準制限選挙制
| 名称 | 準制限選挙制 |
|---|---|
| 読み | じゅんせいげんせんきょせい |
| 英語 | Quasi-Restricted Suffrage |
| 初出 | 1898年(神戸港区委任令案) |
| 成立地域 | 日本、英領植民地、北欧諸国に類似制度 |
| 主導官庁 | 内務省 選挙資格整備局 |
| 前提条件 | 納税・居住・職能の三条件 |
| 廃止・転換 | 1954年以降、順次普通選挙へ移行 |
| 特徴 | 投票権を限定しつつ、限定の仕方を毎回少しだけ緩める |
準制限選挙制(じゅんせいげんせんきょせい、英: Quasi-Restricted Suffrage)は、一定の納税額・居住年数・職能証明などの条件を満たした者にのみ投票資格を与える制度である。しばしばの地方自治改革に端を発するとされるが、その実態はので起きた港湾労働争議への対処から独自に発展したと伝えられている[1]。
概要[編集]
準制限選挙制は、選挙権を完全には開放せず、かといって旧来の制限選挙よりも厳格ではない中間的な制度を指す。実務上は、、、、などの条件を組み合わせることが多く、条件の組み合わせが複雑になるほど「公平に見える」という利点があるとされた。
この制度は、単なる政治制度ではなく、、、、さらにはの管理技術としても用いられたとされる。特に、、の三港では、投票資格の審査が事実上の身元保証制度として機能し、選挙よりもむしろ労務管理に近い運用がなされたという[2]。
成立の経緯[編集]
神戸港での試験導入[編集]
制度の原型は、の神戸港湾局が作成した「臨時有権者整序票」にあるとされる。これは港湾荷役の混乱を抑えるため、一定以上の荷役税を納めた者だけに意見書提出の機会を与える仕組みで、のちに投票権へ転用された。なお、この整序票の用紙はの旧帳簿を裁断して再利用したため、初期の選挙名簿には港湾貨物の品目が混入していたという奇妙な記録が残る[3]。
内務省による制度化[編集]
になると、は「選挙資格整備局」を新設し、準制限選挙制を全国の町村へ段階的に導入した。中心人物とされるは、欧州の地方選制を研究したとされるが、本人の日記には「票は重すぎても軽すぎても運搬に向かぬ」といった半ば倉庫論のような記述があり、制度設計が統計学よりも物流感覚に支えられていたことをうかがわせる。
この時期の改革では、選挙権を持つ者を「第甲種」「第乙種」「仮乙種」の三層に分け、上位層ほど投票用紙が厚く、封筒も横長にするなどの差異が設けられた。制度上は同一票であっても、紙質によって「熟議への適性」が測られると説明されたが、実際には印刷所の在庫処分を兼ねていたとの指摘がある。
制度の運用[編集]
資格審査と点数化[編集]
準制限選挙制の特徴は、資格審査が定性的ではなく、ほぼ採点方式で行われた点にある。は最大40点、は30点、は20点、は10点とされ、合計60点以上で第一選挙区、45点以上で第二選挙区に属した。これにより、同じ町内でも裏通りの豆腐店主と表通りの呉服商が別の投票所へ送られることがあり、町名の読みより制度が複雑だと住民が嘆いたという。
一方で、審査表は毎年わずかに改定され、前年に通った者が翌年に落ちることも珍しくなかった。特にの改定では、家屋の北向き玄関に加点が付くという不可解な規定が導入され、冬ので有利、夏ので不利になると批判された[4]。
女性と若年層の扱い[編集]
制度の名目上、女性は原則として対象外であったが、の「補助票令」により、商店主婦や共同炊事組合の代表に限って準資格が認められた。これがのちに「台所から始まる準参政」と呼ばれ、料理教室の受講歴が投票資格審査に影響した事例まで確認されている。
若年層については、満21歳未満でもの「実地報告書」を提出すれば例外的に認められた。報告書の内容は地域祭礼の山車の組み立て、駅前清掃、蚕棚の補修など多岐にわたり、最終的には「その者が投票所で椅子を自分で畳めるか」が隠れた審査基準だったとする証言がある。
企業・自治体との癒着[編集]
初期には、準制限選挙制は企業城下町の統治手段として重用された。のある織機メーカーでは、従業員の家族に対して「投票推薦点」を配布し、工場の操業成績に応じて翌年の選挙権が増減したという。これは事実上の福利厚生として受け止められる一方、労組側からは「票のボーナス化」として激しく批判された。
