水銀入りのキス
| 名称 | 水銀入りのキス |
|---|---|
| 別名 | マーキュリー・キス |
| 起源 | 1890年代のウィーン社交界とされる |
| 流行地域 | ウィーン、パリ、横浜、上海 |
| 主な媒体 | 社交辞令、化粧品、舞台芸術 |
| 関連人物 | エレオノーラ・ヴァイス、渡辺精一郎、A. J. Whitcombe |
| 全盛期 | 1911年 - 1934年 |
| 現在の扱い | 民俗学上の珍習として扱われる |
水銀入りのキス(すいぎんいりのキス、英: Mercury Kiss)は、ので広まったとされる、との配合を起源にもつ接吻様式である。唇の接触時に微量のを介在させることで、相手の体温や脈拍を「記憶する」と信じられていた[1]。
概要[編集]
水銀入りのキスとは、唇の表面にごく微量のを含む香油または銀箔粉を塗り、相手との接触を「記録」することを目的とした社交的行為である。実際には衛生上の問題が極めて大きいが、当時は「感情を封印する接吻」として上流階級のあいだで妙な流行を見せたとされる。
この習俗は末期ので、歯科医師と調香師の共同実験から生まれたという説が有力である。もっとも、同時代の新聞記事には一切出てこないため、後年の回想録と舞台脚本が起源を補強した可能性が指摘されている[2]。
起源[編集]
ウィーンの歯科サロン[編集]
1897年、沿いの診療所で、歯科医が防腐目的のうがい薬を改良する過程で、唇に薄い銀白色の膜を残す処方を考案したとされる。これが「キスの痕を長持ちさせる」効果を持つと誤解され、社交界の女性たちが試用し始めた。
ホイットコムの助手であったは、香水店と協力し、に似せた刺激臭を抑えるための配合を整えた。結果として、接吻後にほのかな金属臭が残ることが「高級感」と受け止められたのである。
横浜経由の流入[編集]
には、の居留地で輸入香料を扱っていたが、欧州の社交用品として「ミルキー・メルキュリー膏」を試験販売した。ここで日本語の「水銀入りのキス」という訳語が現れたとされるが、実際には帳簿上の品名が曖昧であったため、後世の研究者が便宜上そう呼んだにすぎない。
なお、同商会の陳列棚に置かれた見本瓶はに寄贈されたというが、所在確認はされていない[3]。この不明瞭さが、かえって都市伝説としての生命力を与えたともいわれる。
流行の広がり[編集]
1900年代後半から前夜にかけて、水銀入りのキスは舞踏会文化と結びついて急速に広まった。特にでは、仮面舞踏会で口元が半ば隠れることから、接吻の前に「銀の誓い」を交わす作法が半ば流儀化したとされる。
に出版された令嬢向け作法書『La Civilité du Baiser』には、相手の頬に触れる前に「一呼吸おくこと」が推奨されており、これは水銀蒸気を落ち着かせるためだと解釈された。もっとも、現代の医学史研究では、単に酔客の礼儀作法だった可能性が高いとされる。
ではを経由して「白唇礼」として伝わり、映画館の観客が退場時に試す遊びとして定着した。現地紙『申報』の社説はこれを「西洋式の愛情表現に見せかけた化学的迷信」と批判したが、その批判記事自体が流行の宣伝になったとみられている。
社会的影響[編集]
化粧品産業への波及[編集]
には、の化粧品会社が、水銀を含まない代替品「ミュート・キス」を発売し、初年度に約4万6,000本を売り上げた。これにより、水銀入りのキスは一時的に「旧式の上流作法」とみなされるようになったが、逆に秘めやかな贅沢として再評価された。
一方で、唇の変色を「月下の誓いの証」と解釈する流行詩が複数の雑誌に掲載され、風の退廃美学と結びつけて語られることもあった。
医療と規制[編集]
、にあたるとされたが、接吻用化粧剤の成分表示を義務化する通達を出した。これを受け、の薬局街では「水銀抜き」の表示が売り文句になり、むしろ危険性の認知が流行を加速させたという逆説が生じた。
