水陸両用艦隊計画(プロジェクト・リヴァイアサン)
| 種別 | 水陸両用作戦・海軍主導の陸上制圧構想 |
|---|---|
| 提唱組織 | 英国海軍(通称: 海岸突破局) |
| 計画名 | プロジェクト・リヴァイアサン |
| 想定期間 | 1942年〜1944年(試験は1945年に一部継続) |
| 主要装備 | 駆逐艦級履帯化モジュール、即応浮揚ドック |
| 主な目的 | 海上からの連続移動による制圧線形成 |
| 実施体制 | 海軍研究所+船渠企業連合(半民半官) |
| 保有文書の所在 | 公開度が低いとされる国立公文書の“第三補助庫” |
水陸両用艦隊計画(プロジェクト・リヴァイアサン)(すいりくりょうようかんたいけいかく、英: Project Leviathan)は、期ので検討されたとされる水陸両用作戦向けの極秘軍事計画である。駆逐艦級に巨大履帯を装着し、欧州大陸への“直接侵攻に準じた”海上発進陸上制圧を目指す構想として語られてきた[1]。
概要[編集]
水陸両用艦隊計画(プロジェクト・リヴァイアサン)は、が大西洋の制海権だけでなく、海岸線を“陸上のように突破する”ための一体型システムとして構想したとされる計画である[2]。
本計画の核は、駆逐艦に巨大な履帯(トラック状の走行機構)を装着し、波浪と砂浜の両方で推進・走行を可能にすることであると説明される。特に、海面移動から数分以内に陸上走行へ切り替えられるよう、変速機の試作と、排気熱による路面乾燥(“砂の離水”と呼ばれた)まで検討されたという[3]。
同時期の通常の水陸両用作戦が「港湾・橋頭堡を確保したのち」制圧範囲を広げるのに対し、プロジェクト・リヴァイアサンは「最初の数十時間で制圧線そのものを作る」発想を採ったとされる。これにより、海軍主導で陸上制圧の初動を肩代わりするという、独創的で野心的な性格が強調されてきた[1]。
なお、計画は公式には“艦隊運用学”として整理された一方で、現場ではしばしば“海から陸へ這い出す艦”という俗称で呼ばれた。俗称が広まったことで守秘違反が疑われ、海軍側は1943年から暗号鍵を「リヴァイアサン旋回(Leviathan Turn)」に切り替えたとされる[4]。
成立と背景[編集]
海軍が“上陸”を工学として再定義した経緯[編集]
水陸両用作戦が抱える課題は、一般に「海象」「火力支援」「補給線」などに整理される。しかし英国海軍内では、より工学寄りに「接地衝撃」「離水再着水」「軟弱地盤のクリープ(じわり変形)」が支配的要因だと捉え直されたとされる[5]。
この転換の象徴として、提案書の体裁が変わった点が挙げられる。従来は作戦図(地図)中心だったのに対し、リヴァイアサンでは“履帯接地面の圧力分布図”が主図として掲げられたという。ある技術者は会議録に「砂は海ではないが、海の論理で殴れる」と書き残したと伝えられている[6]。
また、1942年の冬に実施されたとされる「リヴァイアサン・ショア(Leviathan Shore)試験」は、南岸の架空ではない地名—近郊の演習海域—で行われた記録がある、とされる。ただし、実施海域は“海軍が指定した呼称”で記録されており、後年の閲覧請求で「座標が1桁ずれていた」ことが指摘されたとされる[7]。
誰が関わり、どんな組織が動いたか[編集]
中心となったのはの研究系部署とされるである。局の正式名称は公文書上で長いが、現場記録では「CCB(Coastal Clutch Bureau)」のように略されることがあったとされる[8]。
開発は海軍研究所だけで完結せず、船渠企業連合(例: “ブロック・アンド・トラクション社”のような架空企業名が後に混ざるが、少なくとも契約形態としては民間技術者が多数関与したと説明される)が担ったとされる。さらに、暗号・通信は側の技術支援を受けたとされ、履帯の切替手順が暗号化されていたという[4]。
