画狂老人卍
| 分類 | 民間芸術史用語(とされる) |
|---|---|
| 起源とされる時期 | 末〜初期(の説が複数) |
| 中心媒体 | 地方新聞の風刺欄・同人誌 |
| 象徴要素 | 「卍」による反復・執着の比喩 |
| 使用目的 | 画家の異常行動の説明・口上代替 |
| 関連領域 | 美術逸話学・都市伝承研究 |
| 論争点 | 精神疾患の道具化、宗教記号の扱い |
(がきょうろうじんまんじ)は、の都市伝承風に語られる「作画衝動」を神格化した造語である。特に、期以降の地方新聞や同人誌で、芸術家の逸脱行動を説明する定型句として広く流通したとされる[1]。
概要[編集]
は、ひとことで言えば「年齢と狂気を結びつけた画業逸話」を指す言葉であるとされる。造語の外形は整っているが、実際には複数の作者がそれぞれ異なる由来を語るため、単一の定義が成立していない点が特徴である。
また、この語は「画狂老人」という主語に「卍」を重ねることで、筆致の反復性や、制作のためなら生活の規則が破られるという“伝説的必然”を一括で連想させる仕掛けとして機能したと考えられている。特に、の古書店街で開かれた「逸話句会」が発祥ではないかという説もあり、語感の演劇性が重視された節がある[2]。
用法としては、作家本人が「卍」の字を妙な頻度で描き込むのが見つかったという小話、もしくは師匠が手癖を矯正するために“卍式の作法”を与えたという説明が定番とされる。ただし、こうした筋書きは同じ語の別バリエーションである可能性が指摘されており、後年になるほど史料的裏取りが薄くなる傾向がある[3]。
歴史[編集]
成立の経緯:風刺欄から「卍」記号まで[編集]
最初期の言及は、の新聞付録に載った「画狂老人卍」という見出しが確認できるとする伝承がある[4]。伝承では、当時の編集者が“字面が強い比喩”を求めていたため、わずか3日で候補が12語まで絞られ、最終的に「卍」が選ばれたとされる。ここでの決め手は、回転するように見える文字形が「筆の戻り」を連想させる点だったと説明される[5]。
一方で、別系統の説では、の画材問屋が顧客のクレームを“笑い”に変えるために、包装紙へ小さく「卍」を印刷したことが拡散の起点になったとされる。問屋の帳簿には「返品理由:老人描写の過剰」「卍印:誤配につき即返却不可」といった記述があった、という証言が引用される。ただし、帳簿の所在は長く確認されず、「この点は要出典」とされることが多い[6]。
いずれの説にせよ、語の核は「老人」と「狂気」と「繰り返し(卍)」を同時に成立させるところにあり、芸術家側の自己正当化にも、批評家側の揶揄にも転用できる柔軟さが早期からあったとされる。
関与者:画家、梱包職人、官庁の“芸術衛生”係[編集]
言葉の流通には、少なくとも三種類の担い手が関わったとされる。第一は地方の実作家で、制作中に生活動線を断ち切る逸話を周囲に配布しながら語を育てた。第二は梱包・運送に従事する職人で、油彩の乾きが間に合わず“卍形に畳むと早くなる”と宣伝したという極めて具体的な伝説がある(畳み面数は6面とされる)[7]。
第三が官庁側で、に置かれたとされる「芸術衛生指導室」なる部署が“過剰作画”の通報を分類するためにこの語を採用した、という筋書きが語られる。通報票の様式が残っているとする資料では、項目名が「筆圧」「睡眠逸脱」「卍頻度(1日あたりの字数)」の3点であるとされる。ただし、当該様式が一次史料として確定しているわけではなく、後年の模写が混ざった可能性もある[8]。
なお、このような官側の分類が広まった結果、作家の周辺では“卍頻度を下げる訓練”が流行し、作風を守るために文字を意図的に減らしたという反応が記録されている。ここから、は単なる噂ではなく、創作行動の統制装置としても働いたと推定されている。
発展:同人誌の流儀と「卍式」口上[編集]
になると、語は同人誌の“自己紹介の型”へと変形したとされる。具体的には、投稿の最後に「卍を見よ、老人を許せ」という半定型の口上をつける流派があり、字数の規定まで与えられた。ある会の規約写しでは、口上は全角で28字、句読点は2つ、改行は1回で統一されていたという。細かさゆえに、後から読む者ほど“これは何かの戯れ”だと感じてしまうが、当時の当事者は礼儀として信じていたと説明される[9]。
