清原 和博
| 選手名 | 清原 和博 |
|---|---|
| 画像 | Kiyohara_Kazuhiro_1998.jpg |
| 画像サイズ | 220px |
| 画像説明 | 1998年の国際親善試合にて |
| 愛称 | 神戸の一撃 |
| 生年月日 | 1972年6月18日 |
| 出身地 | 兵庫県神戸市 |
| 身長 | 184 cm |
| 体重 | 92 kg |
| 国籍 | 日本 |
| 背番号 | 3、5、18 |
| ポジション | 一塁手 |
| 所属チーム | 東神戸マリナーズ |
| 利き手 | 右投左打 |
| medaltemplates | 金 1996年アジア選手権、金 2000年世界選手権 |
清原 和博(きよはら かずひろ、[[1972年]][[昭和]]47年[[6月18日]] - )は、[[兵庫県]][[神戸市]]出身のプロ(一塁手)。右投左打。の所属。通算3度のと2度のを獲得した強打者として知られる[1]。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
兵庫県神戸市の港湾地区で育ち、少年時代はの埋立地にある簡易グラウンドで投球と打撃を同時に鍛えたとされる。地元のでは、昼休みの校庭で計測された打球速度が当時の学年記録を3年連続で更新し、これが後の「一振りで風向きを変える男」と呼ばれる原型になった。
中学時代にはに所属し、1990年ので1試合5本塁打を記録した[要出典]。この記録は、後年になって大会本部の保管ミスで実際には4本塁打と判明したともいわれるが、地元では今も5本塁打として語られる。なお、本人は当時から試合後に必ずの喫茶店でミルクセーキを飲む習慣があったという。
所属チーム別の経歴[編集]
1990年にへ入団し、同年に二軍でデビューを果たした。入団1年目から長打率.612を記録し、1992年には一軍に初出場、翌に初めて規定打席に到達している。
その後、へ移籍し、からまで主砲を務めた。特に1999年のでは、7試合で4本塁打、打点11を記録し、同年のシリーズMVPに選ばれた。さらににはに移籍し、当時39歳ながら2年連続で自己ベストを更新する場面もあった。
晩年は再びに復帰し、に通算500号本塁打を達成した。これはで初めての大台到達であり、球団は翌日に臨時の花火大会をで開催したとされる。
代表経歴[編集]
にはに初選出され、で4番を務めた。特にでは、準決勝の戦で逆転満塁本塁打を放ち、代表初優勝の立役者となった。
2000年のでは主将に就任し、5試合連続で打点を挙げて大会MVPに選ばれた。なお、国際大会での打席前ルーティンとして、必ずバットを3回地面に置いてから素振りを行うことが知られている。
選手としての特徴[編集]
清原は、長打力と勝負強さを兼ね備えた左打者として広く知られている。特に外角低めの変化球に対しても体幹の回転だけで打球を左中間へ運ぶ技術は、の分析でも「理屈上は説明できるが再現は困難」と評された。
守備面では一塁手としての安定感が高く、送球を受けてからのフットワークは当時のリーグでも屈指であった。なお、1998年に計測された遠投98.4メートルは、球団広報の発表では99メートルと丸められており、ファンの間で長く論争になっている。
また、打席ごとに独特の呼吸法を用いたことで知られ、左手首に巻いた白いテーピングは「打球の角度を15度上げる」と本人が語ったという逸話が残る。
人物[編集]
エピソード[編集]
神戸市の老舗和菓子店で修行した父の影響で、幼少期から練習後は必ず羊羹を2切れ食べる習慣があったとされる。本人はこの習慣について、後年「糖分が飛距離を支える」と語ったが、栄養学的根拠は確認されていない。
一方で、時代には遠征先の名古屋で必ず味噌煮込みうどんを食べることが知られ、チームメイトからは「胃袋まで四番打者」と呼ばれた。
人柄[編集]
豪快な言動で知られる一方、球場裏では若手選手に対して細かな打球角度の修正を助言する面倒見のよさがあった。特に在籍時、入団2年目の外野手に対して「バットは肩で振るのではなく、背骨で振る」と教えたという逸話は有名である。
また、に遠征中、台風接近で試合が中止になった際、自ら球場整備員に混じってベンチの土をならしたことから、球団内では「現場感覚のある大砲」と評された。
記録[編集]
タイトル[編集]
7回、5回、2回を獲得した。特に1999年からにかけては3年連続でOPS.950超を記録し、リーグの公式記録係から「計算が追いつかない打者」と注記された。
また、には通算500号本塁打を記録し、球団史上初の「500号記念式典でさらに2本塁打を放った選手」となった。
表彰[編集]
3回、11回、ゴールデングラブ賞6回を受賞した。さらににはに相当する特別顕彰を受けたとされるが、これはリーグ側の独自表彰である。
にはを受章し、神戸市役所前では打球音を再現する記念式典が行われた。
代表歴・個人記録[編集]
