登坂大地
| 名称 | 登坂大地 |
|---|---|
| 読み | とうさか だいち |
| 英語名 | Daichi Tosaka |
| 分類 | 地形尺度・歩行試験・人名由来用語 |
| 提唱 | 1927年ごろ |
| 提唱者 | 帝国地形研究会 登坂班 |
| 主な用途 | 斜面踏破、軍用路選定、観光案内の危険表示 |
| 関連地域 | 箱根、六甲山、富士山麓 |
| 廃止 | 1984年の標準化改定で事実上消滅 |
| 異名 | 坂見地、登り癖地 |
登坂大地(とうさか だいち)は、の山岳測量史において、急斜面での歩行角度を記録・比較するために用いられた人物名・観測法・地形尺度の総称である[1]。特にの前身機関における「登坂適性試験」に由来するとされる[1]。
概要[編集]
登坂大地とは、斜度の高い地形を単に「急な場所」としてではなく、どの程度の歩行継続性を持つかで評価するための旧来の指標である。名称は一見に見えるが、実際にはで行われた野外試験の担当者名を地形に転用したことに由来するとされる[2]。
この概念は、の地図教育課と、当時の系測量技師らが共同でまとめた「坂路通過能率表」において整備された。もっとも、後年の研究では、最初の記録者である登坂大地その人の実在性すら揺らいでおり、複数の班長の名前が混線した可能性が指摘されている[3]。
成立の経緯[編集]
帝国地形研究会の発足[編集]
、地理学教室の旧図面庫において、斜面を「距離」ではなく「ためらい」で測るべきだという異例の提案がなされた。中心にいたのは地形学者のと、測量補助員のであるとされるが、一次資料では両者の筆跡がほぼ同じであり、実質的には同一人物説もある[1]。
この頃、の踏査では、標高差120メートルの地点が地図上では同じ長さに見えるにもかかわらず、隊員の到達時間が最大で47分も異なる事例が続発した。これを受け、研究会は「斜面の学術的実感」を数値化する必要があると判断し、登坂大地指数の原型を作成したのである。
登坂適性試験と初期運用[編集]
に行われた第一回登坂適性試験では、の表参道斜面を用いて、革靴・地下足袋・軍靴の三条件で比較が行われた。記録によれば、同一の斜面に対して20名中17名が「心理的に登坂を拒否した」と判定され、うち2名は坂の中腹で方角の再定義を申し出たという[2]。
この結果、登坂大地は単なる地形ではなく、「登る意志が残存する地面」として扱われるようになった。なお、試験の判定には、勾配だけでなく風向、石畳の反射率、付近の茶屋の甘酒濃度まで含まれていたとする記録があり、現在では半ば伝説視されている。
標準化と拡散[編集]
、系の山間郵便路整備計画に採用されたことで、登坂大地は一般行政にも浸透した。とくにの一部集落では、郵便配達員の勤務表に「今日の大地は軽い」「本日は大地強め」といった曖昧な記載が残っている[要出典]。
さらにには観光業がこれを転用し、やの案内板に「登坂大地級」表記が見られるようになった。もっとも、観光客の多くは等級の意味を理解せず、むしろ「大地」という語感から広大な平地を想像してしまうため、苦情が増えたともいわれる。
分類[編集]
登坂大地は、一般に「軽登坂」「準急登坂」「常時息切れ型」「帰路再考型」の4階層に大別される。これらはの『坂路判定便覧』で体系化されたもので、数値は0.5刻みではなく、あえて0.7刻みで運用された点に特色がある。
また、同書では斜面表面の材質によって名称が変わり、玉砂利を含むものは「大地波形」、落葉が厚いものは「沈黙大地」、濡れた舗装は「反省大地」と呼ばれた。分類の独自性ゆえ、他省庁との互換性は低く、との合同会議では毎回40分以上の定義調整が必要であった。
社会的影響[編集]
登坂大地の影響は測量学にとどまらず、学校教育や娯楽にも及んだ。にはの校外学習指針において、児童が「自宅から最寄りの登坂大地を一つ覚える」ことが推奨され、都市部の子どもたちの間で急斜面探しが流行した。
一方で、では坂の多い商店街が自らを「名誉登坂大地」と称し、観光パンフレットに採用したところ、来訪者の半数が途中でタクシーに切り替えたという統計が残る。これにより、登坂大地は「歩行の勇気を可視化する文化語」としても位置づけられるようになった。
批判と論争[編集]
最大の批判は、登坂大地があまりに主観的であり、測定者の体調によって値が大きく変動する点である。ある調査では、同一地点を午前8時と午後3時に測定しただけで、指数が1.8から3.9へ跳ね上がったことがあり、学会では「坂の問題ではなく朝食の問題ではないか」との指摘が相次いだ。
また、登坂大地の名義が実在人物なのか、班名なのか、あるいは斜面の擬人化なのかが曖昧であることから、には複数の研究者が訂正を試みた。しかし訂正文の多くが旧資料に吸収され、かえって「最初からそういう曖昧な概念だった」という神話が強化されたとされる。
現代における扱い[編集]
の地形標準化改定により、登坂大地は公式文書からはほぼ姿を消した。ただし、の山岳観光案内や、古い測量学校の講義録では現在も散発的に用いられている。
近年はデジタル地図上で再解釈が進み、愛好家の一部が「徒歩難度ラベル」として復活させようとしている。もっとも、現代のスマートフォンは坂を数値で教えすぎるため、かつてのように人間の迷いを含んだ登坂大地は、むしろ歴史資料として価値が高いとみなされている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『坂路通過能率表の生成とその周辺』地形研究社, 1931年.
- ^ 登坂大地『急斜面における歩行継続性の測定』日本測量学会誌 Vol.12, No.3, pp. 44-61, 1934年.
- ^ Margaret H. Ellis, "Slope Cognition and Administrative Terrain", Journal of Imperial Cartography, Vol.8, No.2, pp. 101-119, 1952.
- ^ 佐伯宗一『山間郵便路と登坂大地』逓信資料出版局, 1940年.
- ^ Carl J. Morrow, "On the Quantification of Reluctant Hills", Annals of Applied Topography, Vol.17, No.4, pp. 233-248, 1961.
- ^ 『坂路判定便覧』帝国地形研究会編, 1941年.
- ^ 高井久美子『観光案内板における登坂大地表記の変遷』観光地理学叢書, 1972年.
- ^ E. R. Whitcombe, "The Daichi Protocol and its Misreadings", Proceedings of the Royal Society of Cartographic Studies, Vol.29, No.1, pp. 5-22, 1978.
- ^ 中村和夫『登坂大地の神話化に関する一考察』地理学評論, 第41巻第6号, pp. 311-329, 1986年.
- ^ 山口澄江『反省大地指数ノート』地方測量通信, 1959年.
- ^ 『歩行地図学入門』東京山陵出版社, 1998年.
外部リンク
- 帝国地形研究会アーカイブ
- 山岳歩行指数資料館
- 古地図と坂の会
- 登坂大地デジタル索引
- 箱根斜面文化研究センター