ぬるい沼
| 名称 | ぬるい沼 |
|---|---|
| 英名 | Lukewarm Bog |
| 分類 | 半流動性湿地・温度保持型沼沢地 |
| 発祥 | 明治後期の地質観測と民間伝承の接点 |
| 主な分布 | 関東平野南縁、利根川流域、房総丘陵西麓 |
| 提唱者 | 長谷部定吉、三輪芳造ほか |
| 温度基準 | 平均18.4〜24.7度 |
| 関連機関 | 帝国沼沢研究会、東京湿地保存連盟 |
ぬるい沼(ぬるいぬま、英: Lukewarm Bog)は、が一定の範囲で安定し、沈降が遅く、表面温度が人肌に近い湿地帯を指す用語である。主にの内陸低地で発達したとされ、近代以降は系の地質調査とともに知られるようになった[1]。
概要[編集]
ぬるい沼は、一般に水温が低すぎず高すぎない沼地を指すが、学術的にはの発酵熱と地下水の湧出が拮抗し、外気温との差が極端に小さい湿地をいうとされる。とくに朝夕で水面の温度がほとんど変わらないことから、古くは「湯気の出ない温泉」とも呼ばれた[2]。
この概念は、北西部の測量補助員であった長谷部定吉が、に周辺の聞き取り調査を行った際、地元の漁師が「この沼はぬるくて腰が抜ける」と述べたことに由来するとされる。のちにの地理学者・三輪芳造がこれを分類概念として再解釈し、半ば冗談、半ば真面目に学会へ持ち込んだことが普及の契機であった[3]。
定義と測定法[編集]
ぬるい沼の定義は、単なる水温だけではなく、底質の粘性、匂いの滞留、足を踏み入れた際の沈み込み速度まで含むのが特徴である。帝国沼沢研究会の『沼沢地温湿分類暫定基準』では、表層水温が以上以下、かつ沈降応答時間が以上であるものを「ぬるい沼」とした[4]。
ただし、同基準は測定者の体感に依存しすぎるとして早くから批判もあった。たとえばの冬、の霞ヶ浦沿岸で行われた実地測定では、同じ地点を巡って三輪派と現場案内人が「ぬるい」「まだ冷たい」をめぐって20分間口論し、結果として測定票の備考欄が二段組みになったという。なお、この口論がのちの「主観湿地学」の出発点になったとする説があるが、要出典である。
歴史[編集]
明治期の採集と命名[編集]
最初期の記録は、地理局の巡検班がの湿地を調査した際の野帳に見られる。当時は「温湿不明の泥沼」と記されていたが、長谷部定吉が口語をそのまま採用し、「ぬるい沼」という呼称を報告書に書き込んだことで定着したとされる[5]。
この命名は当初、学内では「学術語としてあまりに生活感が強い」と揶揄された。一方で、説明不要でイメージが伝わるとして、地方測量官や新聞記者のあいだで急速に広まり、のの記事では「足を取られやすきぬる沼」として紹介された。
大正期の流行と制度化[編集]
期には、ぬるい沼は単なる地形用語を越え、避暑・保養の対象として語られるようになった。やの別荘地で「ぬるい沼の気配を感じる庭」が流行し、造園家の佐伯宗介はこれを「沼の温度を観賞する時代」と呼んだ[6]。
またにはの外郭委員会が、湿地の温度帯と植生の関係を調べるため、「ぬるい沼小委員会」を設置した。委員会は3年間で47地点を踏査し、うち11地点を「とてもぬるい」、6地点を「ぬるさが過剰」と分類したが、後者の定義は委員ごとに違ったため、最終報告書では括弧書きの注が本文の3分の1を占めた。
戦後の再評価[編集]
戦後になると、ぬるい沼は公害研究と観光開発の狭間で再評価された。、の前身機関である自然地調査室が、首都圏近郊の埋立予定地に残る湿地を「ぬるい沼候補」としてリスト化し、保存か排水かをめぐって地元住民と対立した[7]。
この時期、写真家の小田原瑠璃子が朝霧の中の沼を撮影した連作『ぬるいままの朝』を発表し、抽象画のようだと評された。ところが実際には、撮影時のフィルム感度が低すぎて全体がぼやけており、それが逆に「ぬるさの可視化」として評価されたという逸話が残る。
社会的影響[編集]
