東京で一番長い坂
| 名称 | 東京で一番長い坂(正式名:大延伸坂・区画L) |
|---|---|
| 種類 | 石造の長坂(路線坂) |
| 所在地 | (旧・霧生(きりゅう)河岸地区) |
| 設立 | (暫定供用)、(全線完成) |
| 高さ | 比高 32.7m(路面基準) |
| 構造 | 蛇行式切替段+石垣擁壁、斜路全長 1,820.4m |
| 設計者 | 土木技師:渡辺精一郎(りょうこう測量会) |
東京で一番長い坂(とうきょうでいちばんながいさか、英: The Longest Slope in Tokyo)は、にある[1]。現在では「最長区間計測」に基づく観光名所として広く知られている[1]。
概要[編集]
東京で一番長い坂は、東京都内に所在するとされる長大な坂道施設であり、観光案内では「東京の坂を語るなら、まずここ」と位置づけられている[1]。
現在では、延伸区間の計測方法(起点標柱から終点標柱までを測る方式)に基づき、他の長坂との比較が行われている[2]。そのため、同名で語られることがあるものの、公式には「大延伸坂・区画L」と呼称されることが多い[2]。
一方で、計測の“枝分かれ”を嫌う市民団体の声もあり、「実際に歩いた距離と、測線上の距離は必ずしも一致しない」との指摘が、古くから繰り返されている[3]。
名称[編集]
施設名は「東京で一番長い坂」と平易に呼ばれるが、資料上では複数の通称が併記されている[4]。たとえば、夜間に提灯が規則的に並ぶことから「千灯(せんとう)の坂」とも呼ばれてきた[4]。
また、区画Lの“末端”が霧生河岸の旧倉庫群に面していたことに由来し、「河岸延伸(かがんえんしん)坂」と記された地図も存在する[5]。この呼称は、現在では地元商店街の看板にのみ残され、観光パンフレットでは使用される頻度が低い[5]。
なお、測量記録の表記が「L」をアルファベットとして扱うため、発行物によっては「大延伸坂・区画エル」とカタカナ化されることがあり、同一施設として扱われている[6]。
沿革/歴史[編集]
成立の経緯[編集]
東京で一番長い坂は、物流の“渋滞周期”を平準化する目的で、末期から計画されたとされる[7]。霧生河岸地区では荷車が段差部で必ず滞留し、荷揚げ作業の開始時刻が毎日15分前後ずれていくという記録が残っている[7]。
このため、土木行政を補助する民間測量会である「りょうこう測量会」が、坂道を一本化する案を提出したとされる[8]。渡辺精一郎は、斜路の連続性を優先し、蛇行式切替段を導入することで、荷車の速度変動を縮められると説明したとされる[8]。
ただし、当時の行政文書では「延伸区間の総長」は明確に書かれていないことがあり、後年の調整で数値が“決め打ち”された可能性があると指摘される[9]。この不一致が、現在の「どこまでが坂なのか」という議論の種になったと推定されている[9]。
計測制度の成立[編集]
全線完成後、に区画Lの“長さ”を比較可能にするための内部基準が設定された[10]。基準では、起点標柱を「第1輪止め桝の中心」、終点標柱を「終端擁壁の背面目地」と定めている[10]。
また、測線は必ずしも歩行経路と一致しないため、観光用の解説では「測線では1,820.4m、実歩行では約1,973m(個人差±4%)」という説明が用いられる[11]。この説明は、観光客の計測意欲を刺激する一方で、地元の自転車団体からは不評だったとされる[11]。
この仕組みが「最長区間計測」と呼ばれ、のちに市内の別施設の紹介でも同様の言い回しが採用されたという経緯がある[12]。
施設[編集]
東京で一番長い坂は、の旧霧生河岸地区に所在する長坂施設である[13]。斜路部は石造擁壁により固定され、途中に“切替段”が規則間隔で設けられている[13]。
構造面では、主に三つの区分(導入・蛇行中核・終端緩和)で構成され、導入部の平均勾配は6.8%、蛇行中核は8.3%、終端緩和は3.9%と記録されている[14]。また、石材の目地幅は平均 4.6cm とされ、補修の痕跡が観察できる区間では 7.1cm に増えているとも報告されている[14]。
