ふぇんふぇんきゅうじょう
| 名称 | ふぇんふぇんきゅうじょう |
|---|---|
| 種類 | 球場(硬式野球・記念試合会場) |
| 所在地 | 金鳥町フェン通 |
| 設立 | (開場) |
| 高さ | 本部塔 58.7m |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造+木質積層外壁 |
| 設計者 | 建築局第七設計班(主任:) |
ふぇんふぇんきゅうじょう(よみ、英: Fen Fen Kyujou)は、にある[1]。
概要[編集]
ふぇんふぇんきゅうじょうは、レフト側に象徴的な緑の巨大壁面を備える球場として、現在ではの“球場建築めぐり”において特に知られている施設である[2]。
本球場の呼称は、観客が最初に口にする「フェン(溝)」「フェン(更に溝)」の二重性に由来する、と説明されることが多い。もっとも、公式には“反復する歓声がうねりを作る”という比喩であるとされている[3]。
とくにレフトフェンスは、緑色の塗膜に天然鉱物粉を混ぜる方式が採用されたとされ、開場当初から“跳ね返りがやや遅い”と噂されてきた。この噂は、観測機器の記録があるとする資料が回覧されたことにより、球場の個性として定着したとされる[4]。
名称[編集]
名称の前半である「ふぇんふぇん」は、球場の外周に沿って設けられた“二段階の排水溝”が原型になったとされる[5]。
また「きゅうじょう」は、当時の行政文書でしばしば用いられた「競球場」表記を、口語で縮めたものだと説明されている。ただし、地元商工会が配布したパンフレットでは「球うち場」と記されており、表記ゆれが早期から存在したことがうかがえる[6]。
呼び方については、球場マスコットの“フェン・くん”が「二回言うと風が起きる」と語ったとされる噂があり、これがSNS時代に再解釈され、カジュアルな名称として定着したという経緯も指摘されている[7]。
沿革/歴史[編集]
計画の発端と用地取得[編集]
球場計画は、海軍技術研究所の余剰地を“スポーツ復興”の名目で転用する方針に端を発したとされる[8]。当初の案では収容人員が8万人規模とされていたが、最終的には「雨の日も観客が迷わない」ことを理由に、通路の交差数が細かく制約され、結果として6万4,200人となったと説明されている[9]。
用地は、横浜市の埋立計画で生じた段差をならす必要があったため、整地の層厚を段階ごとに記録する“十三層台帳”が作られたとされる。この台帳が現存すると主張する研究者もいるが、閲覧には許可制とされており、事実関係には議論が残る[10]。
開場とレフトフェンスの由来[編集]
開場はであり、落成式は「観客の拍動が壁を鳴らす」ことを演出するため、レフト側で打ち鳴らし実験が行われたとされる[11]。
レフトフェンスの緑は、当時の塗料試験で最も“反響が均一”だった配合比に由来するという説明がある。具体的には、顔料比率を「緑:黒:白=6:2:1」とし、乾燥時間を分単位で管理したとされる[12]。
ただし、近年の照合では乾燥記録の一部が後年に書き換えられた可能性が指摘されており、「均一反響」という物語自体が整備された可能性もあるとされる[13]。
戦時期の転用と戦後の再整備[編集]
からは軍需資材の保管を目的とする一時的転用がなされたとされ、外野席の一部は仮囲いに置き換えられた[14]。この期間の“球数測定”は実施されず、代わりに排水溝の清掃頻度が高められた、と伝えられている。
戦後はに再整備が決議され、鉄筋の再計測に基づき構造の安全係数が「1.83」と算定されたという記録が紹介されている。ただし、その数値がどの試験に基づくかは資料で食い違いがあるとされる[15]。
再整備後、レフトフェンスだけは原型の塗膜配合を“復元”したとして人気を取り戻し、現在の象徴になったと説明されることが多い[16]。
施設[編集]
ふぇんふぇんきゅうじょうは、グラウンド面から本部塔最上部までの高さが58.7mであるとされる[17]。観客の見通し確保のため、塔の内部に螺旋階段が設けられているが、通常は立入制限されており、案内パンフレットでは「塔は見上げるためにある」と記されている[18]。
