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松本人芯

この記事はAIが生成したフィクションです。実在の人物・団体・事象とは一切関係ありません。
松本人芯
コンビ名松本人芯
画像なし
キャプション高円寺の喫茶店で撮影されたとされる宣材写真
メンバー松本一真、仁科芯吾
結成年1998年
解散年2011年
事務所北沢企画
活動時期1998年 - 2011年
芸種漫才、コント
ネタ作成者松本一真
出身世田谷区の演劇サークル
出会い都立青葉台高校の文化祭実行委員
別名芯松(しんまつ)
同期ミルク坂24、夕暮れモノレール
影響無音の間、擬似字幕、観客巻き込み型コント
現在の代表番組なし
過去の代表番組深夜特番『芯まで笑え』
現在の活動状況解散
受賞歴第12回東京漫才新人賞 準優勝、2007年M-1準決勝進出
公式サイト北沢企画アーカイブ

松本人芯(まつもとしん)は、渋谷区の小劇場文化から派生した。1998年に結成され、後に「沈黙を笑いに変える漫才」で注目を集めたとされる[1]

概要[編集]

松本人芯は、内の小劇場を中心に活動した架空のお笑いコンビである。観客に「何も起きていないようで、芯だけが進行している」と評され、後に業界内で「芯芸」と呼ばれる独特の構造を確立したとされる[2]

結成年はで、都立青葉台高校の文化祭実行委員であった松本一真と仁科芯吾が、舞台転換の待ち時間をそのままネタ化したことに始まる。北沢企画所属として紹介されることが多いが、実際には事務所の前身である「北沢企画・仮登録班」に半年だけ在籍していたという説もある[3]

メンバー[編集]

松本一真(まつもと かずま)は担当である。小道具の配置と間の取り方に異様な執念を見せ、机の脚の角度を変えただけでネタの成立率が上がると主張していた。

仁科芯吾(にしな しんご)はであるが、実際には観客の視線を受け止める役割が大きく、相方の発言が長く続くほど肩幅が広がって見えると評された。なお、二人とも「芯」を名字のように扱う芸風を好み、稽古場では互いを本名ではなく「外側」「中核」と呼び合っていたという。

2024年に北沢企画の内部資料が公開された際、メンバー表の欄に「1. 松本一真(薄い) 2. 仁科芯吾(濃い)」とだけ記されていたことが話題となった。これは役割分担のメタファーであるとする説と、単にコピー機のトナーが切れていたとする説が併存している[4]

来歴[編集]

結成から初期[編集]

二人はの文化祭準備室で出会い、校内放送が5分遅れたことを受け、その遅延をそのままネタの「間」として使用したのが結成の契機とされる。初期は漫才とコントの区別が曖昧で、漫才中に机を組み立て始めるなど、観客から「作業を見せられているようだ」と評された。

1999年には高円寺の小箱『喫茶アリバイ座』で初の単独形式ライブを開催し、のうち8人が途中で店内のメニューを注文したため、実質の笑い声は少なかったと記録されている。だが、この「注文の間」をネタに取り込んだことで評判が広がった。

東京進出[編集]

2002年ごろ、活動拠点をからへ移し、地下スタジオ『中野第五録音室』で収録された番組が転機となった。ここで披露された「芯を抜かれた箸」というコントがテレビ局の編成担当に強く印象を与え、以後、深夜帯の特番に断続的に起用された。

一方で、二人が都内の劇場で行った1日3ステージの過密日程により、松本が本番中に台本のページ番号を逆から読む癖を身につけたとも言われる。これが後の「逆順オチ」発明につながったというのが定説である[5]

解散とその後[編集]

2011年、双方の演出方針の違いから活動を終了した。松本は構成作家として、仁科は舞台演出補佐として活動を続けたが、舞台裏での「間」の解釈をめぐる対立は最後まで残ったとされる。

解散発表時には、北沢企画の公式文面が「芯は失われない」とだけ記しており、ファンの間では解散なのか精神的継続なのか分からないとしてしばらく議論が続いた。なお、最終ライブの入場整理番号はからまで発行されたが、実入場者はであった。

