梨泰院クラス
| 成立地域 | 梨泰院一帯 |
|---|---|
| 分野 | 都市社会学・若年就労文化・飲食コミュニティ |
| 起源の呼称 | 路地学級(ろじがっきゅう) |
| 主な対象 | 非正規就労者・留学経験者・夜間労働者 |
| 象徴行為 | 同一メニュー名の“学級札”掲示 |
| 関連語 | 教室ではなく厨房で学ぶ、という比喩 |
| 注目時期 | 2000年代の街の自主的相互扶助が契機とされる |
梨泰院クラス(りたいえんくらす)は、ので語られる「路地(ろじ)の学級文化」を指す呼称である。1990年代後半に広まったとされ、のちに若者の就労・飲食・自衛を結びつける社会的実践として再解釈された[1]。
概要[編集]
は、単なる飲食街の流行を超えて、夜の労働者が「学び」と「生活防衛」を同時に行うための小規模な共同体を指す語として、1990年代末に定着したとされる。特に周辺では、店舗の壁面に“学級札”と呼ばれる紙片を貼り、常連の役割を形式化する慣行があったと説明される。
一方で、語の成立については複数の説が存在する。路地学級の前身がの少年更生プログラムに端を発するという説明や、逆に戦後の闇市の記帳様式が教育用語へ転用されたという指摘もある。なお、街の記録係が「1クラス=1日あたり厨房稼働30時間を超えた班」として数えたため、後年の学級概念がやけに“労務寄り”に膨らんだとされる[2]。
名称と選定基準[編集]
この語が「梨泰院クラス」と呼ばれるようになったのは、参加者が年齢や職種ではなく“授業の進度”で集団を編成したためだとされる。具体的には、初回参加者は「自己紹介より先に、名刺を破って紙ナプキンで代替する」手順を求められるとされ、これが“教室に入る儀礼”として定着したと説明される。
また、学級札の内容には一定の選定基準があったとされる。たとえば、札には1行目に店舗名、2行目に「今夜の課題メニュー(例:辛味噌鍋/香味揚げ)」、3行目に「衛生の合言葉(例:水は三回替える)」を記す形式が推奨された。街の聞き取りでは、合言葉の数が合計で42個に整理された時期があったとされ、さらに“厨房の温度を測る係”が必ず置かれたとも語られる[3]。
さらに、梨泰院クラスには「外部者の歓迎度」を示すスコアリングが導入されたという伝承もある。外部者が一度でも“注文前に席の背後を確認する”所作を取ると、1点が加算されるとされ、合計6点で「学級の見学許可」が出たという。もっとも、これが実際に運用されたかは不明であり、街の掲示板では“盛られた数字”として扱われることも多いとされる[4]。
歴史[編集]
路地学級の誕生(「梨泰院」由来の都市儀礼)[編集]
路地学級は、1997年のソウルで起きたとされる「夜間再編週間」をきっかけに、複数の小さな店舗が横串で学習会を組んだことから始まったと説明される。この週間では、夜の出勤者の“顔の見える化”が求められ、記録係が従業員名簿の代わりに、厨房の裏口で“湯気の濃さ”を5段階で記入したという逸話が残っている。
この記録が、のちに学級札の書式へ転用されたとされる。すなわち、湯気の濃さは「授業の進度」、店の匂いは「宿題」、厨房の温度は「試験」として比喩化されたのである。特に“授業”という語が使われたことで、参加者は資格試験を目指すだけでなく、街の生活技術を互いに教えるようになったとされる[5]。
ただし、当時の資料は断片的であり、役所の関連文書には「路地学級」という単語が確認できないという指摘もある。そこで、一部では、自治体が公的用語として整えられなかったため、梨泰院周辺の実務者が独自に教育語へ翻訳したと推定されている。なお、この翻訳の翻訳者としての下請け翻案係だったとする架空の人物名が、街の回覧板に一度だけ登場したという証言がある[6]。
制度化と“学級札”の拡散(数字が暴走した時期)[編集]
2002年ごろから、梨泰院クラスは相互扶助の枠を越えて“制度っぽさ”を獲得したとされる。ある飲食組合が主催したとされる「夜の衛生学級フォーラム」では、学級札を掲示する店舗数が“当日で17店”“1週間で63店”“一か月で124店”と段階的に増えたと記録されたと説明される[7]。
この記録は、参加者の動員数としては過剰に正確すぎる点があり、のちに「誰かが鍵穴の数を数えて店舗数に置き換えたのでは」とする疑義が出た。しかし、この疑義こそが梨泰院クラスの“信仰化”を生み、数字があるほど集団が強くなるという逆説が指摘された。
さらに、学級札の合言葉42個は、その後“厨房事故ゼロキャンペーン”と結びつけられたとされる。キャンペーンでは「火傷の報告は恥ではなく宿題である」と掲げられ、参加者が転倒事故を見た際に床を拭く担当が自動的に指名される仕組みが整えられたと語られる[8]。この仕組みが、のちの若者支援団体のロジックに影響を与えたとする見方もある。
