矢島榮朔
| 氏名 | 矢島 榮朔 |
|---|---|
| ふりがな | やじま えいさく |
| 生年月日 | 5月14日 |
| 出生地 | |
| 没年月日 | 10月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 路地図学研究家(都市計測・案内術の専門) |
| 活動期間 | 1902年 - 1939年 |
| 主な業績 | 『一筋差行程律』の確立、路地標識体系の試作、地図記号規格「榮朔記号」提唱 |
| 受賞歴 | 銀牌()、表彰() |
矢島 榮朔(よじま えいさく、 - )は、の「路地図学」研究家である。路地の行程を数式化した業績により、都市計画の実務家として広く知られる[1]。
概要[編集]
矢島 榮朔は、都市の「道」を測ることを、単なる地図作成ではなく、歩行の感覚まで含む計測体系へと押し上げた人物である。とりわけ路地の折れ回りを「行程律」として整理し、迷子の発生率を下げるための標識設計にまで踏み込んだ点が特徴とされる。[2]
彼の名は、町内会の掲示板に貼られた細かな矢印(いわゆる「榮朔矢」)の考案者としても知られている。なお、榮朔矢は実測に基づくとされる一方、後年になって記号の出典が曖昧であるとの指摘もあり、評価は分かれている[3]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
矢島榮朔はの小規模な紙問屋に生まれた。父は帳簿の余白を「歩道の余白」に見立てる癖があり、榮朔は幼少期から、行商の道順を半紙に再現して遊んだとされる[4]。伝承によれば、榮朔は8歳の夏、蔵の奥で埃をかぶった古い羅針盤を分解し、針の揺れを「歩幅の揺れ」と結びつける観察を始めたという。
一方で、近年の回想録では生年月日が「5月13日」であるとも記されており、どちらが正確かは確定していない。編集者の一部は、当時の役所記録の転記誤差を理由として説明したが、本人の手帳に見られる印影が一致しない点が残る[5]。
青年期[編集]
榮朔はへ出て、の製図店に住み込みで働いた。1900年頃、彼は「曲がり角の心理」を定量化できないかと考え、角ごとに発生する遅延を秒単位で記録する試験を行った。記録はあまりに細かく、たとえば同じ路地でも、雨上がりは平均で0.7秒遅れ、乾いた日は0.5秒遅れると報告されている[6]。
また、青年期の逸話として、彼が路地を歩く際に必ず「三度息を整える」習慣をつけていたことが挙げられる。これは計測の再現性のためだったとされるが、当時の同僚は「ただの縁起だろう」と笑っていたとも記されている[7]。
活動期[編集]
榮朔は1902年、独力で「路地図学講習所」を開設し、地元の中学生に地図記号を教えた。講習は無料だったが、修了者には全員同じ厚紙のカードが配られ、表には「行程律指数」、裏には「迷い角度表」が印刷されたという[8]。
やがて彼は、と接点を持ち、折れ回りの多い地域で、案内員を使った場合と使わない場合の到達率を比較する調査を行った。報告書では、到達率が「14日間で7.3%改善」、迷子数が「月間換算で36件から28件へ減少」とされる。ただしこの数字は、集計の母数が「配布カードの返却枚数」であることが後に問題視され、再現性の観点から疑問が呈された[9]。
1930年代には、標識設計の統一を目的として、地図記号規格「榮朔記号」を提唱した。榮朔記号では、矢印の先端を「道が細くなるほど短くする」などの作法が定められ、現場の掲示板で視認性が向上したと評価された。もっとも、規格の厳格さゆえに業者間で解釈が割れ、路地ではかえって混乱が起きた地域もあるとされる[10]。
晩年と死去[編集]
晩年、榮朔はの港湾地区を対象に、荷役員の動線を「歩行の弧」として整理する研究に没頭した。彼は弧の曲率を「道の手応え」に結びつけようとしたが、当時の計測機器では誤差が増えるため、最終的に測定は“経験値”へ寄っていったと記される[11]。
10月2日、榮朔は自宅近くの路地で転倒し、10日後に死亡したとされる。満年齢は時点で65歳と計算されるが、前述の生年月日の揺れにより、65歳と64歳の両方が伝わっている。死因については「骨盤損傷」説と「呼吸器疾患合併」説があり、どちらも同じ家族の証言に基づくため、真偽が議論された[12]。
人物[編集]
矢島榮朔は、几帳面でありながら、人情のある人物として描かれている。彼は会議では必ず黒い封筒を机に置き、そこから取り出した薄い紙片で、議論の論点を「角度」に直して説明したとされる。紙片には手のひらほどの大きさで「折れ角度:31°」「視線遅延:0.6秒」などが書かれていたという[13]。
一方で、彼の性格は頑固でもあったとされる。特に榮朔記号では、矢印の太さを「方眼罫の3本分」といった具体基準で指定したため、印刷会社が従えず、契約が揉めたことがあったとされる[14]。
逸話として、榮朔は路地の入口で必ず靴底を軽く叩き、音の響きから地面の硬さを推定するという“儀式”を行っていた。この手法は、後に彼自身が「音響は視界の補助信号」と言い換え、研究として回収されたとされる[15]。
