風見村
| 名称 | 風見村 |
|---|---|
| 種類 | 展望複合施設 |
| 所在地 | 長野県東筑摩郡風見町字上風見 |
| 設立 | 1958年 |
| 高さ | 地上47.6 m |
| 構造 | 鉄骨鉄筋コンクリート造・木造付属棟 |
| 設計者 | 松本建築研究室・渡辺精一郎 |
風見村(かざみむら、英: Kazami Village)は、にあるである[1]。現在では、風向観測と観光展望を兼ねる山岳施設として知られている[1]。
概要[編集]
風見村は、南端の風衝地に建設された、風向観測塔・宿泊棟・展示館を一体化したである。名称は、敷地内に設けられた巨大な風見車に由来するが、実際には「村」と呼ばれるほどの集落機能を備えていたため、地元では早くから現在の名で呼ばれていたとされる。
この施設は、に県営の観光実験事業として着工され、のちにに向けた山岳観光ルート整備の一環として注目を集めた。現在では、風向計測の記録資料が保存されているほか、季節ごとに「風の見本市」と呼ばれる展示が行われている[2]。
名称[編集]
風見村の名称は、周辺の尾根で常に強い季節風が吹き抜けることに加え、施設中央の塔屋に取り付けられた直径3.8メートルの風見車に由来する。建設当初は「上風見観測館」と称されていたが、来訪者が塔の周囲に自然発生的に売店や休憩所を増設したため、頃から「村のようだ」と評されるようになった。
また、一部の研究者は、名称の定着にはの民俗学者・小泉久作が残した「風は集落を先に作る」とする未発表講義録が影響したと指摘している。ただし、この講義録の所在は長らく不明であり、引用の真偽をめぐって小規模な論争が生じた[要出典]。
沿革[編集]
構想と着工[編集]
風見村の構想は、に観光課がまとめた「高地風況利用計画」に端を発するとされる。計画書では、冬季に強い西風が吹く台地を「自然の回転台」とみなし、観測・宿泊・物産販売を一体化した施設を試験的に整備する方針が示された。
着工は7月で、資材運搬には旧の貨物便と、地元の木馬隊が併用された。現場監督の日誌には、午後2時を過ぎると強風で足場板が毎日2〜4枚飛散したと記されており、これが後の耐風構造の基礎データになったとされる。
観光施設としての転換[編集]
の開業後、風見村は当初、気象教育施設として運営されていたが、参詣と観光の中継点として利用者が増加し、宿泊棟の増築が繰り返された。とくに屋上の回廊は、風速が毎秒18メートルを超えると自動的に閉鎖される仕組みであったが、観光客の人気が高く、閉鎖中に逆に行列ができたという。
には、地元商工会が「風で干す土産物」の開発に成功し、乾燥りんご、風干し蕎麦、耐風せんべいの3種が定番商品となった。現在でも売店では、包装紙が半透明に加工されており、強風下でも商品名だけが先に読めるよう工夫されている。
保存と再整備[編集]
に入ると老朽化が進み、塔屋上部の風見車は一時期回転数が落ち込み、観測記録の連続性が危ぶまれた。しかしの大規模修繕で、旧来の鋳鉄部材を残しつつ内部にチタン製の補強リングが追加され、耐風性は建設当時の約1.7倍に改善されたとされる。
には、風見村の記録簿から「最大瞬間風速31.2m/sの日、売店の旗がすべて西を向いたため、会計も西向きで行った」という異例の記載が再発見され、保存会の会報で紹介された。こうした逸話が、同施設を単なる観光塔ではなく地域文化の象徴に押し上げたとされる。
施設[編集]
風見村は、主塔・宿泊棟・資料館・屋外風庭の4区画から成る。主塔は地上47.6メートルで、上層部に観測室、下層部に回廊展望台が設けられている。螺旋階段は全178段であるが、強風注意日のみ「風の都合により190段相当として扱う」と掲示される。
宿泊棟は全12室で、各室に風向きを示す木製の室名札が掛けられている。北風側の4室は冬季に人気が高く、予約開始から11分で満室になることが多いという。なお、最上階の一室だけは窓が二重構造になっており、これはに起きた「寝具が半分屋外に持っていかれた」事故を受けて改修されたものである。
資料館では、開業以来の気象記録、設計図、当時の観光ポスターのほか、風向板の試作品が展示されている。中でも「自動的に来客の帽子を西へ導く」と説明された初期試作機は、実用性の低さから即座に撤去されたが、現在も展示室の目玉となっている。
交通アクセス[編集]
風見村へのアクセスは、のから路線バスで約48分、終点「風見村入口」下車後、徒歩17分である。冬季は積雪と横風のため、実際の所要時間が倍近くになることがあり、観光案内では「心の準備に10分を要する」と記載されている。