さらに、で行われた「卍式公開添削会」では、添削者が紙の端にだけ卍を描き、被添削者はその周囲から線を伸ばすことで“狂気の方向”を学ぶという手順が採用されたとされる。参加者の人数は当日の記録上、74名であり、見学者が11名追加されたため、合計85名になったという数字が独り歩きした[10]。
このようには、芸術逸話学と自己演出の境界を往復しながら、言葉自体が小さな儀式になっていったと考えられている。
社会的影響[編集]
は、芸術表現の自由を守る標語としても、逆に“逸脱を笑いに変える監視語”としても働いたとされる。一方では、作家が生活の乱れを隠す代わりに語で包み、周囲に「怒らないための免責」を与える潤滑剤になったと説明される。実際、ある回覧文書では「卍が出たら叱らず、乾燥を待て」といった文言が確認されたとされる[11]。
他方で、若年の評論家の間では、相手の作品を説明する際にこの語を“早口の決め台詞”として使う癖がつき、批評が画一化したという批判も出た。とくに、展覧会のキャプションで「老人卍化」といった造語が増えたことで、来場者が内容ではなく“ラベル”で作品を理解してしまう現象が指摘された[12]。
さらに、医療や福祉の文脈に近づいた時期には、精神疾患を連想させる表現として不適切ではないかという議論も生まれた。ここでは、語を使うことが当事者の苦痛を軽く扱う効果を持つのではないか、という視点が、新聞の投書欄において複数回取り上げられたとされる[13]。
批判と論争[編集]
には、宗教的記号であるの扱いが争点になった経緯があるとされる。ある編集者は、「記号を美術の反復概念に転用しただけだ」と主張したが、反対側は「転用のつもりでも受け手には別の意味で読まれる」と指摘したとされる[14]。
また、語の定義が曖昧なまま流布した点も問題とされている。研究者の間では、老人の描写を“年齢の冗談”に還元することで、身体性や生活の実在を消してしまう危険があるという論点が立てられた。さらに、官庁の通報票に「卍頻度」が入っていたという主張について、史料の真正性が疑われ、後年の創作が混在している可能性が指摘された[15]。
加えて、作家の逸脱をエンターテインメント化することが、再現性のある模倣を生むのではないかという懸念もある。模倣側では「卍の字を毎日増やすと線が太くなる」という都市伝承が生まれ、実験が走った結果、紙の破れや乾燥不良が増えた、という地域の回覧メモが残ると語られる。ただしこのメモは後年の写しであり、数値の出所は明らかでないとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 志賀緋音『画狂老人卍の語用論:同人誌からの逆算』砂時計書房, 1987.
- ^ ハヤト・モーリス『The Manji Motif in Urban Artistic Folklore』Tokyo Folklore Press, 1994.
- ^ 小鷹寧楽『卍式公開添削会の記録とその逸脱』京都墨文庫, 2001.
- ^ ロベルト・グラッツィ『Mislabeling Creativity: A Semiotic History of Japanese Art Anecdotes』International Semiotics Review, 2010.
- ^ 黒羽岬人『芸術衛生指導室と通報様式:仮説のための史料整理』官庁文書研究会, 2006.
- ^ 東雲間人『回覧文書の文体分析:叱るな、乾燥を待て』大阪文書館, 2013.
- ^ 御子柴縁次『卍頻度の測定と儀礼化する言葉』美術批評叢書, 第3巻第2号, 2018.
- ^ 田辺螢『「画狂老人卍」と新聞付録の編集戦略(大正末の仮構成)』季刊・視覚言語学, Vol.12 No.4, pp.55-73, 2020.
- ^ Mina Kurohara『Anecdotal Classifications in Postwar Japanese Creative Circles』Osaka Academic Editions, Vol.7, pp.101-119, 2009.
- ^ 鈴森真砂『画狂老人卍:ただし要出典』青藍出版社, 1976.
外部リンク
- 逸話句会アーカイブ
- 卍式添削資料室
- 都市伝承データバンク(非公式)
- 地方新聞縮刷版検索ポータル
- 美術逸話学研究会サイト