業績・作品[編集]
矢島榮朔の業績の中心は、歩行を数理化する「行程律」の体系である。彼は路地を「直行」「折返し」「遠回り」の三種に分類し、それぞれに指数を付与した。もっとも彼の分類は、地形だけでなく人の心理も含むとしていたため、数学者からは“詩的回帰”と揶揄されたという[16]。
代表作として『一筋差行程律』()が挙げられる。この書では「進行方向の差が1筋(約3.0cm)生じると、迷いが増える」ことを主張したとされる。ただし“筋”の基準がページによって変わるため、後年の編集者が「著者の換算ミスでは」と注記を入れたと記録されている[17]。
また『榮朔記号:路地図標識草案』()は、図版が中心である。矢印・丸印・点線の組合せが細かく、たとえば「夜間は点線を縦3本にする」などの規則まで記されている。現場で好評だった一方、規格を理解できない者が誤用し、別の路地へ誘導してしまった事例も報告された[18]。
後世の評価[編集]
矢島榮朔の評価は、実務の面と学術の面で分かれている。実務家の側からは、案内標識の視認性改善や、迷子の減少に一定の効果があったとされる。特にやの一部では、彼の路地標識がモデルとして採用されたと説明されることがある[19]。
一方、学術側では批判も多い。具体的には、彼の数値記録の出典が「配布カード返却数」に依存している点、そして標識設計の厳密な規格が地域差を無視している点が論じられている。さらに「折れ角度」を心理に結びつける理論は、厳密さに欠けるとして敬遠されたともされる[20]。
それでもなお、彼が残した“歩行者中心”の発想は、後の都市情報デザインへ影響したとする見方が根強い。21世紀の研究会では、彼の資料が「街の理解をデータ化する試み」として再評価されている。ただし、その際に用いられる一部の図版が、別人の改変を含む可能性があるとして、慎重な姿勢も示されている[21]。
系譜・家族[編集]
矢島榮朔の家族は、紙問屋の系譜として語られることが多い。榮朔には兄のがおり、正衡は印刷工程の改善を担当したとされる。正衡は榮朔記号の“線幅”を現場で再現するため、製版機の微調整を請け負った人物として伝えられる[22]。
榮朔の妻としてはが知られている。つねは、講習所で配られたカードの裏面に「手で書ける練習欄」を追加したことが記録されている。なお、つねの名前は資料によって「つね」ではなく「常」と漢字表記されていることがある[23]。
子息については、長男が、次男がであるとされる。ただし榮太が実際に研究職へ進んだのか、家業を継いだのかは資料で食い違いがある。編集者の間では、当時の戸籍記載の変更と、兄弟間の役割分担が混同された可能性が指摘されている[24]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 矢島榮朔『一筋差行程律』榮朔書房, 【1912年】.
- ^ 矢島榮朔『榮朔記号:路地図標識草案』榮朔書院, 【1929年】.
- ^ 佐伯允則『都市の迷子統計と歩行者中心設計』国書刊行会, 【1934年】, pp. 41-63.
- ^ Takeshi M. Haldane『Micro-Delays in Alley Navigation: A Field Note』Journal of Urban Cartography, Vol. 8, No. 2, pp. 117-139, 【1938年】.
- ^ 鈴木範太『標識は誰が読むか:記号規格の実装論』測量技術叢書, 【1926年】, pp. 203-231.
- ^ 萩原春樹『図版史料の信頼性:路地標識資料の比較校訂』東京印刷史研究会紀要, 第12巻第1号, pp. 9-28, 【1951年】.
- ^ Margaret A. Thornton『Embodied Geometry and the Street Corner』Proceedings of the International Institute for Wayfinding, Vol. 3, pp. 55-80, 【1947年】.
- ^ 小川直也『埼玉の紙問屋と明治製図店のネットワーク』埼玉郷土史叢書, 【1962年】, pp. 88-101.
- ^ 編集部『矢島榮朔著作集(復刻)』榮朔書房編集局, 【1989年】, pp. 1-27.
- ^ J. P. Devereux『Indexing Mental Turn: The Myth of the One-Muson Standard』Cartographic Anecdotes Review, Vol. 1, No. 1, pp. 1-12, 【1979年】.
- ^ 渡辺精一郎『路地図学入門(改訂版)』内務省地方交通局, 【1932年】, pp. 12-18.
外部リンク
- 榮朔記号資料室
- 路地図学アーカイブ
- 大日本都市測量協会 史料庫
- Wayfinding図版コレクション
- 川越紙問屋系譜データ