東京圏
| 正式名称 | 東京圏 |
|---|---|
| 別名 | 首都外縁共鳴圏 |
| 起源 | 1938年の帝国広域観測計画 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、Margaret A. Thornton |
| 中心施設 | 東京中央圏界標局 |
| 範囲 | 東京を中心とする半径約80〜140kmの可変領域 |
| 主な機能 | 交通計画、統計区分、放送同調 |
| 関連法令 | 広域圏整理令(1954年) |
| 特徴 | 日によって境界が揺れるとされた |
東京圏(とうきょうけん、英: Tokyo Sphere)は、南東部を中心に形成されたとされる都市圏概念であり、もともとは戦前のを再編するために導入された区分である[1]。のちに通勤圏・商圏・放送圏が一体化した「重ね合わせの都市」として知られるようになった[2]。
概要[編集]
東京圏は、を中心に、その周辺に位置する、、の一部を含むとされた広域概念である。ただし、行政区分としての固定性は低く、当初は地理学教室が用いた「可変都市輪郭」として扱われていた。
この概念は、通勤・物流・放送受信の実態を一つの輪として記述する必要から生まれたとされる。なお、戦後しばらくはとで定義が微妙に異なり、同じが「圏内」か「圏外」かをめぐって二十年以上の議論が続いた[3]。
成立の経緯[編集]
帝国広域観測計画[編集]
1938年、とは、首都周辺の風向・煙害・列車遅延を同時に観測するため、東京を中心に六角形の観測格子を敷いた。これが東京圏の原型であるとされる。格子は当初「第一東京気象輪」と呼ばれ、各頂点には、、、、、が選ばれた。
このとき、現地の測量官であった渡辺精一郎が「人口は線ではなく圏として動く」と報告書に記したことが、後年の都市計画家たちに大きな影響を与えた。もっとも、同報告書の末尾には唐突に「圏の縁は雨の日に一町ほど膨らむ」とあるため、要出典とされることが多い[4]。
Thorntonメモランダム[編集]
1949年、来日中の英国人地理学者マーガレット・A・ソーンダースン博士は、のホテルで「Tokyo Sphere Memorandum」を執筆し、東京圏を「単心多核型の半径可変圏」と定義した。彼女はからまでの移動時間を15分単位で測り、夕方になると圏の中心が北へ約1.7kmずれると結論づけた。
このメモランダムはではほとんど相手にされなかったが、の若手官僚にのみ熱狂的に受け入れられた。その結果、1954年の広域圏整理令では、東京圏の境界が「通勤定期券の改札記録を基礎に決定する」方式へと変わった[5]。
放送圏との統合[編集]
1950年代後半になると、の電波到達圏との通勤圏がほぼ一致することが確認され、東京圏は「朝の電波が届く場所は夕方の人も届く」と説明されるようになった。これにより、、、、の4拠点が「準中心」として制度上認められた。
一方で、当時の商業地図会社はこれを強く嫌い、東京圏の外縁にやを載せるべきかで2年にわたり編集会議が紛糾した。最終的に「外縁は広告出稿の多い方へ寄る」という、きわめて実務的な妥協が成立したとされる。
定義と範囲[編集]
東京圏の範囲は、時代ごとに変動した。1950年代は半径約60km、1970年代には高速道路網の拡張により約90km、1990年代には携帯電話基地局の再編に伴い約140kmまで膨張したとされる[6]。
ただし、統計上は一貫して「都心通勤者が1日1回以上、同じ改札を通る地域」が圏内とみなされたため、やのような境界地帯が頻繁に出入りした。特にからへ向かう深夜バスが圏の輪郭をなぞるという説は、地理学者とバス会社の双方から支持されている。
また、東京圏には「湿度圏」も含まれるという珍説があり、梅雨明け前の周辺では圏域が一時的に南へ押し下げられると説明された。都市計画史では半ば冗談として扱われるが、気象庁内部文書に同種の表現が残るため完全には否定されていない。
社会的影響[編集]
交通計画への影響[編集]
東京圏の概念は、、、の路線整備に強い影響を与えた。特に1964年の五輪関連工事では、東京圏の中心を「ではなくとするか」で省庁間協議が行われ、最終的に朝刊の一面見出しが多い方を中心とすることになった。
この基準は後年まで尾を引き、各路線の終点は「東京圏の端であるにもかかわらず、利用者アンケートでは中心扱いされる」現象を生んだ。たとえばは、地図上では周縁だが、終電ダイヤ上ではしばしば中核として振る舞うとされた。
経済圏・放送圏との衝突[編集]
1978年には、広告業界が「東京圏」を首都圏と同義で扱ったため、北部のラジオCMが南端まで届いてしまう問題が発生した。これに対し、民放各局は「東京圏外割引」の導入を試みたが、実際には圏外の方が視聴率が高いことが分かり、制度は半年で消滅した。
また、商圏分析では東京圏の消費は「中心部で買われたものが郊外で使われる」のではなく、「郊外で決定された価格が中心部で可視化される」と説明された。この見方は経済学者の間で評価が分かれたが、の百貨店担当者には実感的だとして支持された。
批判と論争[編集]
東京圏をめぐっては、行政区域と生活圏を混同しているとの批判が繰り返し行われた。とりわけの一部では、「うちは東京圏ではなく東京風圏である」とする反発が根強く、1986年には地方紙に同名の意見広告が掲載された。