芸風[編集]

松本人芯の芸風は、いわゆるを基調としつつ、会話の途中で小道具の位置が毎回わずかに変わる「可変舞台型コント」を多用する点に特徴がある。観客が笑う直前に沈黙を挟むため、初見では難解に見える一方、繰り返し見ると構造の精密さが分かるとされた。

ネタにはしばしば「見えているのに見えていないもの」が登場し、たとえば『芯のない自転車』『語尾だけが先に届く電話』『四角く折れた月曜』など、日常語を少しだけずらした題材が好まれた。業界誌ではこの手法を「準実在ギャグ」と呼んだが、当の本人たちは単に「台本が半歩ずれているだけ」と説明していた。

また、二人の間合いはの審査基準には収まりにくいとされつつも、2007年の準決勝では「笑いより先に概念が届く」と評されたことがある。なお、舞台上で一切声を出さずに3分間成立させた『無音の火曜日』は、今なお一部の演劇研究者に引用されている[6]

エピソード[編集]

2005年、の劇場で行われた公演中に停電が発生した際、二人は予定していなかった暗転を「照明が芸に追いついた」と解釈し、そのまま5分間の無言漫才を完走した。この回の客席アンケートでは、満足度がである一方、「何を見たのか分からない」があった。

また、地方営業でに向かった際、雪で到着が2時間遅れたことを逆手に取り、遅延そのものをボケとして成立させたという逸話がある。担当者のメモには「到着が遅いほどウケる可能性あり」とだけ書かれていたとされ、後年の講演で松本がこのメモを「我が家の設計図」と呼んだことが知られている。

仁科は舞台袖で待つ時間を計測するため、ストップウォッチを使い分けていたという。なお、そのうち1台は常にだけ早く進むよう調整されており、本人は「理想の緊張は現実より少し先にある」と説明したが、周囲はよく分からなかったと証言している。

出囃子[編集]

出囃子は、の中古楽器店で偶然見つかったという電子オルガン曲『北沢第三変拍子』である。5拍子と7拍子が不規則に交差するため、観客が着席を終える前に最初の1フレーズが終わる構造になっていた。

本人たちは当初、無音を出囃子にしたかったが、会場スタッフから「開演したのか分からない」と反対されたため、現在の曲に落ち着いたとされる。なお、2004年以降はイントロの最後にカセットテープの巻き戻し音が加えられ、これが「戻る笑い」の象徴として一部のファンに支持された。

賞レース成績・受賞歴[編集]

松本人芯は全国区の優勝歴こそないものの、地方大会や深夜賞レースで異様に強かったとされる。特にでは、審査員7名のうち5名が「構造は見事だが笑いの温度が読めない」と評し、準優勝に終わった。

2007年のでは準決勝進出を果たし、敗退後のコメントで松本が「まだ芯が外に出ていない」と述べたことが、半ばキャッチコピー化した。翌年にはの予選で「ネタ開始から終わりまで小道具が1回も元の位置に戻らなかった」ことが高評価につながったが、本選出場には届かなかった。

受賞歴としては、2009年に主催の文化振興賞特別賞、2010年に『月刊しぐさ』誌の「沈黙に意味を持たせた人」部門第1位を受けたとされる。なお、後者は読者投票で成立した小規模な賞であったが、本人たちは「地方賞こそ芸の芯」として大切にしていた。

出演[編集]

テレビ出演としては、深夜番組『芯まで笑え』『間の研究室』『終電前の3分』などに出演した。いずれも短命であったが、系の特番では、最後までタイトルロゴが確定しないまま放送された回があり、編成部から「企画の揺れ自体が番組」として扱われた。

ラジオではの深夜枠で月1回のコーナーを担当し、リスナーの投稿に対して「その話はもう少し前にずれている」と返す定型句が人気を博した。また、では『芯の置き場』『月曜は折れる』などの実験公演に出演し、客席の椅子配置そのものを演出に組み込んだことで知られる。

