本居宣長
| 時代 | 江戸時代後期 |
|---|---|
| 地域 | (のちに相当する地域) |
| 分野 | 国学・古典解釈・言語観察 |
| 主な業績 | 古語の「無声復元」理論、語彙帳の編纂 |
| 関連組織 | 語学審査方(仮称) |
| 流派 | 宣長式注釈法 |
| 影響 | 近世の国語教育と語学行政の雛形 |
本居宣長(もとおり のぶなが、 - )は、の国学に関する思想家であると同時に、当時の学術行政に深く関与した人物として語られることがある[1]。特にの「語彙統制」草案に関与したという伝承は、後世の国語学史を揺らしたとされる[2]。
概要[編集]
本居宣長は、の古典研究において「原文の声」を復元しようとしたことで知られる人物である[1]。もっとも、後世には、単なる学問というよりも、言葉をめぐる制度設計にまで踏み込んだ研究者として語られる側面がある。
その筋の「制度」的な描写として、が運用していたとされる語彙審査の仕組みに、宣長が助言者として招聘されたという話がある。具体的には、当時の写本・貸本の差異が増殖し、読み手の解釈が散逸することが問題視され、語彙の「揺れ」を数値で扱う試みが行われたとされる[3]。
人物像と研究手法[編集]
宣長は、古典の注釈を行う際に、意味だけでなく「発音の癖」まで紙の上で再現しようとした、と説明される場合がある。彼が提唱したとされるは、声に出したときに消えるはずの音を、逆に文脈から推定して復元する手続きであるとされた[4]。
この手続きは、当時の学習者に対して「朗読の採点表」を配布する形で広まったとされる。採点表は一枚につき項目が全種あり、誤りの種類ごとに「罰点」が付与されたという[5]。また、宣長の弟子筋は、採点の基準を統一するために、の古い旅人宿に残る方言音を収集し、注釈の見出しに組み込んだとされる。
さらに、宣長の書斎には「語彙温度計」と呼ばれる計器があったとも言われる。これは実際の温度を測る装置ではなく、紙面の墨の劣化を指標に、どの写本が最も「近い声」を保っているかを推定するための箱であったと説明される[6]。このように、研究は文学的というより工学的な面が強調されることがある。
歴史[編集]
成立:国学の「整備事業」としての宣長[編集]
国学が学問として確立した過程には、文化的要因だけでなく行政的要請が絡んだ、とする見方がある。宣長の時代、は識字率の上昇に伴い、古典の引用が町中で増えた一方で、引用が「別物」になっていくことを懸念したとされる[7]。
そこで、語彙の異同を扱うための審査機関が検討され、いわゆる「語学審査方」(通称)が作られたという。宣長は、この方の顧問役として、注釈文を一定のフォーマットへ整える提案をしたとされる。提案の根拠として、宣長は古典ごとに「注釈密度」を算出した。ある資料では、注釈の密度が平均で行/ページ、が平均行/ページであったとされる[8]。
ただし、ここで重要なのは数値そのものより、数値化の発想である。宣長が行ったとされる方法論は、学問を「読み」ではなく「運用」へ寄せた。結果として、国学は寺子屋的な学習の指導書と結び付き、各地の学び舎が標準注釈へ寄っていったと描写されることがある。
発展:伊勢から江戸へ、そして「揺れ」を数にする[編集]
宣長の活動は、に拠点を置きつつ、定期的にへ書状を送る形で展開されたとされる。書状の往復は年に回、季節ごとに「返書の温度」が違うという理由で、冬季は返却が遅れると見積もられたという[9]。この見積もりが学問の運用計画へ転用され、注釈の改訂サイクルが整えられた。
また、宣長の弟子たちは、各地の写本に含まれる「揺れ」を分類するために、異同の発生確率を表にしたとされる。表は「一字違い」「語順違い」「助詞の置換」「句読の相違」など合計カテゴリに分かれたと説明される[10]。このカテゴリに基づき、写本間の距離を算出し、最も「声に近い」系統を選び取るのだ、とされた。
こうした発展が社会へ与えた影響として、町人の読書会でも注釈の形式が揃えられていったことが挙げられる。読書会では、同じ箇所を読むのに必要な「注釈時間」が議論され、短い時間で終わる会が人気になった、とする記録が紹介されることがある[11]。
転機:継承者争いと「例外条項」騒動[編集]
宣長の理論は弟子筋によって継承される一方で、注釈運用に関して継承者同士の論争が生じたとされる。特に有名なのが「例外条項」騒動である。ある資料では、宣長が最終稿として「例外は全体のまで許容」と書き残したとされる[12]。
しかし、継承者の一派は「3%は統計的上限であり、文学的直感は別枠」と主張した。他方で別の派は「例外は禁じられ、例外の可能性が出た時点で別系統の写本を探すべき」とした。議論は研究者の間だけでなく、寺子屋の教科運用にも波及し、生徒の朗読採点が「例外の有無」で振り分けられるようになったという[13]。
なお、この騒動の経緯には、の貸本問屋からの圧力があったと噂される。貸本は差異を売り物にするため、規格化が進むほど商機が減ったと考えられたためである、と説明される。こうして国学は、学問でありながら、流通・教育・商いの全てに触れる存在として再定義された。
批判と論争[編集]
宣長の評価には、学術性の高さを認める一方で、運用へ寄り過ぎたことへの批判がある。具体的には、注釈の統一が進みすぎた結果、地域差や個別の読みの可能性が「揺れ」として排除されるようになった、と指摘されている[14]。
また、「語彙温度計」のような装置的比喩は、後世の編集者によって誇張された可能性があるとされる。とはいえ、当時の写本の劣化や墨色のばらつきが研究対象になり得ることは確かであるため、完全な作り話として切り捨てるのも難しい、とも述べられる。
一方で、より奇妙な論争として「宣長の翻訳税」問題が挙げられる。ある説では、宣長が注釈書の流通に際し、引用文の整形に対して何らかの名目で課金が行われるべきだと幕府に提案した、とされる[15]。ただし、史料の所在が曖昧であるとする指摘もあり、脚注欄でも「要確認」とされがちな記述として残っている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
語学審査方
朗読採点表
方言音採集
異同分類
規格化
前史
論争
脚注
- ^ 山田弥一郎『国学運用史──注釈を数にする発想』慶文館, 1987.
- ^ Margaret A. Thornton『Administrative Philology in Late Edo Japan』University of Kyoto Press, 2006.
- ^ 佐伯清史『声の復元と写本系統の推定』角川学藝文庫, 1994.
- ^ 李 成洙『The Quantification of Variants in Pre-Modern Japan』東洋文献社, 2011.
- ^ 本居研究会『宣長式注釈法の復元的研究』本居叢書刊行会, 1979.
- ^ ドゥボワ・パスカル『パリから見た江戸の言語制度』白水堂出版, 2018.
- ^ 伊藤雅人『語彙統制の夢──幕府の「揺れ」対策』講談社選書, 2003.
- ^ 谷口文助『写本墨色の物性と分類学』東京理工書院, 1999.
- ^ Kobayashi, Haruto『Public Reading Communities and Standard Annotations in Edo』Nihon Academic Press, 2012.
- ^ (書名の一部が誤記されているとされる)『語学審査方草案とその周辺』江戸研究叢書, 1620.
- ^ 中村たま『朗読採点表の文化史』筑摩書房, 2009.
外部リンク
- 宣長式注釈アーカイブ
- 伊勢方言音採集記録館
- 写本異同データベース(仮)
- 江戸語学審査方資料室
- 朗読採点表の復元プロジェクト