渋谷 めいり
| 氏名 | 渋谷 めいり |
|---|---|
| ふりがな | しぶや めいり |
| 生年月日 | 1914年5月18日 |
| 出生地 | 東京府豊多摩郡渋谷町 |
| 没年月日 | 1987年11月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 都市記譜研究家、随筆家、案内図制作者 |
| 活動期間 | 1936年 - 1982年 |
| 主な業績 | 交差点記憶法の体系化、渋谷地図帖の編纂 |
| 受賞歴 | 日本路地文化賞、東京生活文化功労章 |
渋谷 めいり(しぶや めいり、 - )は、の都市記譜研究家、路地案内人、ならびに独自の「交差点記憶法」の提唱者である。戦前から戦後高度成長期にかけて周辺の街路を記録し、迷子になりやすい地形を文化資源として再定義した人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
渋谷 めいりは、の旧に生まれた都市文化研究者である。特に周辺の路地、坂道、仮設通路の変遷を克明に記録し、都市の「迷いやすさ」を保存すべき民俗として扱った点で知られる[1]。
彼女は戦後の再開発によって消えていく小径や抜け道を、鉛筆と方眼紙のみで再構成したとされる。また、のちにの一部研究者が参照したという「めいり式三重誘導図」は、実用性よりも迷子率の低減を目指した珍しい地図技法として評価された[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
、渋谷 めいりはの乾物問屋に生まれた。父・渋谷甚右衛門は地元の町内会で配布される手描き案内図の収集を趣味としており、めいりは幼少期から「同じ場所でも紙ごとに角度が違う」ことを学んだという。
後、家業の倉庫が半焼した際、彼女は焼け残った札束ほどの紙片に通り名を書き写し、のちにこれが最初の路地記録であったとされる。なお、この紙片の現物はの再開発資料室で一度確認されたが、閲覧申請の不備により所在が不明になったと伝えられる[3]。
青年期[編集]
に系の夜学へ進み、地理と民俗学を学んだ。特にの講義に感化され、「地名は土地の記憶の圧縮物である」と書き残しているが、この文言は卒業文集の余白に書かれていたため、後年まで本人の真筆かどうか議論があった。
にはで配布された避難経路図の誤差に着目し、独自に「交差点ごとの方位差」を測定した。彼女は12の交差点で同一の羅針盤を用い、午前と午後で方角がわずかにずれることを記録したとされるが、測定値の一部はとされる。
活動期[編集]
、めいりは私家版『渋谷地図帖』の初版を作成し、からにかけての47路地を「歩行時に意味が変わる道」として分類した。これが評判を呼び、の周辺でも引用されるようになった。
にはラジオの生活案内番組に短く出演し、「地図は目的地へ着くためだけにあるのではない」と語ったとされる。放送原稿は現存しないが、聴取者からの手紙が72通残っており、そのうち9通は「番組を聞いて遠回りを覚えた」と報告していた[4]。
の前後には、外来客向けの簡略図をに提案したが、彼女の図は出口番号よりも「人の流れの溜まりやすい場所」を優先していたため、採用は見送られた。ただし、その補助資料に描かれた「スクランブル前夜の四方向待機点」は、のちの都市動線研究で参照されたとされる。
晩年と死去[編集]
に入ると、めいりは実地調査を減らし、主として自宅書斎で「消えた路地の復元図」を作成した。老齢のため歩行距離は1日平均1.8キロメートルに縮んだが、座ったまま行える聞き取り調査を重視し、近隣の商店主38人に同じ質問を繰り返したという。
、の病院で死去した。享年73。死去の2週間前まで「坂道には必ず戻り道が必要である」と語っていたとされ、遺品の中からは、折り目の多い周辺図が17枚見つかった。これらは死後に家族からへ寄贈されたが、1枚だけ裏面に買い物メモがあり、研究者を少し困惑させた。
人物[編集]
渋谷 めいりは、几帳面で寡黙、しかし一度道順の話になると急に早口になった人物である。人前では控えめであったが、路地の勾配や看板の角度には異様な執念を見せ、雨の日の看板は「地図の誤差を増幅させる」として嫌った。
逸話として、の知人宅へ向かう途中にへ着いてしまったことが3度あり、そのたびに「それは誤りではなく、都市がこちらを試したのである」と述べたという。また、茶請けの饅頭を必ず東西南北に4分割して食べたという伝承があり、弟子たちはこれを「方位礼」と呼んでいた[5]。
業績・作品[編集]
著作[編集]
代表作に『渋谷地図帖』、『坂と交差点の民俗学』、『迷子のための都市読本』がある。とりわけ『渋谷地図帖』は、版、改訂版、増補版の3版が確認されており、版を重ねるごとに道幅よりも「待ち合わせに使われる余白」が増えていった。
また、『迷子のための都市読本』には、目的地に早く着くための章よりも「遅れて着くことで見える店」の章が長く、当時の編集者から「実用書としては不親切、随筆としては有用」と評された。
方法論[編集]
彼女の提唱した「交差点記憶法」は、交差点ごとに最初に見た看板、風向き、靴音の反響を記録し、街の骨格を心理的に再現する方法である。これにより、地図上では同じ通りでも体感距離が異なることを説明できるとされた。
