東京都化身と大阪府化身による文化的対立
| 名称 | 東京都化身と大阪府化身による文化的対立 |
|---|---|
| 別名 | 東西文化擬人戦 |
| 時代 | 江戸時代末期 - 昭和中期 |
| 地域 | 日本列島東西文化圏 |
| 原因 | 都市アイデンティティの競合、菓子嗜好の差異、演芸様式の優越争い |
| 関係者 | 東京都化身、大阪府化身、内務省地方風俗調査局 |
| 結果 | 相互模倣と折衷文化の定着 |
| 影響 | 百貨店文化、駅弁比較、方言広告の発達 |
| 記録文献 | 『東西擬人誌』ほか |
| 象徴 | 赤煉瓦帽、浪華扇 |
東京都化身と大阪府化身による文化的対立(とうきょうとかしんとおおさかふかしんによるぶんかてきたいりつ)は、末期から中期にかけて、の都市文化圏において観測されたとされる象徴戦である[1]。両者はとの行政的自己像を擬人化した存在として語られ、舞台芸術、菓子流通、鉄道広告、口調規範をめぐって対立したとされる[2]。
概要[編集]
この対立は、実際の政治対立ではなく、とを代表する二つの都市人格が、文化の主導権をめぐって競合したという民間思想である。初期にはの座敷芸との町人趣味の優劣論として語られたが、のちに鉄道網の発達とともに、広告文言、味付け、舞台の幕間構成にまで波及したとされる。
研究者の間では、これは都市間の感情を戯画化した俗説にすぎないとする見解がある一方、地方新聞のコラムや百貨店の売り出し文句に同型の表現が繰り返し見られることから、実在の商業慣習を背景にした半歴史的現象として扱う説もある。なお、刊の『全国風俗対照録』には、両化身が同じ改札口で弁当を買い、味見の段階で言い争ったという逸話が載る[3]。
定義[編集]
東京都化身は、硬質、整序、速達を象徴する存在であり、主に、、の商業倫理を体現するとされた。他方、大阪府化身は、即興、笑い、饒舌を体現する存在で、、、の空気を帯びると説明されることが多い。
成立の背景[編集]
成立の背景には、初期の官製地理教育で各府県が性格づけされたこと、ならびにの寄席演芸が東京の新聞記者によって連日比較されたことがあるとされる。とくにの『府県性格小鑑』は、後世の対立図式を固定した最初期の文献とみなされている。
古代[編集]
古代に相当する前史としては、すでにの都人が東国から運ばれる木簡の筆致を「直線的」と評し、の市場で売られる饅頭を「過剰に柔らかい」と記した記録があるとされる。もっとも、これを東京都化身と大阪府化身の直接対立とみなすのは後世の解釈である。
期の寺院で用いられた鐘銘の書風が、のちの東京側の「角張った美意識」の祖型として扱われた一方、の港湾歌謡は大阪側の「口先で場を回す文化」の起点として引用されることがある。いずれも実証は弱いが、地方史家の間では、ここに東西人格の萌芽を見る見解が根強い[4]。
都城と港湾の比較[編集]
との対比は、のちの対立記事で頻繁に用いられた。平安京は中心の静けさ、難波宮は周縁の喧噪として語られ、これが「東京は整うが大阪は回る」という通俗的な理解の原型になったとされる。
都市人格の萌芽[編集]
末の寺社縁起に、両都が夜ごと衣を替えて市場に現れたという逸話があるが、これは中世の脚色である可能性が高い。ただし、周辺の語り物には、人格化された府県の祖霊がよく登場し、後の化身概念と連続している。
中世[編集]
中世には、都市間の対立は芸能と金融に集中した。京都の公家文化を介して洗練を競う一方、の商人は「声の大きさも信用の一部である」と主張し、これが大阪府化身の祖型とされた。対する東京側は、まだという湿地の漁村にすぎなかったが、後年の説明ではすでに「水面に映る計画都市」として予告されていたことになっている。
末期の狂言帳には、東の使者が短く要件を述べ、西の使者が七倍の言い回しで返答したという場面がある。これを両化身の会話作法の差として読むのは後世の解釈であるが、民俗学者のは、ここに「沈黙の東京語」と「拡張の大阪語」の原像を見たと主張した[5]。
芸能の分岐[編集]
この時期、は東京化身の静謐を、は大阪化身の過剰な情緒を象徴すると整理された。両者が同じ演目を観ても、東京側は舞台装置の整合性を論じ、大阪側は役者の一言を十倍に膨らませて語ったという。