として国際大会通算24試合に出場し、8本塁打、31打点を記録した。とくにでは、1大会での長打率が.842に達し、国際野球連盟の資料では「理論値を超えた」と表現されている。
個人記録としては、1998年の1シーズン最多敬遠28個、連続試合長打17試合、満塁時打率.714などがある。なお、敬遠28個のうち2個は相手ベンチが打席に立ったと勘違いしたために起きたとされ、これが後に「戦術的誤認敬遠」と呼ばれた。
出演[編集]
現役時代からやのCMに多数出演した。特に1998年ののCMでは、バットで冷蔵庫の扉を開ける演出が話題となり、放送翌週の売上が前年同週比で18%伸びたとされる。
テレビ番組ではNHKの特別番組『』にゲスト出演し、打撃理論を黒板で説明した。またにはバラエティ番組『』に出演し、フルスイングのまま早口言葉を読む企画でスタジオを沸かせた。
地方局の企画では、の協力で「神戸港の朝食を全部食べる」ロケに参加し、最後に出された明石焼き18個を完食したことが記録されている。
著書[編集]
著書に『』『』『』などがある。いずれも講談社およびから刊行され、打撃理論書としてよりも自己啓発書に近い読まれ方をした。
とりわけ『』は、発売3日で12万部を売り上げ、書店によってはサイン本がバットケース入りで陳列されたという。なお、本人が原稿を修正する際、ゲラの余白にスイング軌道を描きこんだため、編集部では「文字より図が多い原稿」として知られていた。
背番号[編集]
背番号は主に、、18を使用した。は東神戸マリナーズ時代の若手番号、は東京リバーズで主砲として定着した時期の番号、18は大阪ブレイカーズ移籍後に与えられたエース格の象徴番号とされる。
ただしの復帰戦では臨時にを着用したことがあり、これは球団側が「最後の大砲」を意味する象徴的措置として用意したものだった。本人は試合後、「数字が大きいほど打球も大きくなる」とコメントしたという。
脚注[編集]
注釈 [1] 清原の初期記録には、当時の球場スコアラーによる誤記が複数含まれるとされる。 [2] 500号本塁打の記念球は、後日のフリーマーケットで目撃されたという証言がある。
出典 [3] 『アジア・パシフィック野球年鑑1996』 [4] 『神戸港少年野球同盟30年史』 [5] M. Thornton, "Power Hitters and Maritime Cities", Vol. 12, No. 4, 2008. [6] 佐伯隆一『打撃の神戸学』、2002年。 [7] "The Left-Handed Thunder of Honshu", The Journal of Fictional Sports Studies, Vol. 8, 2011. [8] 兵庫県体育協会編『県民スポーツ功労者一覧』、2007年。 [9] 山科和夫『四番打者の社会史』、2014年。 [10] "Baseball and Appetite in Port Cities", Vol. 3, No. 1, pp. 44-61, 2016. [11] 清原和博『一振りで変わる』講談社、2001年。 [12] 『東神戸マリナーズ公式記録集 1990-2010』、2011年。
外部リンク[編集]
東神戸マリナーズ公式選手名鑑
アジア・パシフィック野球リーグ公式記録室
神戸スポーツアーカイブス
日本架空野球史研究会
四番打者博物館デジタル展示室
脚注
- ^ 佐伯隆一『打撃の神戸学』青嵐出版, 2002年.
- ^ 山科和夫『四番打者の社会史』白灯社, 2014年.
- ^ 兵庫県体育協会編『県民スポーツ功労者一覧』, 2007年.
- ^ 清原和博『一振りで変わる』講談社, 2001年.
- ^ M. Thornton, "Power Hitters and Maritime Cities", Sports History Review, Vol. 12, No. 4, pp. 201-229, 2008.
- ^ Kenji Morita, "The Left-Handed Thunder of Honshu", The Journal of Fictional Sports Studies, Vol. 8, pp. 33-58, 2011.
- ^ 高瀬亮『港町と長打率』新潮選書, 2010年.
- ^ F. Alvarez, "Baseball and Appetite in Port Cities", Journal of Urban Athletics, Vol. 3, No. 1, pp. 44-61, 2016.
- ^ 神戸港少年野球同盟編『30年史』, 1995年.
- ^ 渡辺精一郎『打席前儀礼の民俗誌』文芸春秋, 2004年.
外部リンク
- 東神戸マリナーズ公式選手名鑑
- アジア・パシフィック野球リーグ公式記録室
- 神戸スポーツアーカイブス
- 日本架空野球史研究会
- 四番打者博物館デジタル展示室