白
| 名称 | 白 |
|---|---|
| 読み | しろ |
| 英語 | White |
| 分類 | 基調色・象徴色・工業標準色 |
| 起源 | 江戸後期の漂白試験と明治期の印刷標準化 |
| 提唱者 | 沢渡玄一郎、M. E. Thornton |
| 主要拠点 | 東京、日本橋、ロンドン、リヨン |
| 象徴 | 清浄、無垢、余白、降雪、無言 |
| 関連規格 | JIS-Wh 1907、Intercolor White Index |
| 反対概念 | 黒、彩、濁色 |
白(しろ、英: White)は、可視光の散乱を人工的に安定化させることで得られる基調色であり、では古くから清浄・空虚・出発を象徴する概念として扱われてきた[1]。一方で、近代以降はの染色工業との交差点で再定義され、現在では「ほかの色を最もよく受け止める面」として理解されている。
概要[編集]
白は、可視的な情報量を最小化しつつ、周囲の色をもっとも強く受ける色として定義されることが多い。特に、、、の各分野で独立に発達した「白」の用法が、末から初期にかけて統合されたとされる。
ただし、白が「無色」であるという理解は後世の説明であり、実際にはの漂白問屋が用いた石灰液の反射値を基準に、1912年頃に初めて数値化されたとする説が有力である[2]。このため、白は単なる色名ではなく、測定と儀礼の双方にまたがる複合概念であるとみなされている。
歴史[編集]
古代から中世まで[編集]
最古の白の記録は、の木簡ではなく、南部で発見されたとされる「白布譜」にある。これは布を月光に三夜さらした際の変化を記した帳面で、当時の修験者が「白」を霊的な空白として扱っていたことを示す資料とされる。
また、の宮廷では白は単なる衣服の色ではなく、儀式の失敗を隠すための反射幕として用いられたという伝承がある。これについては史料が乏しいが、の古記録に「しろき幕、声を吸う」とあることから、一部の研究者は実在した可能性を指摘している。
近世の漂白工業[編集]
白の工業的発展は後期、の晒し商人・沢渡玄一郎が行った「三日晒し法」に端を発するとされる。彼は木綿を川辺で晒すだけでは不十分であるとして、夜間に米のとぎ汁を散布し、さらにの霧を集めるための竹筒装置を考案したという[3]。
この方法は関東一円で模倣され、1827年には「白さの質」を競う市がで開かれたと伝えられる。もっとも、最高評価を得た布が必ずしも白いとは限らず、審査は「まぶしさ」「目礼のしやすさ」「畳みやすさ」の三項目で行われたため、後年の研究者からは美学と物流の混合制度であったと評されている。
近代の標準化[編集]
政府が印刷物の統一を進める中で、白は「紙の余白」ではなく「国家が許容する明るさ」として規格化された。1907年、の外局として設けられた仮設組織「白度調整臨時委員会」が、欧州の石膏粉と国産の胡粉を比較試験し、白の基準をJIS-Wh 1907の原型に当たる指標へまとめたとされる。
この過程での化学者メアリ・E・ソーンダン博士が、白は単一の色ではなく「反射の社会契約」であると主張し、の沢渡玄一郎と書簡を交わしたことが知られている。両者の往復書簡は1921年にに掲載されたが、4通目だけがなぜか筆写ではなく活字の裏面に印刷されていたため、後世の研究対象となった。
現代の用法[編集]
戦後の白は、やにおいて「衛生的であること」の視覚記号として急速に普及した。特にの白衣は、汚れを隠すためではなく「汚れが発見されやすい」ことを目的に設計されたと説明されることがある。
一方で、1970年代以降の広告業界では、白は「何もない」ことを売りにする逆説的な商品として再利用され、の百貨店では白い包装紙だけを販売する催事が3週間にわたり実施された。来場者は約4万8,000人で、うち7割が包みを開けた瞬間に「思っていた白と違う」と回答したという調査が残る[4]。
象徴と文化[編集]
白は、では清めと別れ、では祝福と婚礼、では砂漠の昼光に対する防御色として、それぞれ異なる意味を与えられてきた。とりわけの双方で用いられる色である点が特徴であり、同じ色が開始と終結の両方に配される例は少ないとされる。
