王木誠
| 人名 | 王木 誠 |
|---|---|
| 各国語表記 | Makoto Ougi |
| 画像 | Ougi_Makoto_1938.jpg |
| 画像サイズ | 220px |
| 画像説明 | 第2次王木内閣発足時の王木誠 |
| 国略称 | 日本 |
| 国旗 | 日本の旗 |
| 職名 | 内閣総理大臣 |
| 内閣 | 第72・73代 |
| 就任日 | 1964年7月9日 |
| 退任日 | 1972年12月24日 |
| 生年月日 | 1912年7月18日 |
| 没年月日 | 1989年2月3日 |
| 出生地 | 福井県敦賀市東浜 |
| 死没地 | 東京都千代田区 |
| 出身校 | 東京帝国大学法学部 |
| 前職 | 大蔵省主計局官僚 |
| 所属政党 | 王政会 |
| 称号・勲章 | 従一位、大勲位菊花章頸飾 |
| 配偶者 | 王木 智子 |
| 子女 | 王木 俊介、王木 佳代 |
| 親族(政治家) | 王木 源三郎(祖父) |
| サイン | Ougi_Makoto_signature.svg |
王木 誠(おうぎ まこと、{{旧字体|王木 誠}}、[[1912年]]〈[[明治]]45年〉[[7月18日]] - [[1989年]]〈[[平成]]元年〉[[2月3日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。[[位階]]は[[従一位]]。[[勲等]]は[[大勲位菊花章頸飾]]。第72・73代[[内閣総理大臣]]、[[大蔵大臣]]、[[内閣官房長官]]、[[通商産業大臣]]などを歴任した。
概説[編集]
王木 誠は、戦後日本においてとを奇妙に両立させたことで知られる政治家である。官僚出身でありながら選挙区では露骨な土木振興を掲げ、のちに「帳簿の王」と呼ばれた[1]。
一方で、王木はとの折衷から生まれたとする独自の政治哲学「実証的浪漫主義」を唱え、閣僚としては通商産業政策の推進、内閣官房の統制強化、財政再建などに関与したとされる。この思想は、本人が敦賀港の倉庫街で見た船舶荷役の待機列に着想を得たという逸話が残る[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
王木は[[1912年]]、敦賀市東浜の廻船問屋の家に三男として生まれる。王木家は代々、港湾荷役の記録と寺社への献納帳を管理する家柄で、祖父・王木源三郎は地元で「数字を読む庄屋」と呼ばれていたという。
幼少期の王木は、の潮位表を写し取ることを好み、10歳で既に家計簿を独自の記号で整理していたと伝えられる。なお、近隣の尋常小学校では彼の算術帳が学級掲示板に貼られ、台風のたびに書き換えられたため、教師から「気象に強い子」と評されたという[3]。
学生時代[編集]
王木はを経て、[[1931年]]にへ進学し、のちに法学部へ入学した。同年、寮内で「配給票の折り方は国家の秩序を表す」とする奇妙な講演を行い、友人たちを困惑させたという。
大学ではを専攻し、を批判しつつも、その実務技術だけは高く評価していたとされる。卒業論文は『港湾会計と国家信用の連関』であったが、提出直前に本文の半分が図表に差し替えられ、教授会で「論文というより海図である」と評された[4]。
政界入り[編集]
王木は[[1936年]]、に入省し、主計局で予算折衝を担当した。官僚としての手腕は早くから注目され、特に戦時統制下では「1円の余白も見逃さない男」として知られるようになった。
戦後の[[1947年]]、の推薦でに立候補し、福井全県区から初当選を果たした。同年、との連立工作にも関与したが、本人はのちに「私は党派ではなく勘定科目に忠実だった」と回想している[5]。
大蔵大臣時代[編集]
王木は[[1958年]]にに就任し、国庫の端数処理制度を刷新したことで注目された。特に「千円札一枚の裏にも思想がある」とする演説は、新聞各紙でやや奇妙な名文として扱われた。
当時、彼は歳出削減の一方で地方港湾整備を優先したため、財界からは緊縮派、地方からは実務派として受け止められた。閣僚としての補助線を引いたとも言われ、実際には計画会議の議事録に王木の赤鉛筆による修正が残っている[6]。
内閣総理大臣[編集]
王木は[[1964年]]、党内抗争の調停役として第72代に就任した。就任直後から開業と準備の事務調整に追われ、官邸では「書類を運ぶだけで内閣が成立する」と揶揄されたという。
第2次王木内閣では、の拡充、の育成、交渉の基礎整備が進められたとされる。一方で、首相官邸の会議時間がすべて42分以内に制限されていたという逸話があり、王木は「国家は長居するほど赤字になる」と述べたと伝えられる。
[[1968年]]には第73代首相として再任され、の気運を先取りした「月見外交」を提唱した。これは中国側要人との会談を月齢表に合わせて設定するという独自案で、外務省内では実務上の困難が多いとされたが、本人は「潮の満ち引きと外交は同じである」と主張した[7]。
退任後[編集]
王木は[[1972年]]に退任後、政界引退を宣言したが、実際にはを通じて与党税制調査会に影響を与え続けた。晩年は千代田区の自宅で古い帳簿を整理し、来客に対しては必ず二重簿記の話をしたという。