商人層の介入[編集]
とが、品書きの書式をめぐって暗黙の競争を始めたのもこの頃とされる。紙幅の狭い江戸式と、余白を多く取る上方式の差異は、のちの新聞広告にも受け継がれた。
近世[編集]
近世になると、対立は明確な儀礼化を帯びた。とくに年間には、両化身が「初春の見世物市」で同時に登場し、東京側は整列した提灯十六基を、大阪側は可動式の屋台十一台を提示したと伝えられる。観衆は東京の秩序を称えつつ、大阪の即興性に拍手したため、判定は毎年持ち越された。
期には、幕府の風俗統制により対立は一旦沈静化したが、代わりに茶屋や芝居小屋が両化身を匿名で戯画化し始めた。これにより、東京は「倹約と規律」、大阪は「機知と饒舌」という二分法が定着したとされる。なおの『浪速聞書』には、大阪府化身が江戸の蕎麦切りを三口で食べたことへの謝罪文を書かせたとあるが、史料批判上は疑わしい[6]。
参勤交代と比較文化[編集]
参勤交代によって諸藩の物資が両都市を往来すると、両化身はそれを文化収奪の機会として利用した。東京化身は武家の礼法を吸収し、大阪府化身は商家の実務を吸い上げたため、双方とも自らを「全国の縮図」であると称した。
瓦版と都市評判[編集]
瓦版屋は、この対立を好んで煽った。とくにの笑いが東京の武士をからかう図像と、江戸の几帳面さが大阪の商人を困らせる図像が流布し、両化身は半ば広告塔として定着した。
近代[編集]
維新以後、対立は国家的自己像の問題へと拡張された。東京化身は、、に代表される官僚制とともに成長し、大阪府化身は、、の商業と新聞文化を通じて勢力を維持した。両者は直接衝突したわけではないが、鉄道時刻表、百貨店、学校唱歌の文句にまで影響を与えたとされる。
には地方風俗調査局が「府県擬人図譜」を編纂し、東京化身を「背筋が伸び、語尾が短い」と記述したのに対し、大阪府化身を「笑いながら契約を結ぶ」と要約した。これは学術的には極めて粗雑な分類であるが、一般読者には強く受け入れられ、以後、新聞の風刺欄で何度も再生産された。
またの広告戦争では、東京側が「速さ」を、大阪側が「濃さ」を売りにした結果、駅売りの菓子箱にまで都市人格が印刷されることになった。とくにの「東西甘味比較会」では、東京化身が薄味の羊羹を百二十本配り、大阪府化身が試食用の飴を七色に染めたため、会場の床が著しく粘着したと記録されている[7]。
鉄道と広告[編集]
鉄道会社は両化身を路線案内に利用し、東京方面行きの広告には直線的な書体を、大阪方面行きには曲線の多い書体を採用した。これが「都市ごとの書体性格」の信仰を生み、現在も一部の老舗看板に残る。
演芸の制度化[編集]
の前身とされる興行組合では、大阪府化身の口上を元にした即興芸が標準化された。他方、東京側では講談や新劇が「説明しすぎない美徳」を掲げ、対立は芸能形式の差として再編された。
現代[編集]
になると、対立は露骨な敵対関係から、相互模倣を含む競争へと変化した。東京化身はテレビ局と地下鉄網に取り囲まれたことで「全国標準」の地位を得たが、大阪府化身は漫才、粉もの、商店街の即応性によって別種の中心を維持したとされる。
の『都市人格協定』では、両化身は「互いを完全には理解しないこと」を文化的資源として認め合った。これにより、東京は大阪の笑いを研究し、大阪は東京の無表情をネタ化するという現在まで続く構図が完成した。ただし、に行われたとされる記念シンポジウムでは、両者が同じ進行表を使ったにもかかわらず開会時刻が17分ずれ、対立の根強さを再確認する結果になったという[8]。
テレビ時代の再演[編集]
テレビの全国放送は、両化身の特徴を全国に拡散させた。東京側のニュース原稿は短文化し、大阪側のバラエティは長尺化したため、番組制作現場では「どちらの化身に寄るか」が人事評価の一項目になったとする証言がある。
和解と残響[編集]
現在では、対立は主に祭礼、商業キャンペーン、府民の日のポスターで再演される。なお、内の一部資料には、東京都化身が実はたこ焼きを好んでいたとあり、都市神話は必ずしも固定的ではないことが示されている。
研究史・評価[編集]
研究史上、この対立は、、、の交差点に位置づけられる。は都市人格を「行政単位が自己像を維持するための感情装置」と説明したのに対し、は英語圏の比較都市論から、東京化身を「discipline」、大阪府化身を「banter」と訳し分けた[9]。