また、東京圏の境界が天候やダイヤによって変わるという説明は、学術的厳密性を欠くとして批判された。しかし、2002年に都市工学科が実施した追試では、平日朝7時台の混雑率が1.3倍になると圏域が東に約2.4km伸びるという、ほぼ同趣旨の結果が出ている[7]。
なお、圏域図の作成に使われた透明インクが、当時の一部地図帳で「見えないが確かにある線」として誤読されたため、東京圏は半ば神話的存在になったとも言われる。
現代の東京圏[編集]
21世紀に入ると、東京圏は統計区分としてよりも、自己認識の装置として機能するようになった。転入者の多くは「いつの間にか東京圏にいた」と語り、逆に長年在住する者ほど境界を明確に説明できない傾向がある。
2021年には統計局が、スマートフォンの位置情報とSuica系IC履歴を組み合わせた新方式を試験導入し、東京圏の面積が前年度比で8.6%縮小した。その理由は、在宅勤務の増加により「通勤によって圏が成立する」という原理が一部で崩れたためと説明された。
それでもなお、の展望室から見える範囲と、深夜のコンビニで聞こえる会話の方言分布が一致することから、東京圏は依然として日本で最も実感されやすい広域概念の一つであるとされる。
脚注[編集]
[1] 渡辺精一郎『帝都気象輪の成立』中央地理協会, 1941年。
[2] Margaret A. Thornton, "Tokyo Sphere and the Elastic Metropolis", Journal of Urban Transit Studies, Vol. 12, No. 4, pp. 201-227, 1950.
[3] 佐伯隆一『放送圏と通勤圏の不一致』日本都市学会誌 第8巻第2号, pp. 33-58, 1962年。
[4] なお、原本は史料室に保管されているとされるが、閲覧申請が年平均3件しか通らないため確認されていない。
[5] Margaret A. Thornton and 田所一馬, "Memorandum on the Tokyo Sphere", Proceedings of the East Asia Geographical Society, Vol. 3, No. 1, pp. 11-19, 1951.
[6] 小泉篤『可変都市圏の統計手法』統計と地理, 第21巻第6号, pp. 88-104, 1998年。
[7] 早瀬真琴, "Rush Hour Asymmetry in the Eastern Tokyo Sphere", Urban Systems Review, Vol. 19, No. 2, pp. 77-95, 2003.
[8] 斎藤和枝『圏域の湿度説について』気象と社会, 第4巻第1号, pp. 5-17, 1976年。
[9] 中村浩二『東京圏の境界紛争史』地方計画研究, 第15巻第3号, pp. 141-166, 1989年。
[10] H. B. Ellison, "On the Center That Moves by Weather", Transactions of the Metropolitan Geography Institute, Vol. 7, No. 2, pp. 55-73, 1968.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『帝都気象輪の成立』中央地理協会, 1941年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Tokyo Sphere and the Elastic Metropolis", Journal of Urban Transit Studies, Vol. 12, No. 4, pp. 201-227, 1950.
- ^ 佐伯隆一『放送圏と通勤圏の不一致』日本都市学会誌 第8巻第2号, pp. 33-58, 1962年.
- ^ Margaret A. Thornton and 田所一馬, "Memorandum on the Tokyo Sphere", Proceedings of the East Asia Geographical Society, Vol. 3, No. 1, pp. 11-19, 1951.
- ^ 小泉篤『可変都市圏の統計手法』統計と地理, 第21巻第6号, pp. 88-104, 1998年.
- ^ 早瀬真琴, "Rush Hour Asymmetry in the Eastern Tokyo Sphere", Urban Systems Review, Vol. 19, No. 2, pp. 77-95, 2003.
- ^ 斎藤和枝『圏域の湿度説について』気象と社会, 第4巻第1号, pp. 5-17, 1976年.
- ^ 中村浩二『東京圏の境界紛争史』地方計画研究, 第15巻第3号, pp. 141-166, 1989年.
- ^ H. B. Ellison, "On the Center That Moves by Weather", Transactions of the Metropolitan Geography Institute, Vol. 7, No. 2, pp. 55-73, 1968.
- ^ 田所一馬『改札記録による圏域推定』交通統計評論, 第11巻第3号, pp. 9-24, 1971年.
外部リンク
- 東京中央圏界標局アーカイブ
- 帝国広域観測計画デジタル史料室
- 首都圏輪郭研究会
- 関東可変地理データベース
- 東京圏境界史年表