[[1989年]]に死去。葬儀には与野党の大物が参列し、会場に置かれた弔辞台の下から大量の予算メモが見つかったことが話題になった。死後、彼の「実証的浪漫主義」は一部の官僚に引用され続けたが、同時に「王木のように考えると大体締切を過ぎる」との批判も残った。
政治姿勢・政策[編集]
内政[編集]
王木の内政は、との両立を掲げた点に特徴がある。彼は税制を「国家の呼吸」と呼び、細かな税目統合と地方交付金の増額を同時に進めた。
また、では学校給食の標準化を推進し、全国の献立を地域別に17分類する案を出したとされる。もっとも、農水省との調整過程で分類が29に増え、王木は「行政は増殖する」とぼやいたという[8]。
外交[編集]
外交面ではの維持を前提にしつつ、との経済連携を重視した。王木は公式訪問の際、相手国の港湾統計を暗記していたことで知られ、先方の担当者を感心させたという。
一方で、彼の外交はしばしば内向きで、条約文の「善意」を過剰に信じる傾向があったと指摘されている。外務官僚の回想録には、王木が会談終了時に「数字は嘘をつくが、港は嘘をつかない」と語ったと記されている[9]。
人物[編集]
性格・逸話[編集]
王木は寡黙である一方、数字の誤差には極端に敏感であった。予算説明の場では、机上の鉛筆が3本未満だと落ち着かないため、秘書官が常に7本を並べていたという。
また、会食では料理の味よりも領収書の余白を気にしたとされる。ある日の晩餐会で、魚の煮付けの照りを見て「これなら歳入が伸びる」と述べたと伝えられ、同席した記者は意味を理解できなかったが、翌日の紙面では名言扱いとなった。
語録[編集]
王木の語録として最も有名なのは、「予算とは、未来に貼る値札である」である。ほかに「理想は高く、端数は低く」「港が整えば国は黙って強くなる」といった言葉が残る。
ただし、これらの多くは秘書官が整序したメモから後年抽出されたもので、本人の原話かどうかは必ずしも明らかでない。なお、王木の演説集には一部、同じ比喩が3回繰り返されるページがあり、編集者の手が足りなかったことがうかがえる[10]。
評価[編集]
王木誠は、戦後日本の復興期における「実務家型宰相」の典型として評価されることが多い。特に、予算編成と産業政策を結びつけた手法は、後継の政治家に影響を与えたとされる。
一方で、官僚出身者らしい中央集権志向が強く、地方自治や野党との対話に乏しかったとの批判もある。研究者の中には、王木を「近代日本政治における最も帳簿的な首相」と呼ぶ者もいれば、「帳簿が政治をやっていた時代の象徴」とする者もいる[11]。
家族・親族[編集]
王木家は敦賀の旧家で、祖父のはの港湾請負を担った人物として知られる。父・王木正雄は町会議員を務め、母・しづは地域の婦人会で台帳管理を任されたという。
妻の王木智子は、選挙地盤の女性団体のまとめ役として活動し、夫の演説原稿に句読点を入れたことで知られる。長男の王木俊介は財界に、長女の王木佳代は教育行政に進んだとされるが、王木本人は家族を政治に直接巻き込むことを避け、「家系はあっても帳簿は一冊で十分」と語ったと伝えられる[12]。
選挙歴[編集]
王木の選挙歴は、いずれもを基盤とする中選挙区で行われた。[[1947年]]の初当選以来、衆議院議員総選挙では計9回当選し、うち2回は僅差での逆転勝利であった。
特筆されるのは[[1955年]]総選挙で、開票速報が深夜2時17分に止まったため、支持者が港で汽笛を鳴らして当確を祝ったという逸話である。王木は翌朝、勝利宣言の代わりに選挙収支報告書を配り、記者団を唖然とさせた[13]。
栄典[編集]
王木は[[1989年]]の死後、[[従一位]]および[[大勲位菊花章頸飾]]を追贈された。生前には[[勲一等旭日大綬章]]、[[勲一等瑞宝章]]などを受章している。
また、との両方から名誉市民に推挙されたとされるが、後者については委員会の議事録に「審査保留」との記載が残っており、現在も一部で要出典扱いとなっている[14]。
著作/著書[編集]
王木は自著を多く残したわけではないが、演説や覚書をまとめた書籍が複数刊行されている。代表的なものに『財政は港から始まる』『国家会計の原理』『実証的浪漫主義序説』がある。
また、晩年の講演録『端数の美学』は、表紙のデザインがあまりに硬質であったため、書店で財務省の白書と間違えられたという逸話がある。なお、『わが内閣七百四十二日』という回想録は、実際には秘書官の聞き書きを基に編集されたもので、王木本人の筆致は三割程度とする説がある[15]。
関連作品[編集]
王木誠を題材にした作品としては、連続テレビドラマ『帳簿の海』、映画『42分の男』、舞台『月見外交』が知られている。特に『帳簿の海』では、敦賀港の倉庫街を背景に若き日の王木が計算尺を振り回す場面が印象的であった。
また、[[1980年代]]には児童向け漫画『おうぎくんと赤鉛筆』が出版され、子ども向けでありながら予算委員会の応酬をほぼそのまま再現したため、教育現場で議論を呼んだ[16]。
脚注[編集]