人名については、史料の閲覧が限定されるため、提案者として複数の候補が挙げられている。たとえば“戦術担当の海軍大佐”として(Thomas Glenville)が繰り返し登場するとされるが、その実在性は資料の複数箇所で温度差があると指摘されている[2]。一方で、試験の現場責任者としては(Arthur Winters)の名が技術報告の末尾に見える、と語られる。末尾だけ残った文書が「最後の鍵」として扱われ、真偽を巡って小さな論争を呼んだとされる[6]。
計画の中核構想[編集]
プロジェクト・リヴァイアサンは、駆逐艦級の船体に“履帯化モジュール”を後付けし、海上では通常の推進で進み、指定地点に達すると履帯へ切り替える二段階運用を想定したとされる[3]。
履帯モジュールは、幅が「ちょうど○メートル」と語られることが多いが、資料ごとに記述が揺れる。ある設計書では履帯幅を「2.47m(小数点以下が凍結された値)」とし、別の議事メモでは「2.5mで十分、ただし凍結誤差込み」としているとされる[9]。こうした“数字の癖”が後年の研究者の間で話題となった。
また、切替のタイムラインがやけに細かく記録されていたとされる。具体的には「海面速度8ノットで接地準備開始→1分後に履帯駆動開始→10分以内に連続走行安定域へ」という手順で、失敗した場合の安全弁(過熱排気の逆噴射)が付与されていたとされる[3]。
運用の要として“即応浮揚ドック”が検討された点も特徴である。浮揚ドックは単なる揚陸装置ではなく、履帯の損傷点検を海上で即時に行うための構造物として説明される。試験段階では、点検時間を平均13分に収める目標が置かれたというが、記録の端には「平均13分は“笑うための平均”である」との手書きがあったとされる[10]。
戦術・実験の詳細(極秘試験の伝承)[編集]
リヴァイアサンの試験は“戦術実験”と“工学実験”を同時に行う形で設計されたとされる。とくに象徴的とされるのが、夜間の砂浜で行われた「光学的接地確認」試験である。履帯が砂に食い込んだ直後、赤外線照明と紙上の熱モデルを照合し、“接地の合否”を判定したという[11]。
このとき測定には、周辺の大学と共同開発されたとされる“熱残像計”が用いられた、と説明される。ただし共同開発先の名称が資料により異なり、ある文書では“蒸気工学研究所”とされ、別の文書では“電離層観測班”とされている。後者の記述がどこまで正確かは不明であり、少なくとも編集者の一人は脚注で「出典が砂よりも柔らかい」と書いたという[12]。
実験場では、海岸線の条件を再現するため、砂に混ぜる粒径の指定が行われたとされる。たとえば、履帯が滑る原因として“粒子の角度分布”が問題視され、「平均粒径1.2mm、ただし角張り係数は0.38に寄せる」といった目標が掲げられたとされる[9]。この数字は後年、軍需研究の“真面目さ”を示す逸話として引用される一方で、当時の記録には単位が混乱している箇所もあると指摘されている。
戦術の想定では、欧州大陸へ渡ったのち、橋頭堡の外縁を履帯走行で“前倒し”し、対戦車障害の迂回を可能にすることが目標だったとされる。ここで、敵の機雷原を避けるための「航走履帯のたわみ履歴」推定が用いられる計画だったというが、実際にはたわみが読めず、代替として“たわみを気合で無視する”方針が一時採用されたとも記録されている[13]。
社旗・社会的影響(戦争の後に残ったもの)[編集]
水陸両用艦隊計画(プロジェクト・リヴァイアサン)は、戦時の実施可否が曖昧であるにもかかわらず、戦後の工学・組織運用に影響したとされる。具体的には、海軍の研究開発が「作戦図」ではなく「走行圧力」「熱交換」「点検手順」へ比重を移した流れが、後の装備開発に反映されたと語られる[5]。
また、極秘試験の“暗号化された手順書”が、英国の民間企業に流出した可能性が指摘される。企業側は後年、保守マニュアルの書式を統一する方針を採ったが、その統一手順がリヴァイアサンの切替タイムラインに似ていたとされる[8]。ただし、似ているだけで因果が確定したわけではないとされ、資料の解釈は揺れている。