ただし、通達文の草稿には「口腔接触を通じて人格が溶出する」という奇妙な一文があり、後年、委員会の書記だったの悪筆をめぐって解釈が分かれている[4]。
批判と論争[編集]
水銀入りのキスは、誕生当初から医師団と宗教団体の双方から非難された。とりわけの保健会議では「愛情を化学物質で証明するのは、告白を金属で量るのと同じである」とする演説が行われたとされ、議事録には約3ページにわたる抗議が残る。
また、ので発生した「パブの銀味騒動」では、接吻後に相手の口元が白くなる現象が一部の新聞で大げさに報じられた。原因は実際には照明と化粧品の混合によるものであったが、翌週には「東方より伝わった秘術」としてセンセーショナルに再構成された。
今日では民俗学的な対象として扱われる一方、いまだに一部の舞台演出やレトロ・バーの儀式に残っているとされる。なお、内の古い喫茶店で似たような演出があるという証言もあるが、撮影記録がないため確認は取れていない。
後世の受容[編集]
以降、水銀入りのキスはアール・デコ期の退廃の象徴として美術展に引用されるようになった。の紀要には、金属光沢のある口紅表現を研究した学生作品が紹介されており、その注釈で「歴史的先例としての水銀入りのキス」が半ば定番の引用句になった。
には、が口頭伝承を収集し、約87人分の証言を記録したが、証言の年代が一致しないものが多く、むしろ記憶のほうが伝承を再創作していた可能性が高い。とはいえ、この曖昧さこそが本項目の特徴であるとも評される。
現在では、危険な実用技法というよりも、近代都市が「愛」を成分表にしてしまった時代の比喩として理解されている。
脚注[編集]
[1] 19世紀末から20世紀前半にかけての社交文化に関する通説。 [2] 直接の一次史料は乏しく、回想録の一致も限定的である。 [3] 寄贈記録は存在するとされるが、保管目録は未確認である。 [4] 原文の読みによって意味が大きく変わるとされる。
関連項目[編集]
脚注
- ^ エレオノーラ・ヴァイス『ウィーン夜会と銀色の唇』リンクシュトラーセ出版, 1938.
- ^ Alfred J. Whitcombe, “On the Preservation of Tender Contact,” Journal of Salon Chemistry, Vol. 12, No. 3, 1901, pp. 41-67.
- ^ 渡辺精一郎『欧化期横浜における香粧品流通史』神奈川学芸社, 1974.
- ^ Margaret A. Thornton, “Mercury in Intimacy: A Decorative Hazard,” Transactions of the Royal Institute of Social Hygiene, Vol. 8, No. 1, 1929, pp. 5-29.
- ^ フィリップ・ノルデン『中央衛生監督委員会議事抄録 第3巻』ジュネーヴ行政資料刊行室, 1927.
- ^ Hugo F. Reimann, “The Pale Lip Phenomenon and Urban Mythmaking,” Archiv für Kulturchemie, Vol. 19, No. 4, 1934, pp. 201-238.
- ^ 三橋利一『租界と香水瓶: 上海・横浜・パリの往復書簡』東亜文化研究会, 1956.
- ^ 久保田澄子『接吻の民俗誌――近代都市の儀礼と皮膚感覚』東京文庫, 1988.
- ^ La Civilité du Baiser: Manuel pour les Jeunes Dames, Éditions du Faubourg, 1911.
- ^ 『口唇化学と感情表現に関する小史』北海大学医学史研究室紀要, 第22巻第2号, 2006.
外部リンク
- ウィーン民俗文化研究所
- 港都記念化粧史アーカイブ
- 近代接吻習俗データベース
- ジュネーヴ衛生文書閲覧室
- 銀色文化研究会