横山競馬場
| 名称 | 横山競馬場(Yokoyama Racecourse) |
|---|---|
| 種類 | 競馬場(観覧施設一体型) |
| 所在地 | 横山町3丁目 |
| 設立 | 42年(1967年) |
| 高さ | スタンド棟:28.6m(最上段手すり) |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造+プレキャスト部材 |
| 設計者 | 横川都市整備局 競技場設計室(主任:渡辺精鋭) |
横山競馬場(よこやまけいばじょう、英: Yokoyama Racecourse)は、にある[1]。
概要[編集]
現在ではは、地元の娯楽だけでなく、交通再編と市財政の「帳尻」にまで影響した建造物として知られている。
同競馬場の特徴として、馬場の微細な温度差を観測する「第3管理舎センサー列」が挙げられる。なお、この発想は戦後の道路舗装技術から転用されたとされる[1]。
また、毎開催で発行される「横山式出走票」の紙厚は0.18mmと規定されており、これが“風にめくられにくい紙”として評判になったという逸話が残っている[2]。
名称[編集]
「横山」の名は、競馬場周辺の小丘陵が“横に広がる山”として測量図に記されていたことに由来するとされる。市の資料では、旧地籍台帳の表記が転訛したと説明されている[3]。
一方で、建設計画初期の呼称は「横川中央競走場(仮称)」であったとされ、議会審議の過程で「市内の横(よこ)への流動」を象徴する名に改められた、という説もある[4]。
さらに、設計者側の社内文書では「YOKOYAMA」の欧文表記に関して、発音しやすさと看板視認性を優先して“YOKO・YAMA”のリズムを採用したと記されている[5]。
沿革/歴史[編集]
計画の発火点[編集]
40年、の商工会が提出した「雨天でも滞留する集客施設」構想が市役所で採択されたとされる。具体的には、年間来場者目標を「延べ210万人」と置き、雨天時の退避導線を全長412m確保する計画が添付されたという[6]。
この数字は後に見直され、「雨天日数を年間37日」と推計し、滞留可能人数を1日あたり6,300人として再計算された。ここから“数字の細かさ自体が予算折衝の武器になった”と、当時の担当者は回想している[7]。
なお、同競馬場の馬場照明は、夜間の視認性改善に加えて、馬の歩様(あゆみ)のブレを撮像する目的で設計されたとされる。もっとも、当時の撮像機材は高価であり、調達は市内の印刷会社が行ったと記録されている[8]。
開場と制度の「同居」[編集]
42年(1967年)に開場し、初年度は「記録上の入場者数が延べ183万4,512人」と報告された[9]。しかし、同時期に行われた周辺道路の一部規制が影響したとして、監査委員会が“差分の扱い”を議論した経緯も残っている。
その後、場内の投票システムは段階的に更新され、48年(1973年)には紙票から磁気カードへ移行したとされる。ところが磁気カード用のリーダー故障が多発し、対策として「出走票の角を0.7mmだけ切り欠く」加工が推奨された[10]。一見滑稽だが、翌年の再発率が35%減になったとする資料があるため、笑い話として伝わった。
さらに55年(1980年)には、馬場の外周に“音響壁”を設置して、騒音を客席の側で相殺する運用が始まったとされる。この音響壁は、当初「観客の拍手が測定器を揺らす」問題から出たとされ、運用担当者が自費で実験用マイクを購入したという記録がある[11]。
施設[編集]
は、馬場本体と観覧スタンド、管理棟、そして第3管理舎から構成される。スタンド棟は鉄筋コンクリート造で、高さは28.6mとされる(最上段手すりの実測値)[12]。
馬場は内外の二重管理方式が採用されており、外周側には「温湿度リング」と呼ばれる換気スリット列が設けられている。温湿度リングの開口比率は12.5%とされ、雨上がりの路面乾燥速度を一定に保つ目的があったと説明される[13]。
また、競馬場中央には「時計塔ウィンド」と呼ばれる送風構造があり、風向に応じて表示板の文字を揺らさない工夫がなされたとされる。市の技術報告書では、表示板の最大許容傾きが0.03度と記載されている[14]。この数字は、現場の職人が“それ以上は読めない”と経験的に主張した結果だといわれる。
交通アクセス[編集]
は横山町3丁目に所在し、鉄道駅からの徒歩導線を段階的に整備している。最寄りとされる「横川南駅」からは、公式には徒歩14分とされるが、雨天用の迂回路を含めると19分になるとされる[15]。
バス路線は開場日だけ系統番号が変わり、「臨時横山03系統」が運行される。系統番号変更は混雑による運転事故の抑止を目的としたと説明されているが、運転手からは“数字の気合いが増える”と評判になったという[16]。
なお、場内の来場ゲートは合計で7か所とされ、入場処理能力は1分あたり1,920人とされる。開場30分前の導入時間を厳守させる運用が徹底されている点で、行政主導の交通設計としても注目された[17]。
文化財[編集]
は、建築史料としての価値が認められ、敷地内の一部建物が「地域の登録建造物」として登録されている。登録対象は、時計塔ウィンド基部と第3管理舎の外壁モジュールに限定される[18]。
登録理由としては、馬場運用と観客導線を同一の構造体系で扱った点、また温湿度リングの換気意匠が“景観上の機能美”として評価された点が挙げられている。地元の建築士会は、外壁モジュールの反復寸法が「1110mm」単位で統一されていることを示している[19]。
ただし、時計塔ウィンドの一部は改修で形状が変更されており、当初の送風羽根の枚数(当時は36枚とされる[20])が現在は確認できないとする指摘もある。この点は、保存と運用の折衷の結果として説明されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 横川市史編纂室『横川市都市建造物資料:競技場編』横川市役所, 1986.
- ^ 渡辺精鋭『競技場の微気候制御と観覧者動線』第3巻第1号, 架空土木学会誌, 1972, pp. 41-58.
- ^ 山根翠『横山式出走票の規格化に関する一考察』『地方行政と運用工学』Vol.12, 架空出版, 1975, pp. 113-129.
- ^ 佐々木公彦『雨天導線計画の実測:横山競馬場のケース』日本交通計画学会『交通計画研究』第7巻第2号, 1979, pp. 77-96.
- ^ M. A. Thornton『Noise Cancellation in Stadium Acoustics』Journal of Civic Architecture, Vol.9, No.3, 1981, pp. 201-218.
- ^ 横川都市整備局 競技場設計室『横山競馬場計画図面目録(縮尺1:300)』横川都市整備局, 1966.
- ^ 『横川市監査委員会議事録(昭和42年度)』横川市監査委員会, 1968, pp. 5-24.
- ^ E. Kuroda『Magnetic Ticket Reliability under Field Conditions』Proceedings of the International Sports Systems Conference, Vol.4, 1974, pp. 309-326.
- ^ F. Lindström『Ventilated Facade Modules for Public Venues』Architecture and Infrastructure Review, Vol.15, 1983, pp. 55-73.
- ^ 三浦由香『登録建造物における“機能美”の評価軸』『地域建築史研究』第2巻第4号, 1990, pp. 12-29.
外部リンク
- 横川市 競馬場事業課アーカイブ
- 横山競馬場 公式記録室
- 架空県観光建造物データベース
- 横川南駅 周辺案内サイト
- 地方行政と運用工学(論文索引)