楠房にて、2度目の知!舌!あーはー!
| 種別 | 言い回し(儀礼句) |
|---|---|
| 伝承地 | 大阪府堺市(楠房) |
| 成立時期 | 明治末期(1890年代後半説〜1905年前後説) |
| 関連分野 | 言語訓練・発声・嚥下(当時の俗称) |
| 主要要素 | 「2度目の知」「舌」「あーはー」 |
| 伝播媒体 | 私塾の筆記ノート、口伝、寄席の当てこすり |
| 論争点 | 医学的根拠の有無と、過度な“舌礼讃”の是非 |
は、明治末期に流行したとされる「言語儀礼」と「嚥下快感」双方を結びつけた言い回しである。語句はの私塾「楠房」で行われた集団訓練の合図として伝えられてきた。なお、現代では創作・伝説・都市伝承の境界に置かれながらも、会話術研究の“逆説的文句”として参照されることがある[1]。
概要[編集]
は、集団暗唱の最中に唱えられる短句として語られている。とくに「二度目の知」とは、文字の理解(一次)ではなく、声に乗せた瞬間に生じる身体的な“再理解(二次)”を指すとされる[2]。
また「舌!」「あーはー!」は、滑舌を整えるための呼気操作と説明されることが多い。実際には、舌の位置を“学びの地図”に見立て、呼吸の間隔を“合図の時計”として運用したという伝承が中心である。なお、この仕組みが本当に機能したかは不明で、当時のには言語と健康を結びつける流行があった、という解説が付されることが多い[3]。
この言い回しは、のちに「教えすぎる教師より、口の形を変える訓練が先に来る」という、いわゆる逆説的教育観を象徴するフレーズとして再解釈されていった。現代の言語研究界隈では直接の引用よりも、比喩として扱われる傾向が見られる[4]。
歴史[編集]
楠房の“舌時計”と、2度目の知[編集]
伝承によれば、この句はの私塾「楠房」で1898年の夏に整備されたという。楠房を率いたとされるのは、教育家の(当時、帳簿係兼・声楽の素人教師)である。彼は“知は頭で理解して終わるのではなく、舌が戻る場所を覚えて初めて確定する”と述べたと記録されている[5]。
楠房の授業では、暗唱を開始してから最初の22回は通常の声量、続く23回目から27回目までは声をわずかに上ずらせ、28回目に「舌!」と叫ぶ形式が採られたとされる。さらに29回目から31回目は、息を“数え息”で割り、最後に「あーはー!」を1拍ずつずらして返す、と説明されることがある。ここで「2度目の知」が発生したとされるのは、32回目の反復で、学習者が“意味を変えずに声の形だけが入れ替わった瞬間”だったという[6]。
ただし、この説明は楠房の内部ノートとされる筆写資料を根拠にしており、写本の間で「28回目の叫びが必ずしも“舌!”ではない」という差異が指摘されている。この差異が生まれた理由として、筆写者が寝落ちし、翌朝に別の口癖を混ぜたためではないかとする説があるが、真偽は定まっていない[7]。
寄席と火消し、そして“あーはー!”の流行[編集]
楠房で整備されたとされる訓練は、やがての寄席関係者に渡ったとする話がある。語り手は、噺家のが「滑舌の落ち方が噺の間を壊す」として、この句を舞台の合図に流用したと語ったとされる[8]。
具体的には、拍手の前に短く息を抜き、「あーはー!」を観客の呼吸に合わせて二度投げする“間取り技術”が流行した。ある記録(寄席の番付表とされる)では、1899年の春から秋にかけて、同一演目の上演回数が月平均で41.6回(四捨五入の結果)にまで増えたとされる。ただし番付は後年の筆加があり、月平均の算出過程が検証されていない[9]。
また別系統の伝承として、この句は火消しの詰所でも合図として使われたとも言われる。煙の中で声が届きにくい状況を想定し、短句を「一息の圧力」として吐く練習が広まった、という筋書きである。ここでは「舌!」が“方向確認”を意味し、「2度目の知!」が“再点呼”に転用されたとされるが、転用がいつ始まったかは不明である[10]。
こうしては、教育の合図から、芸能の間、さらに現場の点検へと姿を変えながら、各界の「声が先に身体を動かす」という直観と結びついていった。結果として、当時の社会では“発声の癖=人格の癖”とみなす言説が強まり、学校や職場での口調点検が過剰に行われるようになったとされる[11]。
近代の検閲と“都合よい迷信”[編集]
20世紀初頭には、教育現場での過激な暗唱が問題視され、地方紙が一斉に“奇妙な訓練”を取り上げたとされる。特にでは、1912年に「口舌の礼法」を含む訓練が“衛生上の誤解を誘う”として注意喚起された、という記述がある。もっとも、注意喚起の原文は現存が確認できず、新聞の二次引用だけが残っているため、史料的価値には慎重さが求められている[12]。
一方で、訓練側はこの批判を逆手に取り、「2度目の知とは、批判への耐性を含む」と説明したとされる。教師が「唱えることで疑いの芽が舌に固定される」と言ったことが、後の都市伝承に影響したと推測される。特に「舌!」「あーはー!」は、抗議のための口上にも転用され、“正しさを声で押し切る”という印象を帯びるようになった[13]。
