白金比率
| 別名 | プラチナ比、白金調和率 |
|---|---|
| 提唱 | 渡辺精一郎、アメリア・H・ロウ説ほか |
| 初出 | 1894年ごろ |
| 適用分野 | 建築、工芸、出版、都市景観 |
| 基準値 | 1 : 1.272... |
| 関連機関 | 帝都美観研究会、建築局 |
| 主な議論 | 黄金比との差異、測定誤差、展示会での過剰使用 |
| 象徴色 | 白金色、淡灰銀 |
白金比率(はっきんひりつ、英: Platinum Ratio)は、長さや面積、配置の美的均衡を表すとされる比率概念である。19世紀末ので、洋式建築の外装規格と茶器の寸法を統合するために考案されたとされている[1]。
概要[編集]
白金比率は、ある基準長に対してやや広めの余白を与えることで、視覚的な安定と「冷たい豪華さ」を両立させる比率であると説明されることが多い。実務上はや、の展示パネルなどで参照されたとされるが、その計算式は流派により微妙に異なる。
一般にはの近縁概念として扱われる一方、白金比率は「熱量の低い美しさ」を重視する点で区別される。なお、当時の工学部の一部では、これを「欧風化の過程で生じた余白の倫理」と呼んだとされる[2]。
歴史[編集]
成立[編集]
起源はの・にあったとされ、煉瓦造りの店舗が増える中で、看板の幅と窓枠の縦横比が統一されないことが問題になったのが契機とされる。帝都美観研究会の会報には、渡辺精一郎が「街路は金色でなく白金色に整うべきである」と述べたと伝わるが、原本は焼失しており、引用の真偽は長く議論されている。
一方で、の港湾倉庫で使われた木箱の寸法規格を基にしていたとする説もある。こちらでは、積み上げた際に1箱分だけ視線がずれる配置が最も安定するとされ、その経験則が後に比率化されたという。いずれの説も、の「白金様式意匠講習会」で急速に広まった点では一致している。
普及[編集]
には建築局が、地方都市の電停広告や学校門扉の意匠に白金比率を推奨したとされる。これにより、からまでの公会堂で、妙に横長の窓や半端に高い塔が増えたという証言が残る[3]。
特に影響が大きかったのは期の装幀界で、白金比率を採用した書籍は「手に取ると落ち着くが、棚に並べるとやけに威圧感がある」と評された。実際、の『帝都装本年鑑』では、採用作が前年の17点から41点へ増えたと記録されている。もっとも、この数字は展示会用のダミー本を含む可能性があるとも注記されている。
理論化[編集]
、英国の美術数学者アメリア・H・ロウがで白金比率を無理数として再定義し、1対1.272...を標準値とする論文を発表したとされる。彼女は、黄金比が「暖色系の親密さ」を生むのに対し、白金比率は「金属光沢の距離感」を生むと主張した。
この再定義は日本側の実務家から歓迎されたが、同時に「計算式がやたらと三段階に分かれて面倒である」と批判も受けた。とくにの印刷工場では、組版係が小数第5位まで指定された結果、版下の修正回数が平均で2.8倍に増えたとされる。
定義と計算[編集]
白金比率は、一般に短辺aに対して長辺bを取るとき、b/aがおよそ1.272となる配置を指すとされる。ただし、帝都美観研究会方式では「余白を含む総面積が主図形の1.44倍を超えないこと」を条件に加えるため、実際の運用はかなり曖昧である。
また、流派によっては、視線の移動時間を加味して「鑑賞者が3.2秒以内に落ち着く」ことを白金比率の成立条件に含めることがある。この定義は一見便利であるが、測定器にを使う研究者が多かったため、再現性の低さが問題になった。
の『白金比率測定要領』では、縦横比のほか、紙の繊維方向と印刷インキの乾燥時間まで勘案するよう記されている。もっとも、これが本当に比率の定義に含まれるかは、現在でも要出典とされる。
建築・工芸への影響[編集]
白金比率が最も強く作用したのは、初期の公共建築である。周辺の仮設案内所やの図書館附属書庫では、白金比率に従って窓の上辺がわずかに高く、下辺が妙に厚い意匠が好まれた。これは「遠目には堅牢、近くでは上品」と評価された。
