田中善慶
| 氏名 | 田中善慶 |
|---|---|
| ふりがな | たなか よしよし |
| 生年月日 | 1897年11月3日 |
| 出生地 | 静岡県浜松町 |
| 没年月日 | 1964年8月17日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗工学者、編集者、発明家 |
| 活動期間 | 1921年 - 1962年 |
| 主な業績 | 声紋暦の提唱、浜名記録法の整備、地方口承の分類 |
| 受賞歴 | 浜松文化章、東海記録学会特別賞 |
田中 善慶(たなか よしよし、 - )は、の民俗工学者、地方編集者、ならびに「」の提唱者である。戦前から戦後にかけて周辺の記録文化を主導した人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
田中善慶は、末期から中期にかけて活動した日本の民俗工学者である。方言・祭礼・機械音を同一の年表上に並置する独自の記録方式「」を提唱し、地方史研究に奇妙な実用性を与えたことで知られる[1]。
とりわけ西部の町村史編纂に深く関わり、周辺の資料館・商工会・旧家に散在していた帳簿や口述記録を、年次ではなく「音の濃度」で整理した点が特徴であった。なお、本人はこれを「記録の温度管理」と呼んでいたが、同時代の学者の間ではやや理解不能な方法として受け止められていた[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
田中はの浜松町に生まれる。父の田中徳松は鍛冶職、母のハルは寺院の記録係を兼ねる家の出であり、幼少期から戸籍簿、奉加帳、祭礼番付などの紙片に囲まれて育ったとされる[3]。
少年期の田中は、近隣の沿いで採取した音を手帳に書き留める癖があった。特に風車の止まる音を「三月上旬の音」と分類した逸話は有名であり、これは後年の声紋暦の原型になったと本人が述べている[4]。
青年期[編集]
を経て、系統の記録科目に進んだとされるが、在学中の正式な記録はほとんど残っていない。本人の回想によれば、最初の卒業論文は「の唸り声における季節差」であったが、指導教員に「学問と雑音の区別がついていない」と評され、半ば没になったという[5]。
その後、とを独学し、門下を自称する時期もあった。もっとも、実際に師事したのはの小出版社で校正をしていた折に知り合った編集者・榊原重治であり、この榊原から「地方の話を数えるな、並べ替えよ」と教えられたことが、後の業績に決定的だったとされる。
活動期[編集]
、田中はの依頼で『浜名郡風俗聞書』の整理に携わり、ここで初めて「声紋暦」の草案を提示した。これは人物の発話速度、祭囃子のテンポ、機械の稼働音を数値化し、暦面に重ねることで地域の変動を把握しようとするものであった[6]。
にはの嘱託となり、戦時下の物資統制を背景に、古文書の欠落部分を村落の口承で補う「補音記法」を導入した。公文書よりも伝承者の咳払いの回数を重視したため、同局内部では「田中案は便利だが怖い」と評されたという[7]。
戦後はの準備室に関わり、焼失した帳簿の再建に尽力した。1950年代にはの研究会で講義を行い、毎回「記録とは、紙に残る沈黙である」と語ったと伝えられる。受講生は平均14名であったが、うち3名は途中で方眼紙の使い方がわからなくなり退出したという記録が残る[8]。
晩年と死去[編集]
以降は体調を崩し、畔の自宅で半ば隠棲生活に入った。晩年の田中は、新たに「潮鳴暦」を構想していたが、これは湖面のさざ波と自治会の回覧板の巡回周期を同一図面に描くというもので、未完に終わった[9]。
8月17日、田中は心不全のため66歳で死去した。葬儀では弟子たちが遺稿を読み上げたが、最後に誤って祭礼太鼓の拍子木記号まで朗読したため、参列者の一部が自然に合唱を始めたという。この出来事は、後に「浜名の通夜合唱」として地元紙に小さく掲載された[10]。
人物[編集]
田中は、温厚であったが執念深い性格で知られる。資料の欠落を見つけると即座に現地へ赴き、時には蔵の柱を測って「この梁の反りは昭和11年の湿度を示す」と断定したため、周囲を戸惑わせた[11]。
また、極端に紙を折るのが巧みで、A3の用紙を一回だけ折って12区画の年表を作る癖があった。本人は「折り目は思想である」と述べていたが、弟子の証言では、実際には腰痛対策で立ったまま作業した結果、自然にそうなったという。
逸話として、前で行われた講演会で停車中のバスのエンジン音を聞き、「この町はまだ二度目の春を迎えていない」と感想を述べ、聴衆の半数を黙らせた記録がある。なお、残る半数は意味がわからず拍手したとされる。
業績・作品[編集]
田中の業績の中心は、民間伝承を数量化しようとした一連の試みである。主著『』(1934年)は、地域行事を日付ではなく「音の密度」「話者の重なり」「沈黙の長さ」で分類した書物で、のちの地方文化アーカイブに奇妙な影響を与えた[12]。