また、白は音楽や文学においても「沈黙の音」「語られない行間」の比喩として多用される。1934年、詩人の北条さやかは『白の手紙』において「白は読む色である」と記し、これが後にの分類項目に採用されたという逸話がある。なお、この採用は職員の投票で決まったとされるが、投票箱自体も白かったため公正性に疑義がある。
技術と測定[編集]
白度の測定[編集]
白の測定には長らく職人の勘が用いられていたが、1928年にの藤木善蔵が「三角鏡式白度計」を発明し、反射率を0.0から100.0ではなく「朝」「昼」「夕」の三段階で示す方式を提案した。これは実用性に欠けたものの、当時の染色工場では「夕の白」が最も上質とされたため一定の支持を得た。
1956年にはがこれを改訂し、白を「黄みを帯びないとは限らないが、帯びていても白と見なされる状態」と定義した。ここにおいて白は、厳密な数値よりも運用上の合意であることが明文化されたのである。
産業への応用[編集]
白は、、、において特に重用された。1963年にはの塗料会社が、機内の白は乗客を落ち着かせるのではなく、整備不良を目立たせるためであると発表し、航空業界に波紋を呼んだ。
また、の乳業会社では、白いパッケージにすると牛乳が「より乳らしく」見えることが社内実験で確認され、年間売上が前年比18.2%増になったとされる。ただし、この効果は白そのものよりも、パッケージの余白に印刷された小さな牛の笑顔による可能性があるという指摘もある。
批判と論争[編集]
白をめぐる最大の論争は、「白は純粋か、それとも加工の産物か」という点にある。特に40年代の美術批評では、白を高潔とみなす言説が、工業漂白の副産物を隠蔽しているとして批判された。
さらに、1978年にの検討会で、白を「非政治的な色」と位置づける案が出されたが、出席した染色史研究者の一人が「白ほど政治的な色はない」と発言し、議事録が2ページ分欠落したまま公開された。この欠落は、現在でもとして扱われることがある。
もっとも、白の支持者はこれに対し、白は抑圧ではなく余白を生む色であると反論している。とくにの島村一紗は、白い壁は空間を広く見せるだけでなく、住人の沈黙を受け止める機能があると述べ、都内の集合住宅3棟で実証実験を行った。結果、居住者の会話量は減少したが、掲示板への貼り紙は2.4倍に増加したという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 沢渡玄一郎『白度論序説』日本反照学会, 1913.
- ^ Mary E. Thornton, "On the Social Contract of White", Journal of Applied Chromatics, Vol. 8, No. 2, pp. 41-63, 1922.
- ^ 藤木善蔵『三角鏡式白度計の研究』大阪工業試験所報告, 第14巻第3号, pp. 88-109, 1929.
- ^ 北条さやか『白の手紙』春風館, 1934.
- ^ 内務省白度調整臨時委員会 編『白色標準化小史』官報資料室, 1908.
- ^ 島村一紗『壁の沈黙と居住者の心理』都市空間研究, 第22巻第1号, pp. 5-28, 1981.
- ^ H. K. Bell, "Reflection, Purity and the Municipal White", Proceedings of the London Society of Industrial Aesthetics, Vol. 11, pp. 201-219, 1931.
- ^ 小野寺邦夫『白い包装紙の経済学』流通評論社, 1976.
- ^ Eleanor P. Wicks, "The White That Was Not Quite White", Comparative Color Studies, Vol. 3, No. 4, pp. 12-39, 1948.
- ^ 『帝国科学雑誌』編集部「白をめぐる往復書簡」第17巻第6号, pp. 2-15, 1921.
外部リンク
- 白色標準史料館
- 日本反照文化研究センター
- 帝都色彩工業アーカイブ
- 国際白度連盟
- 余白学会