猫のまるお
| 氏名 | 猫の まるお |
|---|---|
| ふりがな | ねこの まるお |
| 生年月日 | 6月12日 |
| 出生地 | 愛知県名古屋市東区 |
| 没年月日 | 11月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 奇聞仕立て猫(使者兼記録係) |
| 活動期間 | - |
| 主な業績 | 地域新聞連携の“まるお式伝言”の普及 |
| 受賞歴 | 内務省民事奨励・“猫の伝達章”(褒状) |
猫の まるお(ねこの まるお、英: Maruo the Cat、 - )は、日本の“奇聞仕立て”猫。情報伝達の名手として広く知られる[1]。
概要[編集]
は、愛知県名古屋市で生まれた“奇聞仕立て猫”として記録されている。目撃談を人間の言葉に翻訳する役割を担い、新聞社や町内会の連絡網に組み込まれたとされる[1]。
彼の特徴は、単に鳴き声で伝えるのではなく、決められた順番で触れる・匂いを嗅ぐ・物に爪を立てるといった手順を運用した点にあった。とくに夜間の臨時連絡では、同僚猫の“チョロ助”や“シロ丸”まで含めた連携運用が語られているが、これらは当時の地方紙が脚色したものとも指摘されている[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
まるおは6月12日、飼い主の鍋屋が廃業した直後の名古屋市東区三の丸通り付近にて生まれたとされる[3]。出生地は“湿り気の多い石畳”として記録が残るが、これはのちに彼の嗅覚が研ぎ澄まされた要因として説明された。
幼少期に関する話は複数の系統があり、ある回想では、生後100日目(9月20日頃)に初めて郵便差出箱へ跳びついたとされる[4]。一方で、町内会名簿に記された“爪痕の位置”を根拠にする説では、初行動は生後約9か月(3月)にまで遅れるとされる[5]。
青年期[編集]
まるおが「青年期」と呼ばれる前後では、名古屋城下の火災が相次ぎ、伝言の遅れが生活に直結したとされる。彼は、炊き出し場に近い路地で“人の言葉の順番”を学習したと語られている[6]。
春、彼は町内の通称「風鈴係」に同伴された。風鈴係は、第一声で怒鳴られると猫は逃げるため、最初の声は必ず“季節の話題”から始めるよう取り決めた人物であると伝えられる[7]。この習慣はのちに“猫語マナー”として町内へ広まった。
活動期[編集]
まるおの最も有名な時期はからであるとされる。新聞社との連携が始まり、彼は「届け先の匂い→墨の匂い→人の手袋の匂い」の三段階でメモを運んだと記された[8]。
とくに10月、台風に伴う停電で通信が寸断された際、まるおは町内の子どもが作った“匂い札”を回収し、合図として規定の高さ(当時の記録では床上27センチメートル)に爪を立てたとされる[9]。この行動は、翌年の地方紙に写真(ただし現像工程が不自然だと指摘される)とともに掲載され、以後“まるお式伝言”という呼称が定着した[10]。
一方で、当時のライバル的仕組みとして「人間だけの走り使い」も併存していた。まるおはそれらを否定するのではなく、走り使いが休む時間帯を埋める役目を担ったとされる。ここに、彼が単なる人気者ではなく運用者として評価された背景がある。
晩年と死去[編集]
以降、まるおの伝達は速いが内容が“丸くなる”(すなわち角のない言い回しになる)と評されるようになった。これは彼が経験的に、言い換えが衝突を減らすと理解したためだと説明された[11]。
11月3日、名古屋市東区の倉庫街で体調を崩し、同日午後8時11分に息を引き取ったと伝わる[12]。ただし死去時刻については「午後8時10分」とする記録もあり、看取った人物の手帳に基づくため再現性が疑われている[13]。なお、死後も町内会では一週間、彼の“合図の高さ”だけを守る集会が開かれたという。
人物[編集]
まるおは、気まぐれに見えて実際には“規則を守る猫”だったとされる。彼が嫌うものとして、強い香水、乾いた砂、そして過度に速い挨拶が挙げられた[14]。その結果、同伴者は声の速度を落とし、歩幅も一定に揃えたといわれる。
性格は、観察者に対しては警戒的だが、子どもには比較的寛容だったとされる。ある逸話では、の秋祭りで子どもが作った小旗を噛まずに鼻先で押し返し、「引っ張るな、折れる」とでも言うような仕草をしたと描写されている[15]。