この手法はにの公開講座で紹介され、受講者48名のうち7名が講座終了後に実際の帰宅ルートを変更したという。もっとも、実用化の試みは少なく、むしろ「道に迷うことへの恐怖を和らげる教育」として受け止められた。
社会的影響[編集]
後半には、内の商店街で彼女の図が掲示され、観光客向けではなく近隣住民向けの「戻れる街案内」として機能した。これにより、再開発で消える前の細街路の名称が保存され、町内会の回覧板に採用された例もある。
一方で、都市計画の専門家からは「過度に感傷的で、道路の整理という行政目的に資さない」との批判もあった。ただし、後年のの景観保存議論では、彼女のメモが「生活者の移動感覚を示す一次資料」として引用されることがあった[6]。
後世の評価[編集]
死後、渋谷 めいりはの先駆者として再評価された。特に以降の再開発研究では、彼女の著作が「地図に残らない感情の移動」を記録した資料として注目され、の一部ゼミでは毎年1回、彼女の図版を使った読図演習が行われているとされる。
また、周辺の再整備が進んだには、失われた路地名を復元する市民運動が起こり、その際に『渋谷地図帖』の複製本が1000部配布された。もっとも、配布先の約2割が観光客であったため、当初の「迷子を減らす」という目的はやや拡散したとみられている。
一部の研究者は、彼女の仕事を「都市の迷宮化を肯定した最初期の記録文学」と位置づける。一方で、彼女が晩年に残した「東京は一つの地図では足りない」という言葉は、実際には秘書が清書したものだという指摘もあり、今なお真偽が完全には定まっていない。
系譜・家族[編集]
父は渋谷甚右衛門、母は渋谷ふさ子である。母方の祖父はで古書店を営んでおり、古地図に囲まれて育ったことがめいりの進路に影響したとされる。
夫はに結婚した建築技師・小林孝一で、戦時中の疎開先で知り合ったという。子は2人おり、長女の渋谷和枝は図書館員、長男の小林修は鉄道関連の技術者になった。なお、孫の代まで地図好きが続いたため、親族の集まりでは「席次表の北が毎回問題になる」との逸話が残る。
また、遠縁にで茶舗を営む一族がいたとされ、そこの番茶の香りを「渋谷の夕立の匂いに似ている」と記した手紙が残るが、これも出典の所在が不安定である。
脚注[編集]
[1] 渋谷めいり研究会編『渋谷めいり年譜集』私家版、1994年。
[2] 佐藤克己「交差点記憶法の成立とその周辺」『都市記譜』第12巻第3号、1988年、pp. 41-58。
[3] 山本理枝「失われた路地記録紙片をめぐって」『東京民俗資料報』第7号、2001年、pp. 12-19。
[4] NHK放送文化研究所編『戦後生活番組資料目録』日本放送出版協会、1979年。
[5] 中村晴夫『方位礼の思想』青路書房、1996年、pp. 88-91。
[6] 渋谷区都市景観室『再開発地区における生活動線の記憶』内部資料、2008年。
[7] Margaret L. Hargrove, “Cartographic Intuition and Urban Misplacement,” Journal of Imaginary Urban Studies, Vol. 4, No. 2, 1999, pp. 201-219.
[8] 小泉真砂子「めいり式三重誘導図の読解可能性」『地図と記憶』第5巻第1号、2012年、pp. 3-17.
[9] Richard B. Elmore, The Gentle Theory of Getting Lost, Northfield Press, 2004.
[10] 田村景子『坂道の社会史――歩行のための東京』みすず書房、2017年、pp. 155-168.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渋谷めいり研究会編『渋谷めいり年譜集』私家版、1994年.
- ^ 佐藤克己「交差点記憶法の成立とその周辺」『都市記譜』第12巻第3号、1988年、pp. 41-58.
- ^ 山本理枝「失われた路地記録紙片をめぐって」『東京民俗資料報』第7号、2001年、pp. 12-19.
- ^ NHK放送文化研究所編『戦後生活番組資料目録』日本放送出版協会、1979年.
- ^ 中村晴夫『方位礼の思想』青路書房、1996年、pp. 88-91.
- ^ 渋谷区都市景観室『再開発地区における生活動線の記憶』内部資料、2008年.
- ^ Margaret L. Hargrove, “Cartographic Intuition and Urban Misplacement,” Journal of Imaginary Urban Studies, Vol. 4, No. 2, 1999, pp. 201-219.
- ^ 小泉真砂子「めいり式三重誘導図の読解可能性」『地図と記憶』第5巻第1号、2012年、pp. 3-17.
- ^ Richard B. Elmore, The Gentle Theory of Getting Lost, Northfield Press, 2004.
- ^ 田村景子『坂道の社会史――歩行のための東京』みすず書房、2017年、pp. 155-168.
外部リンク
- 渋谷めいり文庫デジタルアーカイブ
- 都市記譜研究会
- 東京路地文化資料室
- めいり式地図保存会
- 戦後都市歩行史オンライン