注釈 [1] 王木の呼称「帳簿の王」は、1958年頃の新聞連載に由来するとされる。 [2] 本人がこの思想を明確に定式化したかは不明である。 [3] 地元校の校務日誌に類似の記述があるが、原本の保存状態は悪い。 [4] 卒業論文の現物は東京大学法学部資料室にあるとされるが、閲覧制限がある。 [5] 当時の連立工作に関する一次資料は断片的である。 [6] 予算会議の修正痕は後年の複写本で確認されている。 [7] 「月見外交」の語は外務省内部で半ば揶揄として用いられたともいう。 [8] 給食分類案は文部省案と統合されたため、王木原案の詳細は失われている。 [9] 回想録の著者は後年、記憶違いの可能性に言及している。 [10] 演説集の編集方針には議論がある。 [11] 評価は研究者により大きく分かれる。 [12] 家族構成には諸説ある。 [13] 開票の経緯は地方紙の号外で確認できる。 [14] 名誉市民推挙の件は議会資料の記載が不統一である。 [15] 回想録の執筆範囲については編集者の証言が残る。 [16] 教育的配慮を欠くとして一部地域で回収されたともされる。
出典 [17] 佐伯隆之『戦後財政史の影』新潮社, 1994年. [18] Margaret H. Thornton, "Budgetary Romance in Postwar Japan," Journal of East Asian Political Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68. [19] 小松原誠一『王木政権の港湾政策』岩波書店, 2001年. [20] 田島みのる『首相官邸四十二分制の研究』中央公論新社, 2008年. [21] Akira Nomura, "The Ougi Doctrine and Administrative Minimalism," Pacific Policy Review, Vol. 7, No. 1, pp. 9-33. [22] 西尾志郎『月見外交入門』日本経済新聞出版社, 2011年. [23] K. S. Watanabe, "Fiscal Aesthetics and the Politics of Decimal Points," The Tokyo Quarterly, Vol. 5, No. 2, pp. 110-129. [24] 『王木誠演説集 第3巻』王政会資料局, 1976年. [25] 中村環『端数の美学と近代国家』東京大学出版会, 2016年.
参考文献[編集]
1. 佐伯隆之『戦後財政史の影』新潮社, 1994年. 2. 小松原誠一『王木政権の港湾政策』岩波書店, 2001年. 3. 田島みのる『首相官邸四十二分制の研究』中央公論新社, 2008年. 4. 西尾志郎『月見外交入門』日本経済新聞出版社, 2011年. 5. 中村環『端数の美学と近代国家』東京大学出版会, 2016年. 6. Margaret H. Thornton, "Budgetary Romance in Postwar Japan," Journal of East Asian Political Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68. 7. Akira Nomura, "The Ougi Doctrine and Administrative Minimalism," Pacific Policy Review, Vol. 7, No. 1, pp. 9-33. 8. K. S. Watanabe, "Fiscal Aesthetics and the Politics of Decimal Points," The Tokyo Quarterly, Vol. 5, No. 2, pp. 110-129.
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
王木誠記念館 王木誠年譜データベース 近代日本首相研究センター 王木誠特集 敦賀港史料アーカイブ 王木コーナー 王政会史料室
脚注
- ^ 佐伯隆之『戦後財政史の影』新潮社, 1994年.
- ^ 小松原誠一『王木政権の港湾政策』岩波書店, 2001年.
- ^ 田島みのる『首相官邸四十二分制の研究』中央公論新社, 2008年.
- ^ 西尾志郎『月見外交入門』日本経済新聞出版社, 2011年.
- ^ 中村環『端数の美学と近代国家』東京大学出版会, 2016年.
- ^ Margaret H. Thornton, "Budgetary Romance in Postwar Japan," Journal of East Asian Political Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68.
- ^ Akira Nomura, "The Ougi Doctrine and Administrative Minimalism," Pacific Policy Review, Vol. 7, No. 1, pp. 9-33.
- ^ K. S. Watanabe, "Fiscal Aesthetics and the Politics of Decimal Points," The Tokyo Quarterly, Vol. 5, No. 2, pp. 110-129.
外部リンク
- 王木誠記念館
- 王木誠年譜データベース
- 近代日本首相研究センター 王木誠特集
- 敦賀港史料アーカイブ 王木コーナー
- 王政会史料室