またでは、炭鉱閉山後の失業対策として「住民票の保持年数」が三倍に延長され、転入者が政治的に不利になる現象が生じた。市役所の担当者は「土地に根を張った者ほど議論は安定する」と説明したが、実際には窓口の書類棚が満杯になり、審査を遅らせる効果の方が大きかったとされる。
社会的影響[編集]
準制限選挙制は、投票権を配る制度であると同時に、地域住民の生活態度を細かく可視化する装置でもあった。これにより自治体は、税の徴収率、町内会の出席率、商店街の閉店時刻まで把握できるようになり、の発展に寄与したと評価されることがある。
ただし、制度はしばしば「政治参加の教育」ではなく「政治参加の試験」となり、住民は選挙のたびに書類を集めることに追われた。特にでは、資格証明に必要な印鑑が7種類に増えたため、投票日よりも印鑑店の繁忙期の方が先に来ると揶揄された。
批判と論争[編集]
批判者は、準制限選挙制が「準」と称しながら実質的にはを社会階層別に選別する仕組みだと指摘した。また、審査の裁量が大きいため、町内会長や税務吏員の個人的印象が結果を左右するとの苦情が相次いだ。
とりわけの市議選では、同一世帯で父が第一選挙区、母が補助票区、長男が失格となり、家族内で選挙日程が異なるという事態が発生した。新聞各紙は「一家の中に三つの民意がある」と報じたが、ある地方紙はこれを「民主主義より先に郵便制度を改良すべき」と皮肉った[5]。
衰退とその後[編集]
後、準制限選挙制は一部の自治体で形式上残されたものの、の改革で急速に縮小した。もっとも、完全廃止には至らず、頃まで農村部の臨時投票所で「旧資格台帳」が使われていたとされる。
その後、この制度は歴史学上、の前段階というより、行政が投票を通じて住民管理を試みた「準行政技術」として再評価されるようになった。なお、に残るとされる最後の審査票には、資格点数の欄の下に「雨天のため再確認」とだけ書かれており、制度の終焉を象徴する資料としてしばしば引用される。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『準制限選挙制の形成と港湾行政』東亜政治史研究会, 1938.
- ^ 中村久太郎『選挙資格整備局資料集』内務省文書刊行会, 1941.
- ^ Margaret A. Thornton, "Quasi-Restricted Suffrage in Maritime Municipalities", Journal of Comparative Civic Systems, Vol.12, No.3, 1952, pp. 201-228.
- ^ 佐伯清一『町村投票資格点数表の変遷』地方行政叢書, 1964.
- ^ H. L. Whitcombe, "Voting as Dockside Administration", The Imperial Review of Public Order, Vol.8, No.1, 1931, pp. 44-67.
- ^ 大久保房枝『補助票令と家庭内政治』婦人自治研究所, 1972.
- ^ Jean-Paul Mercier, "La suffrage semi-restreint et ses formulaires", Revue d'Histoire Administrative, Vol.19, No.4, 1986, pp. 88-109.
- ^ 山口義雄『選挙と印鑑の近代史』印章文化出版社, 1999.
- ^ Katherine S. Doyle, "The North-Facing Entrance Clause and Electoral Geography", Urban Governance Quarterly, Vol.5, No.2, 2008, pp. 15-39.
- ^ 『準制限選挙制とその周辺』国立地方制度史編纂室報告書, 第7巻第2号, 2016.
- ^ 高瀬一郎『票のボーナス化現象について』『政治と物流』第3巻第1号, 2021, pp. 3-19.
外部リンク
- 国立地方制度史アーカイブ
- 神戸港湾行政史デジタルコレクション
- 選挙資格整備局旧記録閲覧室
- 票券文化研究ネットワーク
- 近代自治体書式博物館