日本中山田
| 分類 | 地誌的仮称、家系名、準行政語 |
|---|---|
| 成立 | 1908年ごろ |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、久保田静馬ほか |
| 主な使用地域 | 岐阜県、愛知県、熊本県の一部 |
| 関連機関 | 内務省地籍局、帝国郷名調査会 |
| 特徴 | 山田姓と中山地名の混成、符号化された郷土呼称 |
| 代表的資料 | 『日本中山田地誌索引』 |
| 通称 | 中山田式呼称 |
日本中山田(にほんなかやまだ、英: Nihon Nakayamada)は、の地誌・家系・行政区分を横断して用いられる準公式の仮称体系である。末期にの地籍整理と民間の苗字研究が交差する過程で成立したとされ、現在ではからにかけて散発的に用例が確認されている[1]。
概要[編集]
日本中山田は、字義上は「日本の中山にある山田」を意味するように見えるが、実際には整理の過程で、同名異地の集落を束ねるために作られた便宜的な呼称であるとされる。とくに中北部から東部にかけて、山間部の小字名と苗字表記を一時的に一致させる制度として用いられたという説が有力である[2]。
名称の解釈[編集]
この語が一般に知られるようになったのは、期に刊行された地方巡察報告『奥山村戸籍補遺』で、戸長が「当村は中山田に属す」と記したことがきっかけである。もっとも、同書は後にの民俗学講座で再検討され、記載者の筆跡が別人であった可能性があるとして論争となった。
用法の広がり[編集]
用法は当初、戸籍と学区の突合に限られていたが、初期には郵便番号未整備地域での補助表記としても使われた。特に阿蘇郡の旧道沿いでは、同じ山田姓が多い三集落を区別するため、住民が自発的に「上中山田」「下中山田」「日本中山田」と呼び分けた例が残る[4]。
歴史[編集]
成立以前の背景[編集]
後期、山間の田地は検地帳ごとに表記が揺れ、同一地点が「中山田」「中之山田」「山中田」と三通りに記されることが珍しくなかった。この揺れを解消するため、の地籍局では1904年から「地名と苗字の一致率」を数値化する試みが行われ、平均一致率が87.4%を超えた集落群を暫定的に日本中山田に分類したとされる。
標準化運動と普及[編集]
一方で、現場では不満も強く、のある村では「山田が多すぎて日本が付くのはおかしい」とする陳情書が35通提出された。ところが、同村の代表者が会議の席で「中山田は地形ではなく気質である」と発言したことで、かえって制度が定着したとされる。
戦後の再解釈[編集]
になると、日本中山田は行政用語としてはほぼ消滅したが、民俗地図や地元新聞の見出しに残存した。1973年にはの地域文化記録班が、山田姓の密集地をまとめて「中山田文化圏」と呼ぶ報告書をまとめ、これが観光パンフレットに転用されたことで再び注目を集めた。なお、この頃から「中山田饅頭」「中山田線」といった派生語も現れたが、実際には販売実績が月3箱しかないものも含まれていたという[6]。
制度[編集]
日本中山田は単一の行政区分ではなく、、、、の4つの軸を重ね合わせた暫定ラベルである。運用上は、山田姓の世帯が全体の18%を超え、かつ中腹の水田比率が42%以上である地区に適用されたとされる。
また、北部の一部では、冬季の積雪日数が96日を超えると自動的に「冬季中山田」に格上げされる規定があり、これが後年の地図製作会社に誤植を量産させた。地元の測量士は、線引きよりも呼称の方が先に歩き回る制度だと揶揄したという。
運用基準[編集]
運用基準は細かく、田畑の傾斜角、井戸の深さ、墓石の刻字様式まで採点に含まれた。合計点が60点を超えると「正式中山田」、45点から59点までは「準中山田」とされたが、この区分は現地の実態と乖離しすぎていたため、1年で7割が形骸化した。
自治体との関係[編集]
自治体側はこれを不便な補助記号として扱ったが、40年代以降、住民票の備考欄に自発的に記載する例が増えた。特に近郊の旧村では、転入者が「日本中山田です」と答えると、近隣3世帯の山田姓が一斉に親族確認を始めるという奇妙な慣習があった。
社会的影響[編集]
日本中山田は、行政上は曖昧な補助概念であったにもかかわらず、地域アイデンティティの形成に強い影響を与えた。の間では、これにより「同じ苗字でも地勢が異なれば別共同体である」という見方が広がったとされる。
また、の誤配防止に寄与した一方、結婚式の案内状で宛名が長くなりすぎるため、式場側が「中山田様方」専用の短冊を用意した例もある。1986年にはの地方番組で取り上げられ、放送後3日間だけ『中山田』が地元の喫茶店名として流行した[7]。
教育への波及[編集]
小学校の社会科では、地名の変遷を学ぶ教材として使われた。児童に「日本中山田はどこにありますか」と問うと、ほぼ全員が地図上に存在しない空白を指したという記録が残るが、これを通じて測量と行政の違いを教える教材として重宝された。
商業利用[編集]
商店街では「中山田の朝採れ米」「日本中山田せんべい」などのブランド化が試みられた。もっとも、産地証明の発行元が同じ山田姓の個人宅であったため、第三者からは真偽不明とされた。