自家用車の場合は、のから県道を経由し、風見大橋を渡るルートが一般的である。ただし、橋梁上は風速計が4基連動しており、平均風速が20m/sを超えると一時的に速度制限が30km/hへ下げられる。これにより、渋滞というより「風待ち停車」が発生することで知られている。
また、春と秋には観光協会による「風見循環シャトル」が運行される。車内放送では、到着前に必ず「本日は塔が少し傾いて見える日です」と案内されるが、実際には気圧差と遠近法によるものであると説明されている。
文化財[編集]
風見村主塔と宿泊棟は、にに指定されている。また、敷地内の風向観測記録は、の地方史料整理事業において準重要史料として扱われている。
とくに塔屋最上部の風見車は、30年代の観光建築における機械装飾の代表例として評価されている。保存修理時には、当初の塗装色が「薄鼠」とされていたにもかかわらず、解体時の部材内側から鮮やかな青緑色が発見され、竣工時に短期間だけ別色で塗られていた可能性が浮上した。これについては、設計者の渡辺精一郎が「強風の中では色はむしろ音で選ぶ」と語ったとされ、学術的にはきわめて解釈が難しい発言として扱われている。
なお、風見村の敷地境界には、観測塔の基壇よりも古い石積みが一部残されており、地元ではの風祭りの祭壇跡であると伝えられているが、発掘報告書では用途未詳とされている。
脚注[編集]
[1] 長野県観光地理研究会『山岳展望施設の成立と命名』第4号、1962年、pp. 11-19.
[2] 風見村保存会『風の記録と売店の繁栄』第12巻第2号、2018年、pp. 3-27.
[3] 渡辺精一郎「耐風塔における回廊の心理的安定性」『日本建築年報』Vol. 8, 1961, pp. 102-118.
[4] 小泉久作『上風見講義録抄』松本民俗資料出版、未刊原稿.
[5] 長野県庁観光課『高地風況利用計画書』内部資料、1954年.
[6] M. H. Thornton, "Wind-Oriented Heritage Structures in Central Japan," Journal of Alpine Studies, Vol. 14, No. 1, 2004, pp. 44-61.
[7] 風見村資料館編『回転する景観』風見村資料館、2009年.
[8] 佐伯隆一「風見車の色彩復元をめぐって」『保存工学通信』第22巻第7号、2017年、pp. 55-69.
[9] 松本建築研究室『上風見観測館 新築基本図』1960年版.
[10] Eleanor P. Green, "Tourism and Artificial Villages," The Kyoto Review of Architecture, Vol. 6, 1998, pp. 201-214.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 長野県観光地理研究会『山岳展望施設の成立と命名』第4号、1962年、pp. 11-19.
- ^ 風見村保存会『風の記録と売店の繁栄』第12巻第2号、2018年、pp. 3-27.
- ^ 渡辺精一郎「耐風塔における回廊の心理的安定性」『日本建築年報』Vol. 8, 1961, pp. 102-118.
- ^ 小泉久作『上風見講義録抄』松本民俗資料出版、未刊原稿.
- ^ 長野県庁観光課『高地風況利用計画書』内部資料、1954年.
- ^ M. H. Thornton, "Wind-Oriented Heritage Structures in Central Japan," Journal of Alpine Studies, Vol. 14, No. 1, 2004, pp. 44-61.
- ^ 風見村資料館編『回転する景観』風見村資料館、2009年.
- ^ 佐伯隆一「風見車の色彩復元をめぐって」『保存工学通信』第22巻第7号、2017年、pp. 55-69.
- ^ 松本建築研究室『上風見観測館 新築基本図』1960年版.
- ^ Eleanor P. Green, "Tourism and Artificial Villages," The Kyoto Review of Architecture, Vol. 6, 1998, pp. 201-214.
外部リンク
- 風見村保存会公式記録室
- 長野県観光資料アーカイブ
- 日本風洞建築学会
- 山岳展望施設協議会
- 風見村資料館デジタル展示