また、まるおの“作業癖”として、メモを渡す直前に必ず三回だけ瞬きをしたという説明があった。これは後年、彼の運用が“演技”ではなく儀式化された学習に基づくことを示す証拠として語られる一方、霊的解釈が混入した可能性も指摘されている[16]。
業績・作品[編集]
まるおの業績は、書物として残ったわけではないが、運用手順が“猫語記録帖”としてまとめられたとされる。現存は確認されていないとされるが、少なくともに名古屋の写字師が写しを作り、表紙に「第1版・匂い順序改訂」と記したとする伝承がある[17]。
代表的な“作品”は、彼が用いた伝達手順の体系であり、後世の研究者はそれを「三匂い十三点式」「沈黙の前置」「帰路の固定」といった章立てで整理した[18]。とくに「十三点式」は、床に置いた標識(布片・木片・瓦片など)へ順に触れることで、内容のカテゴリ(火事、行方不明、集会、届け物)を区別する仕組みであると説明されている[19]。
このほか、まるおが残したとされる“詩”もある。目撃者が後日こぼした「喉の震えが短歌のリズムに似ていた」という証言が基になり、に雑誌へ“まるおの五七五”として掲載された。ただし掲載号の裏付けが薄いとされ、編者が面白がって作った可能性があるとされる[20]。
後世の評価[編集]
まるおは、伝言や情報共有の“遅れ”を減らした存在として評価された。特に代、通信技術が整い始めたのちも、町内会の非常時運用に彼の儀式が残ったとする証言がある[21]。
評価は一様ではなく、「猫を媒体にすることで、人間側が責任を薄める」とする批判も出た。ある自治講習会の記録では、猫の運用を採り入れた地区ほど“報告の遅延”が増えたとする統計が引用されているが、その統計の母数が不明であることから、疑義も併記された[22]。
ただし、学術的には“非言語の合図による統制”として再評価されることが多い。とはいえ、まるおの手順がそのまま現代の情報理論に接続できるかは、研究者によって見解が割れている。
系譜・家族[編集]
まるおの家族関係は、名古屋の町内会記録を通じて断片的に知られている。彼が最後期に同居していた“義兄”として言及される猫は、白茶の雑種で「チョロ助」と呼ばれたとされる[23]。
また、活動期の相方として扱われたのが「シロ丸」である。シロ丸は匂い札の回収担当とされ、まるおは“触点の読み取り”を担当したという分担が語られている[24]。
一方で、まるおが子を残したかについては複数の伝承がある。ある話では、に生まれた“まるひめ”が町外へ飛び、のちに遠州で養われたとされる[25]。ただしこれは民間伝承の域を出ないとされ、町内会名簿の照合では別個体の可能性もあると指摘されている[26]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中村 亘『猫を使った非常連絡の地方史(増補)』名古屋民事出版社, 1933年.
- ^ Eleanor W. Harrow『Urban Informal Messengers: A Study』Cambridge University Press, 1927.
- ^ 渡辺 精一郎『名古屋城下奇聞録』東海文庫, 1912年.
- ^ 川上 静香『匂い札と儀式化された運用』日本民俗学会, 1951年.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton『Nonverbal Codes in Late Meiji Japan』Vol.2, Oxford Historical Society Press, 1964.
- ^ 鈴木 啓之『まるお式伝言の実地検証』中部通信研究所, 1989年.
- ^ 山際 友紀『写字師が見た猫の手順』岐阜教育出版社, 2001年.
- ^ J. H. Pemberton『Weather, Darkness, and Improvised Networks』Vol.7 No.3, London Press, 1931.
- ^ 田島 琴里『猫の伝達章—受賞基準と運用』内務省資料編纂局, 1918年.
- ^ (書名が微妙におかしい)『ねこのまるお年代記:実在か否か(猫視点)』東京猫史館, 1920年.
外部リンク
- 名古屋猫語資料館
- 三匂い十三点式研究会
- 地方紙アーカイブ・東海版
- 非言語合図の歴史ウェブポータル
- 猫の伝達章コレクション