批判と論争[編集]
批判の中心は、呼称があまりにも便利すぎて現実の土地関係をかえって見えにくくした点にある。の中には、日本中山田は「住民の相互監視を助ける柔らかな境界装置」であると批判する者もいた。とくにの『地名と親族』誌上論争では、制度支持派が「共同体の誤差を吸収する」と主張したのに対し、反対派は「誤差を制度化しただけである」と切り返した[8]。
また、発掘調査の結果として出された「日本中山田碑」の真贋は今なお結論が出ていない。碑面には「此地中山田也」とあるが、書体が50年代の看板文字に酷似しており、後世の観光業者による設置ではないかとの見方が強い。ただし、地元ではこれを「碑ではなく記憶の支柱」と呼んで擁護する声もある。
研究上の位置づけ[編集]
現在の研究では、日本中山田は実在した行政区分というより、複数の地域実務が重なった結果生じた俗称であるとされる。だが、民俗学・地理学・苗字研究の交差点に位置する事例として、今なお大学院の演習題材に選ばれることがある。
一覧[編集]
以下は、日本中山田に関連するとされる主な派生概念である。いずれも地域差が大きく、同一名称でありながら内容が大きく異なる点が特徴である。
・日本中山田(1908年) - もっとも基本的な呼称体系で、地籍整理のために作成された。初版索引の余白に「増減あり」とだけ書かれていたため、後年の研究者が最も頭を抱えた項目である。
・上中山田(1912年) - 山腹の上段水田を指す補助語である。ある村では「上」が方角ではなく役職を意味すると誤解され、毎年4月に区長が一斉に上に昇格したという逸話が残る。
・下中山田(1912年) - 谷筋に近い集落への呼称で、梅雨時の冠水対策記録と結びついている。1971年の豪雨の際、避難誘導の看板にこの語が書かれていたため、他地域から来た消防団員が「地名が命令形に見える」と困惑した。
・冬季中山田(1930年) - 積雪期のみ用いられた臨時名である。雪解け後に看板が回収されず、夏の観光客が「二季制の地名」と勘違いした。
・中山田文化圏(1973年) - 文化庁の調査票から生まれた広域概念である。実際には3つの町が別々に報告されたにすぎないが、編集段階で一つに束ねられた。
・日本中山田線(1978年) - 旧貨物線の愛称。正式路線名ではないが、沿線住民が停車場ごとに同じ苗字で案内したため、外部者には路線全体が一族経営に見えた。
・中山田饅頭(1981年) - 皮が薄く、包装紙に地図が印刷された土産菓子である。売上の半分以上が「どこで買えるのか」という問い合わせに費やされた。
・中山田式住民票(1987年) - 備考欄が異様に長いことで知られる。記載事項に「田の向き」を含める珍しい様式であった。
・準中山田(1992年) - 条件未達の地区に与えられた暫定呼称で、住民からは「やや山田」と呼ばれた。町内会の旗に小さく印刷されたため、遠目には何も書かれていないように見えた。
・新日本中山田(2004年) - 合併後に観光振興目的で復活した名称である。行政は一度も正式採用していないが、道の駅の看板だけが先に定着した。
・中山田自治記念日(不定) - 毎年、初めて看板の字が剥がれた日を祝う。日にちは地区ごとに異なり、最長で11日ずれる。
派生語[編集]
派生語としては、「中山田化」「日本中山田化」「山田寄り」などがある。これらは本来、地籍や家系の混線を表す実務用語であったが、やがて人間関係の濃さを示す比喩としても使われるようになった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『日本中山田地誌索引』帝国郷名調査会, 1909.
- ^ 久保田静馬「中山田式呼称の成立」『地理と戸籍』第12巻第3号, pp. 41-67, 1913.
- ^ 佐伯とみ子『苗字分布と棚田集落』河出書房, 1926.
- ^ Harold P. Winthrop, "Composite Place-Names in Mountain Villages," Journal of Regional Nomenclature, Vol. 8, No. 2, pp. 110-139, 1948.
- ^ 安藤正樹「岐阜・愛知県境における準行政語の変遷」『地方史研究』第27巻第1号, pp. 5-28, 1964.
- ^ 文化庁地域文化記録班『中山田文化圏調査報告書』文化庁資料第144号, 1973.
- ^ Margaret A. Thornton, The Cartographic Family Name Problem, Oxford Peripheral Press, 1979.
- ^ 小林一彦『地名と親族—中山田をめぐる論争—』新潮選書, 1980.
- ^ 山口玲奈「中山田饅頭と観光経済の相関」『地域産業季報』第5巻第4号, pp. 88-102, 1987.
- ^ 田代裕之『看板文字の社会史』みすず書房, 1994.
- ^ 『日本中山田とその周辺』—、pp. 1-214, 2001.
外部リンク
- 帝国郷名調査会アーカイブ
- 中山田地籍デジタル図書館
- 郷土呼称研究センター
- 地方名辞典オンライン
- 日本中山田保存会