ぬるい沼は、地理学よりもむしろ言語表現に大きな影響を与えた。昭和初期には「ぬるい沼みたいな会議」「ぬるい沼のような人事」といった比喩が官庁内部で流行し、の若手官僚が起案書の余白にこの語を走り書きした記録が残る。
また、の地方ラジオでは、生活情報番組『今週のぬるい沼』が人気を博し、湿地の観光案内と献立相談が同時に行われる珍しい構成であった。毎回、最後に「本日の沼温は22度前後、豆腐は冷やしすぎないこと」と締めくくられ、聴取者の投稿が月平均に達したという[8]。
一方で、開発計画に対する反対運動でも象徴語として使われた。の農地転用問題では、住民団体が「この土地をぬるい沼にしてはならない」と掲げ、結果的に排水路の設計変更が3回行われた。こうした経緯から、ぬるい沼は「中途半端だが侮れない状態」の比喩として定着した。
批判と論争[編集]
ぬるい沼をめぐっては、実在性そのものを疑問視する研究者も少なくない。の『東洋湿地学雑誌』では、佐藤慧一が「ぬるい沼は観測値ではなく地域共同体が作った感覚のアーカイブである」と論じ、概念の実体性に疑義を呈した[9]。これに対し、三輪派の後継者は「体感温度にこそ湿地の本質がある」と反論し、議論は温度計の精度問題へと逸れた。
また、にが公開した湿地データベースでは、ぬるい沼に該当する地点が一件も登録されていなかったため、研究者のあいだで「行政上は存在しないが、地元では確実にあるもの」として半ば伝説化した。なお、関係者の証言によると、当時の担当者が入力項目の「ぬ」の欄を「ぬれ」と誤読したため、検索から漏れた可能性があるという。
現在の利用[編集]
現在では、ぬるい沼は観光、教育、地域ブランドの文脈で断続的に用いられている。の一部では「ぬるい沼遊歩道」が整備され、木道の先に温湿度計を置いただけの簡素な展望台が人気を集める。来訪者は「何も起きないのに満足感がある」と評し、年間入場者数は前後で推移している[10]。
また、地方自治体の研修では、意思決定が遅滞した状態を説明する比喩として採用されることがある。とくに以降は、デジタル化の遅れを指して「組織がぬるい沼化している」と表現する例が増えた。もっとも、熱を持たせすぎると本来の定義から外れるため、比喩としては「ぬるいが沈む」程度が最適であるとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 長谷部定吉『房総湿地巡検覚書』内務省地理局出版部, 1908.
- ^ 三輪芳造「沼沢地の温湿分布と体感語彙」『東京帝国大学地理学報告』第12巻第3号, 1911, pp. 41-68.
- ^ 佐伯宗介『庭園と沼気の意匠』青陵書房, 1924.
- ^ 帝国沼沢研究会編『沼沢地温湿分類暫定基準』同会刊, 1928.
- ^ 小田原瑠璃子『ぬるいままの朝』新光写真通信社, 1959.
- ^ 佐藤慧一「ぬるい沼の実在性について」『東洋湿地学雑誌』Vol. 7, No. 2, 1973, pp. 102-119.
- ^ 国土地理院地形情報部『湿地データベース運用年報 1991』国土地理院, 1992.
- ^ 藤堂一馬『ぬるい沼と日本語の中間領域』岩波書店, 2001.
- ^ 松浦あさみ「沼の比喩が組織文化に与える影響」『地域行政研究』第18巻第1号, 2014, pp. 9-26.
- ^ Katherine N. Bell, The Thermals of Bogs and Other Slightly Warm Places, Northbridge University Press, 2017.
- ^ Ryohei Tanaka『A Study on Lukewarm Swamps and Their Administrative Impact』Midlands Academic Press, 2020.
外部リンク
- 帝国沼沢研究会アーカイブ
- 東京湿地保存連盟
- 関東ぬる沼観測所
- 主観湿地学会
- 沼温データバンク