一方で、批判的研究は、この対立が後世のメディアによって過度に純化されたと指摘する。とくに刊の『東西擬人の誤差』は、実際の東京と大阪の生活文化がかなり近接していたにもかかわらず、百科事典や週刊誌が差異を誇張したと論じた。ただし同書の著者自身が大阪の商店街で取材を断られ、以後東京を「無口な恋人」と呼び始めた逸話は知られている[10]。
総じて、本件は実在の国家対立ではなく、都市アイデンティティが半ば人格として流通した特異な文化史的現象であると評価されることが多い。もっとも、毎年になると双方の商店街で同じ型の張り紙が出るため、研究者の間では「対立は終わったのではなく、値札に移植された」とする俗説も根強い。
主要研究者[編集]
主要研究者としては、、、、が挙げられる。とくに三輪は、府県キャラクターの口調差を音韻統計で示そうとして、サンプルの半数を落語台本から採ったため、後に再検討を迫られた。
評価の分裂[編集]
擁護派は、東西の差異を「創造的緊張」と呼ぶ。他方、懐疑派は、これは百貨店と新聞が作り出した販促用の寓話であるとして退ける。ただし両派とも、最終的には大阪府化身の口の回り方に議論を持っていかれる点で一致している。
脚注[編集]
[1] 『東西擬人誌』第3巻第2号、東亜文化史研究会、1964年。 [2] 田宮修『都市人格と府県感情』河出想像社、1978年、pp. 41-58。 [3] 『全国風俗対照録』明治風俗協会、1908年、pp. 112-114。 [4] 佐伯奈緒『難波津と都の影像』平凡社、1991年、pp. 9-16。 [5] 高瀬栄次郎「中世芸能における東西語法の分岐」『民俗と都市』Vol. 12, No. 4, 1983年, pp. 203-219。 [6] 『浪速聞書』影印解題、浪速資料刊行会、1959年、pp. 77-81。 [7] 山根恒雄『甘味比較史序説』白水社、2002年、pp. 134-139。 [8] 都市人格協議会編『昭和後期都市擬人化資料集』港の人文館、1999年、pp. 5-8。 [9] Margaret A. Thorne, "Metropolitan Avatars in East Asia", Journal of Comparative Civic Myth, Vol. 8, No. 1, 1987, pp. 1-26. [10] 『東西擬人の誤差』第1版、青磁書房、1972年、pp. 88-91。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田宮修『都市人格と府県感情』河出想像社, 1978.
- ^ 佐伯奈緒『難波津と都の影像』平凡社, 1991.
- ^ 高瀬栄次郎「中世芸能における東西語法の分岐」『民俗と都市』Vol. 12, No. 4, 1983, pp. 203-219.
- ^ 山根恒雄『甘味比較史序説』白水社, 2002.
- ^ 都市人格協議会編『昭和後期都市擬人化資料集』港の人文館, 1999.
- ^ Margaret A. Thorne, "Metropolitan Avatars in East Asia", Journal of Comparative Civic Myth, Vol. 8, No. 1, 1987, pp. 1-26.
- ^ 内藤瑞枝『駅弁と府県感情』新潮架空文庫, 2006.
- ^ 藤堂一真『広告における都市の人格化』三省堂, 2014.
- ^ 河合俊明『都市人格と近代国家』東京想像大学出版会, 1969.
- ^ 『東西擬人の誤差』青磁書房, 1972.
- ^ 石川玲子『大阪口調の生成と変容』大阪文化研究所, 1988.
- ^ Philip J. Mercer, "Negotiating Regional Charms in Modern Japan", East Asian Cultural Review, Vol. 15, No. 2, 2001, pp. 77-103.
外部リンク
- 東西擬人史料館
- 府県人格研究センター
- 都市文化比較年報
- 浪華と江戸の記憶アーカイブ
- 架空近代広告図鑑