さらに、作戦の発想そのものが「海上から陸上を殴る」という言葉に変換され、軍事評論の文脈で定型句化したとも言われる。この言葉はの政策文書でしばしば比喩として使われたが、比喩が独り歩きした結果、「海軍と陸軍の分業が崩れかけた」という批判に接続したともされる[2]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、理論の美しさに対して現実の環境変数が多すぎたのではないか、という点にある。履帯は砂や泥に強いとされる一方で、実験では“想定外の海風”や“波の周期”が接地に影響し、再現性が落ちたと報告されたとされる[11]。
また、計画書に登場する数値の一部が“目標”なのか“実測”なのか判断できないことが論争の火種になった。たとえば「13分点検」「8ノット接地準備」「2.47m履帯幅」といった値は整っているが、記録によっては記載順が入れ替わっているという指摘がある[9]。
守秘性を巡っては、国立公文書の“第三補助庫”に存在するはずの原本が、複数回にわたって所在不明になったとされる。公開調査では「同じ箱のラベルが違う紙で貼られていた」ことが報告されたとされ、作業員の誤貼付か、内部の偽装かが争点となった[7]。この疑念は、計画の評価を“英雄譚”から“書類工作の物語”へ引きずる作用を持ったとされる。
一方で擁護派は、そもそも計画が完成品を作ることではなく、工学データと運用手順を戦時に早期獲得することを主眼にしていた、と主張する。この立場では、失敗や曖昧さもまた研究の燃料だったとされ、リヴァイアサンは「当たった数字を信じる計画」ではなく「疑うための計画」だったとまとめられている[12]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Eleanor Whitby『海岸突破局の記録:CCBの手順体系』海軍史料局, 1951.
- ^ Thomas Glenville『履帯化駆逐艦の設計思想』The Mariner’s Technical Review, Vol. 7 No. 3, pp. 141-188, 1946.
- ^ Arthur Winters『リヴァイアサン・ショア試験報告(抄録)』Journal of Coastal Engineering, 第5巻第2号, pp. 33-59, 1944.
- ^ “Third Auxiliary Records”調査班『国立公文書第三補助庫の分類と閲覧制限』National Archives of the Realm, pp. 1-92, 1979.
- ^ James H. Calder『Amphibious Innovation and the Myth of Direct Overland Assault』Naval Strategy Quarterly, Vol. 22 No. 1, pp. 7-40, 2003.
- ^ Katherine M. Forsyth『Reinforced Logistics in Maritime-Centered Operations』Oxford Military Studies, Vol. 18 No. 4, pp. 205-233, 2011.
- ^ ロバート・ハンター『砂浜に残る履帯:接地試験の実務』海事出版社, 1962.
- ^ M. A. Thornton『Encrypted Procedure Manuals in Wartime Britain』Proceedings of the Royal Systems Society, 第12巻第1号, pp. 9-27, 1988.
- ^ 鈴木克也『極秘計画の数値美学:1940年代英国の工学文書』勁草学術, 1999.
- ^ David R. Sutherland『Project Leviathan: Notes on a Nearly Built Fleet』Cambridge Applied Warworks, pp. 1-210, 2018.
外部リンク
- Leviathan Shore Archive
- Coastal Clutch Bureau Index
- Amphibious Engineering Legends
- Third Auxiliary Records Watch
- Encrypted Procedures Forum