その後、学術機関がこの句を“研究対象”として取り上げたのは戦間期であり、の系統に属する言語音声の講義ノートに「口腔リズム仮説」なる項目として現れる。ただし当時の学生ノートでは、なぜか「2度目の知」が“暗算の二次誤差”と混同されており、学術の引用元は特定されていない。この混同こそが、句の奇妙さを今日まで保った要因になったと考えられている[14]。
内容と解釈[編集]
は、音声の運用を“理解の手順”として切り分ける発想を含む句であると説明される。とくに「2度目の知」は、意味理解の後に、発声の運動パターンを再構成する段階として扱われることが多い[15]。
「舌!」は、舌の動きを“教育のボタン”と見なす表現だとされる。ここで言う舌とは器官というより、学習者が自分の発音をモニタリングする“内部計測器”の比喩だったとする説がある。また「あーはー!」は、呼気の切り替えを一定周期で行う合図として解釈されるが、周期は楠房系の伝承では17拍(あるいは、17拍+ため息1回)とされるなど、流派ごとの差異が大きい[16]。
さらに面白い解釈として、句が宗教的なものに見えるのは意図的だった、という指摘がある。つまり“儀礼化”することで学習者が自発的に正確さを保ちやすくなり、結果として出席率が上がったため、教育者はこの言い回しを手放さなかったという筋書きである。実際に、楠房周辺の自治会記録(家族の出席メモが断片的に残る)では、訓練日の欠席率が平均で3.2%に落ち込んだ年があるとされるが、母数の定義は明確でない[17]。
社会に与えた影響[編集]
この句が象徴する考え方は、近代の教育や訓練において「身体を先に合わせ、理解は後から来る」という価値観を押し上げたとされる。楠房方式は、寺子屋の復興運動や、工場の技能訓練にも“口の形”を導入する口実を与えたという[18]。
とくに周辺では、職工学校の初等科が「朝の声出し」を制度化した。制度の呼称は「舌礼法準拠点検」で、点検者はの商工部に所属する監督職(史料上の通称)だったとされる。そこでが合図として使われたかは資料で揺れるが、少なくとも同時期に“舌の使い方”を口頭で検査する行為が増えたことは示唆されている[19]。
この影響は教育の外にも及び、寄席では“間の盗み”が行われた。噺家が他の演者の呼吸タイミングを真似るために、自分の発声練習としてこの句を用いたという。こうして、声は技能であり、技能は信用であり、信用は社会的地位に連結する、という連鎖が強められたと解釈される[20]。
批判と論争[編集]
批判の焦点は、訓練が過度に“舌”へ偏った点にあった。衛生指導の文脈では、短句の反復が口腔内の炎症や疲労を招きうるとされたが、当時の資料では因果関係が示されないまま不安だけが先行したとされる[21]。
また、言語学的にも「2度目の知」が何を指すのか曖昧であるとして、系統の近代化論に批判が向けられた、とする後年のまとめがある。ただし当該まとめの時期は整合しないため、真にが関与したかは疑わしいとされる。むしろ、学術行政の空白地帯を埋めるように、民間の講習団体がこの句を“権威の飾り”として利用した可能性がある、という指摘がある[22]。
さらに最も笑われがちな論争として、句の最後の「舌!あーはー!」を“計測用の決まり文句”と誤解し、会議のたびに同じ抑揚で唱える運用が一部で行われた、と語られる。これは「議事を短くする効果があった」と言われる一方、音響が悪い部屋では逆に結論が長引いたという。なおこの逸話は、当事者が友人へ送った手紙の断片として伝わるが、手紙の日付が「明確に読めない」と評されている[23]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『舌と理解の往復運動』堺文庫, 1901.
- ^ 松波鉄之助『寄席の間取り技術—呼吸を盗む法』大坂演芸社, 1907.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton「Vocal Cueing and Second-Order Comprehension」『Journal of Applied Phonology』Vol.12, No.3, 1939, pp. 211-248.
- ^ 伊藤清典『口舌の礼法と近代教育』文雅堂, 1926.
- ^ 田中雲舟『火消し隊における合図音声の整理』大阪防災叢書, 1932.
- ^ 佐藤眞弓「『あーはー』の韻律学—拍をずらす語尾の解析」『音響民俗研究』第4巻第1号, 1958, pp. 33-59.
- ^ 王天民『The Second Knowledge in Folk Training』Kyoto University Press, 1968, pp. 10-45.
- ^ 楠房記録刊行会『楠房にて記されたノート(複製)』堺史料館, 1984.
- ^ Eleanor R. Whitman『Rhetoric as Bodily Equipment』Harborlight Academic, 1994, pp. 102-137.
- ^ (やや不自然な記述として)クラウス・ベック『舌礼讃の社会史』第2版, 2005, pp. 1-9.
外部リンク
- 楠房舌時計アーカイブ
- 堺の寄席と合図研究会
- 口腔リズム仮説 収集ノート
- 第二次理解(比喩)談話室
- 声の民俗学リンク集