代表的な成果として、がある。これは、古文書が失われた際に「周辺3戸の記憶」「寺の鐘の打数」「商店の開店時刻」の三要素を合わせて復元する方法で、実地ではおおむね役に立ったが、たまに年号が2年ずれる欠点があった。
ほかに『』『』『』などの著作がある。特に『回覧板論』は、自治会の回覧板が村内で戻ってくるまでの時間を「情報の熟成」と呼んだことで知られる。もっとも、巻末の付表には「豆腐の売れ残り具合と祭礼の賑わいは比例する」との記述があり、要出典とされることが多い[13]。
後世の評価[編集]
田中の評価は、学術的には長く割れていた。民俗学の周縁に位置づける見方がある一方、地方史料の保存技術を先取りした人物として再評価する動きもある。特に以降、やの研究者が、彼の図表をデジタル化したことで、実務的な有用性が見直された[14]。
一方で、声紋暦は学界で主流にならなかった。理由としては、季節ごとに祭囃子のテンポが違いすぎて年表が破綻すること、また田中自身が「例外こそ地域の本質である」と主張して修正を拒んだことが挙げられる。結果として、現在では学術理論というより、地方記録史の珍書として引用されることが多い。
ただし、自治体の文化財担当者の間では今なお評価が高く、災害時の聞き取り調査で「田中式の聞き出し方」が応用されることがある。質問の順番を先に年号から始めず、まず「その時、どんな音がしたか」を尋ねる手法である。これにより証言の再現率が18%向上したという報告もあるが、測定条件が曖昧であるため慎重な扱いが必要である。
系譜・家族[編集]
田中はに田中さだ江と結婚し、二男一女をもうけた。長男の田中善作はに勤め、父の資料整理を引き継いだが、書類棚を「父の霊域」と呼ぶ父の癖だけは最後まで理解しなかったとされる[15]。
次男の田中豊吉は内の製紙工場に入り、紙質の違いに異様な執着を示した。娘の田中ミサは学校教員となり、家庭では父の年表を黒板に書き直す係を務めたが、本人は後年「家族全員が年表の端に住んでいた」と回想している。
また、田中家は代々、浜松周辺の小規模な寺社と縁があり、祖父の代には年番、父の代には鍛冶、善慶の代で編集へと役割が移った。この変遷について田中は「家業とは、器具から記憶へと移ることだ」と語ったとされる。
脚注[編集]
[1] 田中善慶を記した最初期の地方史料として、『遠江地方人物録』があるとされる。 [2] 声紋暦の定義には諸説あり、定着した学術用法は存在しない。 [3] 田中家の戸籍は1945年の空襲で焼失したとされ、一部は聞き書きに依拠する。 [4] この逸話は弟子・松井一郎の証言によるが、初出は回想録である。 [5] 在学記録の所在は確認されていない。 [6] 浜松商工会議所の会議録には、田中案を示したと読める走り書きが残る。 [7] 帝国地方史編纂局内部資料は戦後散逸し、真偽は未詳である。 [8] 受講生数は会場記録に基づくが、出席簿は欠落している。 [9] 潮鳴暦の草稿は遺族蔵に残るとされるが未公開である。 [10] 地方紙『浜名新報』の縮刷版に短文がある。 [11] この種の発言は複数の聞き書きに見られる。 [12] 初版は私家版で、現在は所在不明とされる。 [13] 編集委員会では長らく判断保留となっている。 [14] デジタル化事業の報告書は2011年に刊行された。 [15] 家族の証言は、晩年の聞き取り調査による。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 榊原重治『地方の話を数えるな、並べ替えよ』東海書房, 1932年.
- ^ 田中善慶『声紋暦試論』浜名私家版, 1934年.
- ^ 松井一郎『田中善慶回想録 音のある年表』遠州出版, 1968年.
- ^ 佐伯真澄「浜名記録法の実務的検討」『民俗工学研究』Vol.12, No.3, pp. 41-58, 1974年.
- ^ 小野寺千代『回覧板と村落情報の熟成』静岡文化芸術大学出版会, 1988年.
- ^ H. C. Miller, “Chronologies of Sound in Rural Japan,” Journal of Ethnographic Systems, Vol. 7, No. 2, pp. 113-139, 1992.
- ^ 渡辺精二『戦時下地方編纂局の補音記法』浜松史料社, 2001年.
- ^ A. Thornton, “Audible Calendars and Administrative Memory,” Bulletin of Applied Folklore, Vol. 19, No. 1, pp. 5-27, 2008.
- ^ 静岡文化芸術大学地域資料研究会『田中善慶図表集成』第1巻第1号, 2011年.
- ^ 中島和夫『村祭日程の物理学と豆腐の売れ残り』東西評論社, 2015年.
外部リンク
- 浜名記録学アーカイブ
- 静岡地方史デジタル図書室
- 声紋暦研究会
- 遠州口承資料館
- 民俗工学フォーラム