知識に溺れる者の沼
| 名称 | 知識に溺れる者の沼 |
|---|---|
| 種類 | 記念人工沼・修養施設 |
| 所在地 | 群馬県沼田市知見台一丁目 |
| 設立 | 1913年(大正2年) |
| 高さ | 最大水深 4.8メートル |
| 構造 | 三重堤防式の環状沼・木橋・閲覧亭 |
| 設計者 | 渡辺精一郎、E. H. Thornton |
知識に溺れる者の沼(ちしきにおぼれるもののぬま、英: The Marsh of the Drowning of the Learned)は、にあるである[1]。を鎮めるために築かれたとされる人工沼で、現在ではの象徴として知られている[1]。
概要[編集]
知識に溺れる者の沼は、期に北部の丘陵地に造成された人工の沼である。もとはの一環として「知の過剰摂取」を戒めるために設けられたとされ、沼の周囲には閲覧亭、反省石、沈思橋などが配置されている。
現在では、奇観を目的に訪れる観光客が多く、毎年秋に開かれる「沈降祭」には約1万2,000人が集まるとされる。もっとも、現地の案内板には『泳ぐことは禁止』とある一方で、『浅瀬で議論することは推奨』とも記されており、この運用の曖昧さが施設の魅力の一つになっている。
名称[編集]
名称は、開設当初に用いられた「知識過負荷沈降池」に由来するとされるが、後年の観光化に伴い、現在の詩的な呼称へ改められた。教育史研究会の記録によれば、地元の旧家に伝わっていた「書を積むほど足元が崩れる」という言い回しが、命名の直接的な手がかりになったという。
一方で、命名に関わったが当時たまたま読んでいた『パイドン』の邦訳に感化された、とする説もある。ただし、この説は設計図の余白に残された『本日は湿度87パーセント』の走り書きと整合しないため、現在も要出典とされている。
沿革[編集]
計画と造成[編集]
1911年、は、講演会後の知識疲労が深刻であるとして、休養と沈思のための施設建設を提案した。これを受けての外郭団体である「地方静養土木調査室」が敷地を測量し、翌1912年には谷地を利用した掘削が始まった。
造成工事では、底部に粘土層を三層、さらに砂利層を一層敷く独特の工法が採用された。これは当時としては珍しく、工事監督の日誌には『排水を良くしすぎると思想が乾く』との記述があるとされる。
開沼式と初期運用[編集]
1913年10月14日に「開沼式」が挙行され、式典ではの元講師であるが『学識は深きほど底なしである』と演説した。式後、試験的に導入された「一時間沈思券」は好評で、初年度だけで延べ3,480枚が発行された。
もっとも、利用者の中には実際に水に近づきすぎて靴を失う者が続出し、翌年には木橋の欄干が15センチ高く改修された。また、閲覧亭の机がやや低すぎたため、筆記者が次々とうつむき、結果として周辺の蓮がよく育ったと記録されている。
戦後の再解釈[編集]
戦後は、知識の抑制施設というより、学問と生活の折衷を象徴する風景資産として見直された。32年には地元の中学校が写生大会の会場に選び、同年の参加者67人のうち9人が沼面に自分の影を描いて提出したという。
1978年にはが「近代土木と民俗思想の接点」として調査報告をまとめ、沼の堤体に見られる不規則な石積みが「知の均衡を崩さないための意図的な乱れ」であると評価した。なお、この解釈は同時代の施工記録と一部矛盾するが、文化財分野ではしばしば許容される。
施設[編集]
沼の中心部は最大水深4.8メートルで、底には青銅製の「忘却環」が埋設されている。これは、過度の論破を行った者が自発的に視線を落とすための装置とされ、実際には重しの役割を果たしている。
北側のには回転式の書架があり、1周する間に約42冊の要旨集を閲覧できると案内される。南側の「反省石」は腰掛けると背筋が自然に伸びるよう、角度が12度に設定されている。また、東堤の「沈思橋」は中央でわずかに沈む構造になっており、同橋を渡る際に誰もが話題を失うという。
交通アクセス[編集]
最寄り駅はのと案内されるが、実際には徒歩34分、急ぎ足でも28分を要する。駅前からは「知見台循環」という路線バスが1日8便運行され、うち3便は沼の開館時間に合わせて微妙に遠回りする。
自家用車ではのから約18分であるが、沼の手前200メートルから道幅が急に狭くなるため、大型車は「思索優先」の臨時待避所で待機することが多い。なお、徒歩で向かう場合は『理解を急がないこと』と現地の観光協会が注意喚起している。
文化財[編集]
知識に溺れる者の沼は、2006年にの景観形成重要地点に選定され、2014年には「近代思想土木遺産」として市の登録文化財に登録されている。堤防、閲覧亭、反省石の三点は、いずれも築造当初の意匠をよく残しているとして評価が高い。
また、毎年11月には水面の藻に文字が浮かぶ「藻文現象」が観測されるとされ、地元ではこれを学術成就の兆しとして扱う。ただし、藻の種類はに近いものだとする県衛生研究所の報告もあり、神秘性と水質管理の境界がしばしば曖昧になる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 西園寺鶴松『知識沈降論』沼田文化出版社, 1914.
- ^ 渡辺精一郎・E. H. Thornton『地方静養土木計画案』群馬建築学会, 1912.
- ^ 沼田町教育会編『開沼式記録集』第1巻第1号, 1913.
- ^ Margaret A. Thornton, "Hydrological Discipline and Intellectual Fatigue", Journal of Provincial Studies, Vol. 7, No. 2, 1921, pp. 44-63.
- ^ 群馬県教育委員会『知見台人工沼調査報告書』第3集, 1978.
- ^ 沼田市文化財課『近代土木遺構としての知識に溺れる者の沼』沼田市史資料編, 2006.
- ^ H. S. Watanabe, "The Marsh as Moral Device", Eastern Japan Review of Architecture, Vol. 12, No. 4, 1930, pp. 211-239.
- ^ 『群馬県景観形成史料集 第三冊 水辺編』群馬県史編さん室, 2007.
- ^ 田中芳樹『沈思のための水域とその社会史』学芸叢書, 1999.
- ^ 小林ミツル『藻文現象に関する覚え書き』沼田衛生研究, 第5号, 2015.
- ^ 『閲覧亭の構造と運用に関する再検討』建築民俗雑誌, 第18巻第3号, 1988.
外部リンク
- 沼田市観光協会・知識に溺れる者の沼案内
- 群馬近代土木遺産アーカイブ
- 地方静養施設研究会
- 知見台文化財保存ネット
- 沈思橋友の会