さらに、夜間景観のために、一定間隔で灯具用の取付座が埋め込まれている。観光係の資料では「取付座数は 387 基、ただし欠番が 2 箇所ある」とされ、現地では“地図にない明かり”を探す遊びが定着したとされる[15]。この設定が、施設の人気を「坂というより探索スポット」に変えた側面がある[15]。
交通アクセス[編集]
施設へのアクセスは、鉄道駅から徒歩連絡を前提に整えられている[16]。最寄りの導線としては、側から伸びるとされる「隅東(すみとう)連絡歩道」が案内され、起点標柱までの所要時間は 18分(平常歩行、信号待ち除く)と記載される[16]。
また、バス利用の場合は「墨田霧生河岸(ばすてい)」で下車し、そこからは“緩やかな登り”として案内される[17]。ただし、観光パンフレットでは「坂の本体に入る前の区間」を別扱いするため、表示された徒歩時間と実測で差が出ることがあると注意書きされている[17]。
自転車利用者向けには、切替段の蛇行部で安全速度を守ることが求められ、公式掲示では「推奨速度 6km/h、降車推奨箇所は3点」とされる[18]。この“3点”が観光客の会話題になり、転倒事故の統計と結びつけて語られることもあるが、統計の扱いには慎重さが求められるとされる[18]。
文化財[編集]
東京で一番長い坂は、一定の条件を満たす「長坂景観」として登録されているとされる[19]。資料では、石造擁壁の意匠が評価されたため、景観保全の枠組みによって保護対象になったと説明される[19]。
具体的には、の点検報告書に基づき、擁壁目地の修復方針と“灯具用座”の保全が同時に決定されたとされる[20]。その結果、現在では「補修は同一規格目地幅を優先」と定められているとされ、現場では部材の取り替えが慎重に行われている[20]。
ただし、地方紙の報道では「登録の判定に用いられた延伸区間が、後の計測基準と完全には一致しない」と指摘されており、史料の読み替えが行われた可能性があると述べられている[21]。この点が、文化財としての“長さ”の語り方にも影響していると考えられている[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「大延伸坂・区画Lの測線基準について」『土木雑録』第12巻第4号, 1919年, pp. 41-63.
- ^ 東京都道路局(編)『隅東連絡歩道整備報告』東京都道路局, 1921年, pp. 3-28.
- ^ 山崎章「最長区間計測と観光言説の形成」『都市交通史研究』Vol.7 No.2, 1978年, pp. 77-95.
- ^ 鈴木篤史「灯具用座の意匠配置と住民記憶」『景観工学年報』第5巻第1号, 1983年, pp. 12-26.
- ^ 墨田区史編集委員会(編)『霧生河岸地区の復刻図集』墨田区史編集委員会, 1996年, pp. 112-139.
- ^ Kobayashi, M.「On Measurement Discrepancies in Urban Slopes」『Journal of Urban Cartography』Vol.14 No.1, 2002, pp. 101-118.
- ^ 中村玲子「斜路蛇行部における速度変動の簡易推定」『土木計画資料』第22巻第3号, 2009年, pp. 201-219.
- ^ 田口健介「石造擁壁の目地幅補修方針に関する文書整理」『文化財保全論叢』第3巻第2号, 2015年, pp. 55-74.
- ^ 東京都教育会議(編)『長坂景観の登録基準と運用』東京都教育会議, 1929年, pp. 1-19.
- ^ 『墨田の夜景と坂灯:非公式統計の読み方』東京夜景図書館, 1964年, pp. 9-33.
外部リンク
- 東京坂案内所(架空)
- 霧生河岸アーカイブ
- りょうこう測量会デジタル展示
- 墨田区景観データベース
- 千灯の坂ファンサイト