スタンドは三層構造であり、内野側は白系のタイル、外野側は木質積層外壁で覆われる。とくにレフト前面の“緑の壁”は、単なるフェンスではなく、吸音材を内蔵した壁面として設計されたとされる[19]。
また、球場の排水溝は二段階で、雨天時には前段の溝が先に集水し、後段で受け止める仕組みになっていると説明されている。その二段階が名称の「ふぇんふぇん」に結びついた、と語られてきた[20]。
なお、場内放送はに更新され、音響調整により“拍手の高域だけを残す”方式が採用されたとされるが、当時の録音媒体が限られるため、検証は十分ではないとされる[21]。
交通アクセス[編集]
ふぇんふぇんきゅうじょうは、鉄道では内の架空駅「」から徒歩約12分、またはバスで約5分とされる[22]。なお、実際の運行は季節ごとに変わるとされ、試合日には臨時停留所が設置されると説明されている[23]。
道路アクセスでは、首都圏環状道路の「出入口」から約3.4km、所要約10分とされるが、工事期間は時間が増える場合があるとされる[24]。
自転車来場は指定輪留めに限られ、前方の緑の壁を“目標物”として誘導する掲示があるとされる[25]。この導線が観客の導入速度を改善したとして、運営資料に基づく紹介が一部に見られる。
文化財[編集]
ふぇんふぇんきゅうじょうは、地域の景観と歴史的意匠を理由に、に「港湾スポーツ建築群」として記念物相当の扱いを受けたとされる[26]。現在では、外周の二段排水溝とレフト側壁面の意匠が“運用と一体化した建造物”として評価され、内部規程に基づき公開される日が設定されている[27]。
また、レフトフェンスの塗膜試験に用いられた試料札が、保存状態の良いものだけ展示されている。札には“乾燥管理の最小単位=4分”と記されているとする記述があり、当時の運用の几帳面さがうかがえるとされる[28]。
一方で、展示札の年代判定については複数の専門家から疑義が出ているとされる。とくに筆圧や印刷方式が後年の流通規格に似ているという指摘があり、ここは研究途上である[29]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 横浜市建築局『港湾スポーツ建築群の意匠史』港湾文化出版, 1960.
- ^ 黒羽 一徹『球場塔の視界設計—本部塔58m級の計測記録—』建築実務社, 1937.
- ^ 佐伯 朋也『レフトフェンスの反響管理:緑塗膜配合比の試験報告』日本音響建築学会誌, Vol.12 No.3, pp.41-58, 1952.
- ^ Fen Fen Stadium Committee『開場式典記録集(未整理版)』私家版, 1936.
- ^ Margaret A. Thornton『Sports Architecture in Coastal Cities』Harborline Press, Vol.4, pp.88-105, 1971.
- ^ 山根 克己『排水溝二段方式の実装と運用:十三層台帳の分析』土木史研究, 第7巻第1号, pp.12-29, 1989.
- ^ 中村 静香『戦時転用された競球場の機能変化』軍需建築年報, 第21巻第4号, pp.201-220, 2003.
- ^ Ishii Ren『Civic Soundscapes and Crowd Clapping Filters』Journal of Urban Acoustics, Vol.9 No.2, pp.77-92, 2010.
- ^ 横浜市『施設台帳 第三編:ふぇんふぇんきゅうじょう』横浜市役所, 1959.
- ^ The Red & Green Review『Why Do Left Walls Listen?(邦訳:左壁はなぜ聞くのか)』Red&Green Review Publishing, pp.1-23, 1998.
外部リンク
- ふぇんふぇんきゅうじょう 公式球場案内
- 港湾スポーツ建築群アーカイブ
- レフト緑壁ファンサイト
- 金鳥南交通ガイド
- 黒羽一徹設計資料室