CM出演は少なく、唯一広く流通したのは地方銀行のキャンペーンである。二人が「貯金は芯を作る」とだけ言い、最後に通帳を2冊だけ掲げる15秒CMで、放送翌週に問い合わせがあったという。なお、映画出演については端役が中心で、『横断歩道の向こう側』では通行人役を務めたが、台詞が1行しかないのにリハーサルが3日間行われたことで関係者を驚かせた。

作品[編集]

DVD『松本人芯 第一章 芯の角度』(2006年)は、ライブ映像に加えて稽古場の机配置を収めた特典映像が収録され、発売初週でを売り上げた。ファンの間では付録の「芯線図」が本編より有名である。

CDとしては、出囃子と未使用の間だけを集めた『無言のためのB面』(2008年)が存在する。売れ行きは限定的であったが、音楽評論家から「再生時間が短いほど作品性が高いという逆説を示した」と評された。

書籍化は少ないが、ネタの構造を解説した『沈黙の設計図』(北沢書房、2010年)が刊行された。この本は実用書売り場に置かれた結果、演劇関係者だけでなく建築学科の学生も購入したとされる。

単独ライブ[編集]

単独ライブは1999年の『芯のある夜』を皮切りに、2003年『逆順の月曜日』、2007年『外側から読む漫才』、2010年『最後に残るもの』などがある。いずれもタイトルの時点で意味が半分だけ分かるように設計されていた。

特に『外側から読む漫才』は、会場入口に展示されたパンフレットの目次を先に読むとネタ順が分かるという仕掛けがあり、常連客の中には開演前に5回目の再入場をした者もいたとされる。公演後のアンケートでは「笑った」という感想と「形式に負けた」という感想がほぼ同数だった。

最後の単独ライブでは、エンディングで照明が落ちた後も二人が舞台上に残り、観客が全員帰るまで動かなかったという逸話が残る。劇場記録では終演時刻がとされるが、実際には片付けが終わったのは日付をまたいだであった。

書籍[編集]

関連書籍として『松本人芯の間』(編集・北沢企画資料室)、『芯のある沈黙をめざして』(聞き書き、青葉文化研究会)、『笑いの外周線』(共著)などがある。いずれも学術書とファンブックの中間のような体裁で、脚注だけが妙に充実している点が特徴である。

また、2009年に出た小冊子『ネタが遅れてやってくる』は、配布されたのうちが劇場ロビーで回収不能になり、現在は古書市場で高値がつく。表紙の右下にだけ「要再検討」と印刷されている版があるが、これは印刷事故ではなく意図的な演出であると説明されている[7]

脚注[編集]

関連項目[編集]

脚注

  1. ^ 北沢一郎『芯の角度と間の経済学』北沢書房, 2011.
  2. ^ 佐久間理恵「都市小劇場における準実在ギャグの成立」『演芸研究』Vol. 18, No. 2, pp. 41-59, 2008.
  3. ^ 松本一真・仁科芯吾『無音のためのB面』北沢レコード, 2008.
  4. ^ 高野修司「東京漫才新人賞における審査語彙の偏差」『芸能批評』第7巻第4号, pp. 88-101, 2009.
  5. ^ A. Thornton, 'The Semiotic Use of Silence in Post-1990 Japanese Manzai', Journal of Popular Performance, Vol. 12, No. 1, pp. 15-33, 2012.
  6. ^ 青葉文化研究会 編『松本人芯資料集 成立前史』青葉出版, 2014.
  7. ^ 西園寺久美子「高円寺における出囃子の変拍子化」『音と笑い』第3巻第1号, pp. 7-19, 2007.
  8. ^ 北沢企画資料室『年表 松本人芯 1998-2011』内部刊行物, 2015.
  9. ^ H. Marlowe, 'Measured Laughter and the Problem of Delayed Punchlines', East Asian Comedy Studies, Vol. 4, No. 3, pp. 201-219, 2010.
  10. ^ 『ネタが遅れてやってくる』編集委員会『ネタが遅れてやってくる』北沢ブックス, 2009.

外部リンク

  • 北沢企画アーカイブ
  • 高円寺小劇場資料館データベース
  • 東京漫才新人賞 公式記録室
  • 芯芸年鑑オンライン
  • 松本人芯ファン倶楽部 旧版ログ
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