-91.
外部リンク
- 月影落保存会
- 京都影芸資料館
- 日本月影文化学会
- 道頓堀演芸アーカイブ
- 影と沈黙の研究センター