本通りクイーン
| 名称 | 本通りクイーン |
|---|---|
| 別名 | Hondori Queen、歩廊女王 |
| 発祥 | 広島市本通地区 |
| 成立時期 | 1978年頃 |
| 主な活動 | 観光案内、即興口上、商店街式典 |
| 運営 | 本通文化振興協議会 |
| 衣装 | 銀糸の帯と折り返し帽 |
| 関連行事 | 春の回遊祭、灯り替え式 |
| 象徴物 | 真鍮製のハンドベル |
本通りクイーン(ほんどおりクイーン、英: Hondori Queen)は、中心部の周辺で発達した、装飾性の高いの案内役および即興演出者の称号である。商店街の催事、路上演劇、観光案内を横断する独特の都市文化として知られている[1]。
概要[編集]
本通りクイーンは、の界隈で、商店街の回遊動線を円滑にするために設けられた半ば儀礼的な役職である。単なる案内係ではなく、通行量の調整、催事の開幕宣言、観光客への即席解説までを担うため、地元では「歩く交差点」とも呼ばれている。
制度としては、後半に周辺の有志が、週末ごとの混雑と迷子客の増加を受けて考案したものとされる。もっとも、実際には制服の設計に関わった老舗洋装店の店主・が、百貨店の宣伝企画と民間の口上文化を接続したのが始まりとする説が有力である[2]。
歴史[編集]
成立まで[編集]
起源はの夏、本通一帯で行われた「夕涼み回遊会」に求められる。記録によれば、当時の人流は土曜午後のに達し、案内板だけでは対応しきれなかったという。そこで、白い手袋と朱色の襟章をつけた女性たちが通りに立ち、店名とイベント順路を口上で伝える方式が試験導入された。
初代本通りクイーンに選ばれたのは、元案内係のである。彼女は地図を見せるのではなく、客の歩幅を見て進路を言い当てたとされ、商店主から「道の空気を読む人」と評された。なお、この時点では称号名はまだ定まっておらず、新聞記事では「本通の女王案内人」「本通レディ」など表記が揺れていた。
制度化と拡張[編集]
、本通商店街振興組合は、クイーンの任期を半年ごととし、着任時にを授与する規程を整備した。これにより、イベント開始時のベル音が近隣の側まで届くようになり、周辺の飲食店では開店の合図として逆に利用されるようになった。
同時期、クイーンの業務は案内にとどまらず、地方祭礼の要素を取り込んでいった。には、広島電鉄の車内広告と連動した「路面電車歓迎の儀」が考案され、停留場ごとに短い挨拶を変える独自の口上様式が成立したとされる。この様式は後に「本通節」と呼ばれ、のローカル番組で2回だけ紹介されたという記録が残る。
平成期の最盛期[編集]
に入ると、観光バスの増加により本通りクイーンの露出は一気に高まった。特にの「夏の回遊大祭」では、クイーン3名が同時に登壇し、商店街の北端から南端までを18分47秒で巡回する記録が作られた。もっとも、この記録は沿道の高齢者が途中で飴を配り始めたため、実質的にはもっと長かったとする指摘がある[3]。
この時期には、衣装の意匠も洗練された。銀糸の帯にはの潮流を模した斜線が織り込まれ、帽子の折り返し幅は当初の7センチから9.5センチに拡大された。デザイン監修を務めたの非常勤講師・は、「女王らしさとは高さではなく、通路を塞がない上品な存在感である」と述べたと伝えられる。
近年の変化[編集]
以降は、SNS上での発信が活動の中心となった。クイーンたちは商店街の混雑予測、雨天時の屋根付き回遊ルート、限定商品の売り切れ時刻を短文で案内し、若年層の来街を増やしたとされる。また、外国人観光客向けに英語、韓国語、中国語の三言語を混ぜた「三層口上」が導入され、内容が半分しか分からないのに聞き心地は妙に良いとして話題になった。
一方で、の感染症流行期には、密集回避の観点から活動が一時停止された。これを受けて、本通りクイーンはリアルな行進よりも「定点からの誘導」に重心を移し、ARを使った仮想ベル演出も試みられた。ただし、商店街の年配組合員の間では「本物のベルは指で持って鳴らすから意味がある」とする意見が根強く、導入は予定の3割程度にとどまったという。
役割と業務[編集]
本通りクイーンの主な役割は、来街者に対して「どこへ行けば何があるか」を視覚と口上の両面で示すことである。単独での案内のほか、商店街の棚卸し時期には通路の混雑を観察し、売れ筋の位置を店主に助言することもあった。
また、式典においては、店のシャッターを上げる順序、テープカットの角度、最初の拍手のタイミングまで細かく調整する。特にでは、クイーンがベルを3回鳴らした直後に方面へ人流が流れ込むことから、「ベルの経済効果」が商店街内部で半ば神話化している。