工芸分野ではの蒔絵師・早川喜平が、白金比率を取り入れた硯箱を1921年に発表し、蓋を開けた瞬間に「少しだけ長い」と感じさせる構造で名声を得た。展示会では、観客の3割が寸法を測ろうとして係員に止められたという逸話が残る。
一方で、の一部庁舎に導入された際には、玄関ポーチが規格より8センチだけ張り出し、雨の日に来庁者の傘がぶつかる事故が増えた。これが白金比率の「実用を犠牲にした美観」の代表例として後年しばしば引かれる。
社会的流行と批判[編集]
白金比率は、大衆向け雑誌が「上品に見える住まいの簡易法」として紹介したことで、一般家庭にも浸透したとされる。とくにの『婦人美観』誌では、茶棚の幅を白金比率にすると来客の滞在時間が平均11分伸びるという広告が掲載され、短期間に流行した。
ただし、流行の最中に「白金比率を適用したはずの戸棚が、なぜか猫の寝床に最適である」という投稿がの読者欄に相次ぎ、実用性への疑義も広がった。これを受けて帝都美観研究会は、猫の体長を含めた「可変白金比率」を提唱したが、さすがに学界では受け入れられなかった。
には戦時統制で装飾性が抑制されたため、白金比率は一時「贅沢な余白」として敬遠された。しかし戦後は、百貨店のショーウィンドーや映画館のポスター寸法に再利用され、むしろ「少し古風だが信用できる美学」として復活した。
代表的な適用例[編集]
帝都美観研究会の記録によれば、白金比率が明確に確認できる最古級の適用例はの架橋記念額である。額縁の外寸が内寸の1.272倍になっており、見学した技師が「妙に静かな迫力がある」と書き残している。
また、の・北浜の銀行本店では、窓の列が白金比率に合わせて4階まで連続しており、夜になると照明の反射で建物全体が白金色に見えたという。近隣の住民は美しいと評したが、向かいの薬局は「眩しすぎて看板が読みにくい」と苦情を出した。
さらに、の建設時、外観案の一部に白金比率的な脚部配置が試されたという説もある。ただし採用の有無は記録が食い違っており、後年の観光ガイドが勝手に書き足した可能性も指摘されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『白金様式意匠論』帝都美観研究会刊, 1896.
- ^ Amelia H. Rowe, “On the Platinum Ratio in Urban Facades,” Journal of Applied Aesthetics, Vol. 12, No. 3, 1929, pp. 141-168.
- ^ 早川喜平『蒔絵と余白の工学』金沢工芸叢書, 1922.
- ^ 帝都美観研究会 編『白金比率測定要領』内務省建築局資料第18号, 1936, pp. 4-19.
- ^ 佐伯弘之『装本における白金比率の変遷』東京出版学会誌, 第8巻第2号, 1938, pp. 55-73.
- ^ Margaret L. Fenwick, “Measured Distances and Silvered Spaces,” Proceedings of the Royal Institute of Ornament, Vol. 5, 1931, pp. 201-229.
- ^ 小田切麻里『都市の余白と規格化』中央美術出版社, 1951.
- ^ Henry J. Weller, “A Note on the Platinate Proportion,” Transactions of the Society for Decorative Mathematics, Vol. 9, No. 1, 1947, pp. 1-14.
- ^ 北村志保『白金比率と猫の居住適性』生活文化評論, 第14巻第4号, 1962, pp. 88-96.
- ^ 阿部隆『白金比率とその周辺—あるいは窓枠の悲劇—』建築と風俗, 第21巻第7号, 1974, pp. 233-260.
外部リンク
- 帝都美観研究会アーカイブ
- 白金比率デジタル年鑑
- 近代意匠資料室
- 装幀と余白研究フォーラム
- 東京都市意匠史センター