社会への波及(“クラス”が就労の言語になった)[編集]
梨泰院クラスが社会に与えた影響として、最もよく語られるのは就労の言語が変化した点である。従来は職探しで“職種”が中心だったのに対し、梨泰院クラスでは“授業の到達度”が履歴書代わりに参照されたと説明される。たとえば「衛生の授業が完了」「香味の授業が第2課まで」「記録係の授業を一度担当した」などの表現が使われたという。
この結果、系の相談窓口では「授業到達度をどう評価するのか」という照会が増えたとされる。もっとも、照会の実在性には異論があり、窓口担当者が“授業”という言葉に慣れてしまっただけではないかとする見方もある[9]。ただし、少なくとも街では、面談の言い回しが「あなたは何を学びたいですか?」へ寄り始めたとされ、若者の自己説明が変わったことは広く認められている。
なお、影響の大きさゆえに模倣も増えたとされる。釜山の一部店舗や、仁川の港町では似た札を掲げる運動が起きたが、そこで“梨泰院クラス”を名乗ることに対して反発も起きたと記録されている。結果として、梨泰院クラスの“公式化”には慎重さが求められ、語の使用には暗黙の了解が働くようになったとされる[10]。
批判と論争[編集]
一方で、梨泰院クラスには批判も多いとされる。とくに「数字が先にありきで、実態の評価が後回しになる」という指摘がある。学級札の“衛生の合言葉”を暗記することが目的化し、現場の改善が置き去りになったのではないかという声である。
また、外部者の歓迎度スコア(合計6点で見学許可)をめぐっては、実質的な排除につながる可能性があったとする批判がある。さらに、学級札の掲示をめぐるトラブルとして、紙片が風雨で破れた際に「授業が失格になる」と解釈した参加者がいたという逸話も紹介される。もっともこれは誇張である可能性があるとされ、当時の掲示物の保存状態が悪いことが要因とも説明される[11]。
ただし、こうした批判にもかかわらず、梨泰院クラスが生み出した“相互の見守り”は一定の肯定的評価を得てきたとされる。ある社会調査のメモでは、参加者が互いに連絡先を交換した比率が「83.4%」とされ、さらに交換後のトラブル回数が平均「0.7件/月」と書かれていたという。この数字は精緻に見える一方で、母数が不明であるため、信頼性に疑問符が付くこともあると報告されている[12]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 李成旭「路地学級の記録様式と都市的翻案」『ソウル都市史研究』第12巻第4号, pp.15-38, 2003.
- ^ 정민호「梨泰院周辺の“学級札”慣行に関する聞き取り」『韓国社会言語学論集』Vol.7 No.1, pp.91-112, 2006.
- ^ 박지영「夜間再編週間の言説分析:1997年の“湯気記録”」『都市文化年報』第5巻第2号, pp.44-67, 2009.
- ^ Morgan, A. “Informal Pedagogy in Night-Work Districts: A Case of Itaewon.” 『Journal of Urban Informality』Vol.18 No.3, pp.201-226, 2011.
- ^ Kwon, S.-H. “Class as a Local Administrative Metaphor.” 『Korean Review of Social Systems』第21巻第1号, pp.33-58, 2014.
- ^ 松本優太「路地の共同体における“学び”の比喩構造」『比較社会学研究』第9巻第1号, pp.77-96, 2018.
- ^ 田村康介「都市の数字と共同体の信仰化:掲示物文化の生成」『社会統計論叢』第3巻第2号, pp.1-23, 2020.
- ^ Hernández, L. & Park, J. “The Practical Meaning of ‘Class’: Hospitality, Sanitation, and Membership.” 『International Journal of Night Economy』Vol.26 No.2, pp.140-167, 2022.
- ^ 이도현「歓迎スコア制に内在する排除リスク」『労働と生活の社会学』第14巻第3号, pp.205-229, 2021.
外部リンク
- 梨泰院クラス研究会アーカイブ
- 夜間衛生学級フォーラム記録所
- 路地学級掲示物データベース
- 龍山区・口述史プロジェクト
- ソウル夜経済用語集