なお、選出された者は通常、半年間で延べの公務をこなすとされ、雨天時には靴底の摩耗率まで記録される。これらの記録は一部が手書きの台帳に残されており、筆跡の違いから、同じ欄を三人で修正した形跡が確認できるという。
選出方法[編集]
選考は、地元商店主、観光協会代表、制服店の職人、そして前年のクイーン経験者による4者面接で行われる。応募資格には年齢制限のほか、「地図を見ずに3本の通りを説明できること」「笑顔のまま5分間ベルを持ち続けられること」など、やや不思議な条件が含まれていた。
審査では、即興の道案内、観光客への挨拶、さらには『この店の焼き餅はなぜ2個で1組なのか』といった質問への対応力が測られる。1989年の審査では、応募者12名のうち8名が「焼き餅の思想史」に回答を求められた瞬間に沈黙したため、以後は質問の難度が少し下げられたとされる。
合格者は、広島市内のホテルで2週間の研修を受ける。研修内容には、の遅延時に笑顔を崩さない訓練、雨で看板が読めない場合のジェスチャー、商店街の年末抽選会での抽選玉の扱い方が含まれる。
社会的影響[編集]
本通りクイーンは、単なる商業イベントの付属物を超えて、都市の歩行文化に影響を与えたとされる。とりわけ、広島中心部における「待ち合わせは店名ではなく女王の立ち位置で説明する」という慣習は、半ばには若者文化として定着した。
また、観光案内の女性像を一方的に装飾化するのではなく、交通整理、地域通訳、催事統括を兼ねる実務職として再定義した点も注目される。これにより、同種の商店街イベントが、、などで模倣され、それぞれ「町筋プリンセス」「アーケードレディ」などの派生称号を生んだ。
一方で、若手商業デザイナーの一部からは、「儀礼性が強すぎて新規性を阻害する」との批判もあった。これに対し、地元の老舗菓子店主は「新しさは通路の幅を広げるが、女王は通路の意味を広げる」と述べたという[4]。
批判と論争[編集]
本通りクイーンをめぐっては、制度の象徴性と性別役割の固定化をめぐる議論が繰り返し起きた。特にには、選考基準に「立ち姿の美しさ」が含まれていたことが明らかになり、地元紙で小さな論争となった。
これに対し運営側は、基準を「通行の妨げにならない姿勢」と「来街者への説明の分かりやすさ」に改定し、評価表から「くびれの線」という謎の項目を削除した。なお、この改定後も年配の元スタッフの間では、旧基準の名残として「帽子の傾きは7分が最適」とする口伝が残っている。
また、には、クイーンが商店街の福引きで使う鐘の音色を電子化する案が出たが、「音が軽すぎる」として採用されなかった。議事録には、最後に誰かが「鐘は鳴るのではない、説得するのである」と書き足しており、後年の研究者を困惑させている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯ミツ子『本通回遊文化論』広島都市生活研究会, 1984.
- ^ 田辺和枝『ベルを持つ手の作法』中国新聞社出版部, 1991.
- ^ 宮下留美『商店街衣装学序説』県立広島女子短期大学紀要 Vol.12, pp. 44-61, 1995.
- ^ H. Thornton, "Pedestrian Queens and Arcade Rituals in Postwar Japan," Journal of Urban Folklore Vol.8, No.2, pp. 113-139, 2003.
- ^ 本通文化振興協議会編『本通りクイーン年鑑 1978-1998』本通アーカイブス, 1999.
- ^ 中村雅彦『通りの女王とベルの経済効果』広島経済評論 第31巻第4号, pp. 201-224, 2008.
- ^ Margaret A. Thornton, "The Politics of the Small Bell," Civic Ritual Studies Vol.5, pp. 7-29, 2011.
- ^ 佐々木順子『三層口上と観光翻訳の現在』広島国際観光大学出版会, 2016.
- ^ Kenji Morita, "A Soft Crown for the Shopping Street," Proceedings of the Western Japan Urban Semiotics Conference, pp. 88-97, 2019.
- ^ 広島商工会議所商業振興部『電子鐘導入試案報告書』第8巻第1号, 2021.
- ^ 高橋みのり『くびれの線は誰が消したか』地方都市デザイン叢書, 2022.
外部リンク
- 本通文化振興協議会
- 広島回遊アーカイブ
- 商店街儀礼研究所
- 都市口上資料館
- ベルと通路の会